第133話:春休みの朝と、俺からの提案
「……んんっ」
春休み中盤の、穏やかな朝。
俺は自分のベッドで、右腕に心地よい重みを感じながら目を覚ました。
「……すぅ、すぅ……」
隣には、俺のパジャマの胸元をぎゅっと握りしめたまま眠る奏羽の姿がある。
昨夜、生徒総会のトラウマでパニックを起こした彼女を、俺が「よしよし」で寝かしつけたのだ。
顔色は少し良くなっているが、目元にはまだうっすらと疲労の色が残っている。
(……このまま俺の『寝かしつけ』だけで誤魔化し続けるのは、やっぱり限界があるな)
俺は彼女を起こさないようにそっと腕を引き抜き、リビングへと向かった。
キッチンで朝食のフレンチトーストを焼いていると、やがて寝室からポヤポヤとした足取りで奏羽が起きてきた。
「……湊くん、おはよう」
「おはよう、奏羽。よく眠れたか?」
「うん。……湊くんが一緒にいてくれたから、朝までぐっすりだったよ。……昨日は、ごめんね」
奏羽は申し訳なさと恥ずかしさが混じった顔で、俺の背中にぴとりとくっついてきた。
「謝るなよ。……でも、奏羽。今日の午後、少し出かけないか?」
「お出かけ? うん、いいよ! どこ行くの?」
奏羽が、俺の背中から顔を出して目を輝かせる。
デートだと思ったのだろう。俺は少しだけ言い淀んだ後、真剣な顔で振り向いた。
「……病院だ。駅前に、睡眠とか心の相談に乗ってくれるクリニックがあるらしいんだ」
俺が告げると、奏羽はビクッと肩を震わせ、パァッと明るかった顔を強張らせた。
「び、病院……? わたし、病気になっちゃったの……?」
「違うよ。風邪引いたら薬もらうだろ? それと同じで、心と身体が少し疲れちゃってるから、専門の先生にアドバイスをもらおうってだけだ」
俺は、不安そうに揺れる彼女の頭を優しく撫でた。
「俺はいつでもお前を甘やかすけど、俺の素人判断だけじゃ、お前の不安を完全に取り除けないかもしれない。……お前が本当に安心して眠れるようになるために、俺にも協力させてくれ」
俺の言葉に、奏羽は少しだけ迷ったように俯いた。
「完璧な生徒会長」としてのプライドが、病院(心療内科)に通うという事実に対する抵抗感を生んでいるのかもしれない。
「……湊くんは、わたしが病院に行っても……嫌いにならない?」
消え入りそうな声で尋ねる彼女に、俺は苦笑いして彼女の頬を軽くつねった。
「ばか。お前がどんな状態だろうと、俺の気持ちが変わるわけないだろ。……むしろ、頼ってくれない方が嫌だ」
「……っ」
奏羽の瞳から、ポロリと一筋の涙がこぼれ落ちた。
彼女は「うんっ」と力強く頷き、俺の胸に顔を押し付けた。
「……わかった。行く。……湊くんが一緒に行ってくれるなら、怖くないよ」
* * *
その日の午後。
俺たちは、お揃いのマフラーを巻いて、学園の最寄り駅近くにある心療内科クリニックへと向かった。
春休みとはいえ、まだ風は冷たい。
「……緊張するな」
クリニックの看板が見えてくると、奏羽が俺の手をぎゅっと強く握りしめてきた。
「大丈夫だ。俺も診察室まで一緒に入っていいか聞いてみるから」
「うん……お願い」
受付を済ませ、静かな待合室で並んで座る。
周囲には、同じように疲れを抱えた様子の大人たちが静かに順番を待っていた。
「……凪瀬奏羽さん、五番の診察室へどうぞ」
看護師の声が呼ばれ、奏羽の身体がビクンと跳ねた。
「行こう」
俺が立ち上がり、彼女の手を引く。
完璧な生徒会長が、自らの弱さと向き合うための、小さな、けれどとても大きな一歩。
俺は彼女の手をしっかりと握りしめたまま、診察室のドアをノックした。




