第125話:寝室の攻防と、理性への反逆
「……み、湊くんっ? どうしたの、急に……!」
寝室に引き込まれ、バタンとドアを閉められた奏羽は、壁際に追いつめられて目を白黒させている。
俺は彼女の手首を掴んだまま、逃げ場を塞ぐように彼女の目の前に立った。
「……奏羽、お前、最近俺のこと避けてただろ」
俺が低い声で問い詰めると、奏羽はビクッと肩を震わせ、分かりやすく視線を泳がせた。
「さ、避けてなんかないよ! ほら、さっきも普通に……っ」
「嘘をつけ。俺の隣に座らなくなったし、寝る時も一人でさっさと部屋に行く。……俺に触れられるのを、嫌がってるようにしか見えなかった」
俺の言葉に、奏羽はキュッと唇を噛み締め、俯いてしまった。
翠から事情を聞いている俺は、これが彼女の「俺を嫌いになったから」ではないと知っている。だが、こうして面と向かって問いたださずにはいられなかった。
「……違うの」
消え入りそうな声で、奏羽が呟いた。
「違う。湊くんのこと、嫌いになったわけじゃないの。……むしろ、逆で……」
「逆?」
「……湊くんのこと、好きすぎて……これ以上近づいたら、わたし、自分がどうなっちゃうか分からなくて、怖かったの」
彼女はポロポロと涙をこぼし、俺の胸に顔を押し付けてきた。
掴んでいた彼女の手首から力が抜け、代わりに俺の服の裾をぎゅっと強く握りしめる。
「ホワイトデーの指輪もらってから……湊くんの匂いや体温を感じるたびに、頭が真っ白になっちゃって。……お母様との約束があるのに、もっと……もっとって、湊くんを求めたくなっちゃう自分が、すごく怖くて……」
震える声で告白された、彼女の切実な本音。
俺の胸の奥で、燻っていた焦燥感が、愛おしさへと変わっていく。
「……バカだな、お前は」
俺は彼女の手首を離し、代わりにその細い背中に腕を回して、強く抱き寄せた。
「ひゃっ……! み、湊くん、だめ……っ。こんなにくっついたら、わたし……っ」
「ダメじゃない。……お前が我慢してる間、俺だってどれだけ寂しかったと思ってるんだよ」
俺が彼女の耳元で囁くと、奏羽の身体がピクンと跳ねた。
「……湊くんも、寂しかった……?」
「当たり前だろ。お前が俺に触れてこないから、俺に魅力がなくなったのかと本気で焦ったぞ」
俺が苦笑いしながら彼女の頭を撫でると、奏羽は「そんなことない!」と勢いよく顔を上げた。
涙で潤んだ瞳が、至近距離で俺を捉える。
「……わたし、湊くんのこと、世界で一番好きなのに……っ。……我慢なんか、もう、したくない……っ」
奏羽は背伸びをして、俺の首に腕を回してきた。
そして、そのまま俺の唇に、熱く、甘いキスを落とした。
数日間のすれ違いと我慢が爆発したような、深く激しい口づけ。
彼女の柔らかい舌が絡み合い、俺の理性の防波堤を容赦なく削り取っていく。
「……んっ……ぁ……湊くん……っ」
息継ぎの隙間に漏れる彼女の艶やかな声。
俺は彼女の腰を抱き寄せ、そのままゆっくりとベッドの方へと彼女を押し倒そうとした。
彼女も全く抵抗せず、むしろ俺のパジャマのボタンに手をかけようとしている。
(……このまま、最後まで……)
俺の脳が完全にショートしそうになった、その時だった。
「——お兄ちゃん! アイス溶けるんだけど!!」
ドアの向こうから、翠の容赦ない声と、ドンドンとドアを叩く音が響いた。
「「……っ!!」」
俺たちはバネで弾かれたように身体を離し、荒い息を繰り返した。
一歩間違えれば、完全に一線を越えていた。
凪瀬夫人との約束、「風紀を乱すな」。それが頭をよぎり、俺は一気に現実に引き戻された。
「……あ、危なかった……」
俺がベッドの端に座り込んで頭を抱えると、奏羽も真っ赤な顔をして口元を覆っていた。
「……み、湊くん。ごめんなさい、わたし……自分から、誘っちゃった……」
「いや、俺も止まらなくなってた。……ごめん」
俺たちは気まずそうに視線を逸らしたが、やがて、どちらからともなく「ふふっ」と笑いがこぼれた。
「……お互い、余裕ないな」
「うん。……でも、凑くんもわたしと同じ気持ちだってわかって、すごく嬉しい」
奏羽は少しだけ距離を空けて俺の隣に座り、そっと俺の小指に自分の小指を絡ませてきた。
これくらいの距離なら、なんとか理性を保てる。
「……奏羽。約束する。俺がちゃんと卒業して、お前の親父さんやお母さんに認められるその日まで……絶対にお前を大切にする」
「うん。……わたしも、その日までちゃんと我慢する。……でも」
奏羽は小悪魔のように微笑み、俺の肩にこてんと頭を預けた。
「……ギリギリまでなら、甘えさせてね?」
「……お手柔らかに頼むよ」
妹の容赦ないストッパーによって、俺たちの「最大の危機(暴走)」は間一髪で回避された。
だが、互いの想いの深さと「限界」を知ってしまったことで、俺たちの春休みは、これまで以上にヒリヒリとした、理性を試される焦れったい攻防戦へと変わっていくのだった。




