第12話:放課後の図書室と、消えない不安
「……あーん、して?」
凪瀬奏羽のその一言は、俺の理性を粉々に砕くのに十分な破壊力だった。
それからというもの、昼休みが終わるまでの間、俺たちは他愛のない会話をしながら、互いの弁当を食べさせ合っていた。
氷の生徒会長という肩書きはどこへやら、彼女は俺の隣で、まるで飼い慣らされた子猫のように穏やかな表情を浮かべていた。
「湊くん、明日も……お弁当、作ってきていい?」
「……それは、さすがに凪瀬さんの負担にならないか?」
「ううん、負担じゃないよ。むしろ、湊くんのお昼ご飯をわたしが担当しないと……また、他の子がお弁当差し入れに来ちゃったら、困るもん」
彼女は真顔でそう言い放った。
どうやら、クラスの女子たちが俺に近づくのを、彼女なりに警戒しているらしい。
その独占欲に、俺は困惑しつつも、どこか嬉しさを感じていた。
* * *
その日の放課後。
いつものように図書室の死角で、俺たちは並んで座っていた。
「……湊くん」
朗読の合間、凪瀬さんが唐突に俺の右手を握りしめた。
指と指を絡め合わせるように。
「どうした? また眠れないのか?」
「……ううん。今日は、ちゃんと寝られそう。……湊くんとお昼、一緒に食べられたから」
彼女は俺の手のひらに頬を寄せ、すりすりと猫のように擦り付ける。
その仕草はあまりに無防備で、男として無視するのは至難の業だった。
「あのね、湊くん。……わたし、時々怖くなるの」
彼女の声が、ふっと小さくなった。
いつもの甘えたがりな雰囲気から一転、どこか寂しげな響きが含まれている。
「もし、湊くんが……『もう凪瀬さんを寝かしつけるのは疲れた』って言ったらどうしよう、って」
心臓が締め付けられるように痛んだ。
彼女は、俺という存在に救われていると同時に、その存在を失うことを誰よりも恐れているのだ。
「不眠症」という呪いに縛られている自分は、俺にとって重荷でしかないのではないか。そんな不安が、彼女の中で消えていない。
「そんなこと、言うわけないだろ」
俺は彼女の手を握り返し、できるだけ強い口調で言った。
「俺は、凪瀬さんが眠れるまで……いや、眠れるようになってからも、ずっと隣にいたいと思ってる」
「……ほんとに?」
「ああ。……俺にとっても、凪瀬さんとこうして過ごす時間が、一番落ち着く場所なんだから」
俺がそう告げると、彼女の瞳が揺れた。
そして、ゆっくりと俺の胸元に顔を埋める。
「……湊くん。わたしね、図書室以外でも……湊くんと一緒にいたい」
「図書室以外?」
「うん。……休日も、放課後も、ずっと。……湊くんのこと、独り占めしたいの」
それは、今までで一番明確な「独占欲」の告白だった。
ただの寝かしつけ係ではない、一人の女の子としての、俺に対する切実な想い。
「……わかった。俺も、凪瀬さんを独り占めしたいと思ってる」
俺がそう答えると、凪瀬さんは俺の胸元で小さく息を呑んだ。
そして、顔を上げ、俺を見つめる。
その瞳には、かつての「孤高の氷の姫」の面影は微塵もなく、ただ真っ直ぐに俺だけを映す、熱を帯びた瞳があった。
「湊くん……わたしに、もっと……キス、したい……なんて、言ったら……引いちゃう?」
予想もしなかった彼女の言葉に、俺の思考は完全に停止した。
図書室の奥、薄暗い影の中で、彼女の熱い吐息が俺の顔にかかる。
静寂の中で、俺たちの鼓動が重なっていくのが聞こえた。




