第115話:新学期と、生徒会室のバレンタイン会議
冬休みの甘く危険なハプニングや、妹・翠との騒がしい年末年始を経て、いよいよ三学期が始まった。
学園への登校初日。
俺と奏羽は、すっかりお馴染みとなったお揃いのマフラーを巻き、並んで通学路を歩いていた。
「……ねえ、湊くん。今日からまた、零の補習始まるのかな?」
「どうだろうな。期末テストの条件は一応クリアしたわけだし、少しは手加減してくれると信じたいけど」
「うーん……でも、油断してるとまた特進クラスの過去問の山を持ってきそう」
奏羽が苦笑いしながら、俺のコートの袖をぎゅっと握りしめてくる。
彼女のその「無自覚な甘え」も、今ではすっかり俺の日常の一部として馴染んでいた。
学園の正門をくぐると、周囲の生徒たちの視線が俺たちに向けられる。
しかし、その視線には、二学期の頃のような「好奇」や「悪意」はほとんど含まれていなかった。
「……おはようございます、会長。風森くん」
すれ違った下級生の女子が、少し照れくさそうに挨拶をしてきた。
「おはよう」
奏羽が凛とした笑顔で返すと、女子生徒は「きゃっ」と小さく歓声を上げて走り去っていった。
「……なんか、前より挨拶されることが増えた気がするな」
「うん。……全校集会の後から、目安箱にも『応援してます』って手紙が入るようになったんだよ」
奏羽は嬉しそうに目を細めた。
「完璧な生徒会長」という近寄りがたい偶像から、「恋にひたむきな、普通の女の子」という等身大の姿を見せたことで、彼女は学園内で新たなカリスマ性を獲得しつつあるようだった。
* * *
放課後。
俺と奏羽は、補習の覚悟を決めて旧校舎の図書室……ではなく、今日は生徒会室へと呼び出されていた。
「失礼します」
ドアを開けると、そこには一条副会長(零さん)と、書記の逢坂結衣、そして会計の津々屋が、大きな模造紙を広げて額を突き合わせていた。
「おっ、主役の登場だね! お疲れ、二人とも」
結衣が顔を上げ、ニカッと笑って手招きをした。
「お疲れ様です。……零さん、今日の補習は?」
俺が恐る恐る尋ねると、零さんは眼鏡を押し上げ、ため息をついた。
「補習は一旦お休みです。……というより、今月はそれどころではありません」
「え?」
「忘れたのですか、会長? 来月は、生徒会主催の『バレンタイン・チャリティーイベント』があります。その企画と予算の承認が、今週中に終わらなければならないのですよ」
零さんが模造紙を指差すと、そこには「チョコ販売」「特設ステージ企画」など、細かいスケジュールがびっしりと書き込まれていた。
どうやら、学年末テストの前に、もう一つ大きな学園行事が控えているらしい。
「あ、そっか……! ごめんなさい、冬休みの間に完全に頭から抜けてた……」
奏羽が顔を真っ赤にしてペコペコと頭を下げる。
「全く……。風森さんとイチャつくのは結構ですが、生徒会長としての職務はおろそかにしないでもらいたいものです。……風森さんも、当然手伝ってもらいますよ。貴方はもう、実質的な生徒会役員のようなものですからね」
「はい、喜んで」
俺が苦笑しながら頷くと、結衣がニヤニヤと笑いながら俺に近づいてきた。
「ねえねえ、風森くん。バレンタインのイベントってことはさ、当然、会長からの『本命チョコ』も期待してるんでしょ?」
「えっ……」
結衣の言葉に、俺の心臓がトクンと跳ねた。
バレンタイン。
そうか、そういう時期か。
「ちょ、結衣ちゃんっ! 何言ってるの……っ」
奏羽は慌てて結衣の口を塞ごうとするが、顔はすでに茹でダコのように真っ赤になっている。
「えー? だって、クリスマスは手編みのマフラーだったんでしょ? じゃあ、バレンタインはやっぱり手作りチョコじゃないとねぇ」
「わ、わたし……お料理はまだ練習中だし……っ」
「大丈夫! 私と零さんで、みっちり特訓してあげるから! ね、零さん?」
結衣が話を振ると、零さんは呆れたように肩をすくめた。
「……まぁ、彼女が変なものを風森さんに食べさせて、体調を崩されては困りますからね。最低限の指導はするつもりですが」
「れ、零まで……っ!」
奏羽は恥ずかしさのあまり、俺の背中に隠れるようにしてしゃがみ込んでしまった。
「……というわけだから、風森くん。バレンタイン当日は、胃腸薬を準備して楽しみに待ってなよ!」
「……お手柔らかに頼みます」
俺は苦笑いしながら、背中に隠れて俺の制服の袖をぎゅっと握りしめている奏羽の手に、自分の手をそっと重ねた。
冷たい彼女の指先から、恥ずかしさと、少しの緊張が伝わってくる。
「……湊くんのバカ。笑わないでよ……」
背中越しに聞こえる、くぐもった甘え声。
「笑ってないよ。……楽しみにしてる」
俺が小声で答えると、重ねた手の下で、奏羽の指先がピクリと跳ねた。
地獄の補習からは解放されたが、どうやら三学期も、別のベクトルで甘くて騒がしい日々が待っているらしい。
迫るバレンタインの足音に、俺は少しの不安と、それ以上の大きな期待を抱いていた。




