第120話:ホワイトデーの約束と、春の足音
バレンタインデーの甘い余韻が少しずつ落ち着き、季節は冬から春へと着実に歩みを進めていた。
学年末テストの足音がヒタヒタと近づいてくる三月上旬。
「……はい、そこまで。風森さん、数学の応用問題、見事に全問正解です」
放課後の生徒会室。
零さんがストップウォッチを止め、微かに満足そうな表情で俺の答案用紙を返却した。
「ありがとうございます、零さん。……俺、やっと特進クラスの連中とまともに戦えるレベルになってきた気がします」
俺が大きく伸びをすると、隣で自分の課題を終わらせていた奏羽が、嬉しそうに俺の腕にギュッとしがみついてきた。
「すごいよ、湊くん! この調子なら、学年末テストも絶対に一桁順位に入れるよ!」
「ああ。……冴木へのリベンジもあるし、凪瀬夫人との約束もある。絶対に負けられないからな」
俺が奏羽の頭をポンポンと撫でていると、向かいの席で書類整理をしていた結衣が、ニヤニヤしながら身を乗り出してきた。
「ねえねえ、風森くん。学年末テストも大事だけどさ、もうすぐホワイトデーだよ? 例の『お返し』、ちゃんと準備してるの?」
「えっ」
結衣の言葉に、奏羽がピクッと反応し、期待に満ちた目で俺を見上げてくる。
「も、もちろん準備してるぞ」
「へぇー? 会長からのあの熱烈な『口移しチョコ』のお返しなんだから、さぞかしロマンチックで甘〜いお返しなんでしょうねぇ?」
「結衣ちゃんっ! その話はもうしないでってば……っ!」
奏羽は顔を真っ赤にして俺の背中に隠れ、結衣をポカポカと叩くフリをした。
「……風森さん」
零さんが、眼鏡の奥から冷ややかな視線を送ってくる。
「学業を最優先するという条件を忘れてはいませんね? 浮かれて足元をすくわれるような真似は許しませんよ」
「わかってますよ。……テストが終わった次の週末が、ちょうどホワイトデーですから。それまでは勉強に全集中します」
俺の言葉に、零さんは小さく頷いた。
* * *
そして迎えた、学年末テストの三日間。
(……やれることは全部やった)
最後の科目の終了チャイムが鳴り響いた瞬間、俺はシャーペンを置き、深く息を吐き出した。
二学期の期末テストの時のような焦りはない。圧倒的な演習量と、奏羽の毎晩のサポート、そして「絶対に彼女の隣を守り抜く」という執念が、俺のペンを最後まで迷いなく走らせた。
「……湊くん!」
テスト終了後、教室の入り口に奏羽が駆けつけてきた。
「お疲れ様! 手応えはどうだった?」
「完璧だ。お前は?」
「わたしも! 今回は絶対に、冴木くんに負けてない!」
俺たちは互いの健闘を称え合い、ハイタッチを交わした。
これで、凪瀬夫人からの条件をクリアするための準備は全て整った。
* * *
そして、運命のホワイトデー当日。日曜日。
「……湊くん、今日はどこに連れて行ってくれるの?」
マンションの玄関先で、春らしいパステルカラーのワンピースに身を包んだ奏羽が、ワクワクした様子で俺のコートの袖を掴んできた。
翠は「私は友達とカラオケ行ってくるから、夜まで帰らないよー」と気を利かせて朝早くに出かけている。
「とりあえず、駅前のモールに行こうか。……そこで、お前に渡したいものがあるんだ」
「ほんと!? やったぁ!」
俺たちは手を繋ぎ、まだ少し冷たい春の風を感じながら、駅前へと向かった。
モール内のオシャレなカフェでランチを済ませた後、俺は奏羽を連れて、ある場所へと向かった。
そこは、カップル向けのアクセサリーショップだった。
「……湊くん、ここって……」
「ああ。……実はお前とクリスマスにここに来た時、お前がずっと見てたショーケースがあっただろ?」
俺が指差したのは、ペアリングのコーナーだった。
奏羽の目が、驚きと喜びで大きく見開かれる。
「……覚えてて、くれたの?」
「当たり前だろ。……お前は『マフラーも貰ったし、我慢する』って言ってたけど、俺はずっと、お前にこれを贈りたかったんだ」
俺は店員に声をかけ、あらかじめ予約しておいた小さな紙袋を受け取った。
「……本当は、テストの順位発表が終わってからの方が良かったのかもしれないけど。……俺は、結果がどうであれ、お前とずっと一緒にいるって決めてるから」
俺は紙袋から小さな箱を取り出し、奏羽の前に差し出した。
「ハッピーホワイトデー、奏羽。……俺と、ペアリング、つけてくれるか?」
「……っ、湊くん……!」
奏羽は両手で口を覆い、大粒の涙をポロポロとこぼし始めた。
そして、周囲の目も気にせず、俺の胸に勢いよく飛び込んできた。
「……嬉しい……っ、わたし、湊くんとお揃いの指輪、ずっと欲しかったの……っ!」
「泣くなよ。ほら、手、出して」
俺は彼女の左手を取り、薬指にそっとシルバーの細身のリングをはめた。
俺の指にも、少し太めの同じデザインのリングが輝いている。
「……似合うよ、奏羽」
「えへへ……。湊くんも、かっこいい……」
奏羽は自分の左手と俺の左手を重ね合わせ、幸せそうに目を細めた。
親公認の同棲生活、お揃いのマフラー、そして、ペアリング。
俺たちの関係は、目に見える形でも、少しずつ「永遠」に向けて歩みを進めていた。
「……ねえ、湊くん」
奏羽が、俺の耳元で甘く囁いた。
「ホワイトデーのお返し、これだけじゃないよね……? 帰ったら……もっと、わたしを甘やかして?」
春の陽気よりも熱い彼女のおねだりに、俺の心臓は再び早鐘を打った。
テストの重圧から解放された、二人きりのホワイトデー。
俺たちの甘すぎる一日は、まだ始まったばかりだった。




