第114話:理性の決壊と、妹の容赦ないストッパー
「……奏羽、本当にわかっててやってるのか?」
俺の膝の上に跨るように座り、首に腕を回してくる奏羽。
ボルドー色の透け感のあるルームウェアから伝わる体温と、甘いシャンプーの香り。
彼女の潤んだ瞳が、俺の理性を激しく揺さぶっている。
「わかってるよ。……湊くんのこと、もっとドキドキさせたいもん」
奏羽はそう言うと、ゆっくりと顔を近づけ、俺の唇に自分の唇を重ねてきた。
ちゅっ、と軽い触れ合いの後、彼女は俺の様子を窺うように少しだけ距離を取り、そして再び、今度は深く、熱いキスを落としてくる。
「……んっ……ぁ……」
静かなリビングに、水音が微かに響く。
俺の腰に回された彼女の腕に力がこもり、俺も無意識のうちに、彼女の細い腰を強く引き寄せていた。
(……くそっ、もう限界だ)
凪瀬夫人との「風紀を乱すな」という約束。
そして、彼女を大切にしたいという理性。
それらが、この甘すぎる誘惑の前では、薄氷のように脆く崩れ去っていくのを感じていた。
俺は彼女の背中に手を回し、そのまま彼女をソファへとゆっくりと押し倒した。
「ひゃっ……湊、くん……?」
ソファに背中を預けた奏羽が、少しだけ驚いたように目を丸くする。
だが、俺がその上に覆い被さるようにして顔を近づけると、彼女は頬を赤く染め、素直に目を閉じて俺を受け入れようとしていた。
「……奏羽、俺、もう我慢しないからな」
俺が低い声で囁き、彼女の首筋に顔を埋めようとした——その時だった。
「——ちょっとぉ! お兄ちゃんたち、何やってんの!?」
リビングのドアが勢いよく開き、パジャマ姿の翠が仁王立ちしていた。
「「……っ!!」」
俺と奏羽は、バネで弾かれたように身体を離し、ソファの上で不自然なほど距離を取って正座した。
俺の心臓は、先ほどまでの熱とは全く別の意味で、早鐘のように打ち鳴らされている。
「み、翠!? お前、寝たんじゃ……」
「トイレに行こうと思ったら、リビングから不穏な空気が漏れ出てるから覗いてみれば……。お兄ちゃん、完全に理性のタガが外れてたでしょ?」
翠は呆れたようにため息をつき、ズカズカと俺たちの前まで歩いてきた。
「……奏羽さん。私がプレゼントした服、早速着てくれたのは嬉しいけど、お母様との約束忘れてない? 『風紀を乱すな』って言われてたよね?」
「う、うん……ごめんなさい……」
奏羽は真っ赤な顔で俯き、両手でボルドー色のルームウェアの胸元を隠すように握りしめた。
「お兄ちゃんも。……いくら奏羽さんが可愛くても、お母様の雷が落ちたら一発でこの生活終わるんだからね? 私がお母様に動画送る前に、ちゃんと自制しなよ」
「……はい。申し訳ありませんでした」
俺は妹に向かって、深く頭を下げるしかなかった。
最強のストッパー(監視役)の存在を、完全に忘れていた俺の失態だ。
「はぁ……。まぁ、今回は未遂ってことで見逃してあげる。……ほら、奏羽さん、その服は一旦封印して、いつものお兄ちゃんのパーカーに着替えておいで」
「はーい……」
奏羽はしょんぼりと肩を落とし、客間へと戻っていった。
リビングには、俺と翠の二人が残された。
気まずい沈黙が流れる中、翠は腕を組んで俺をジロリと見下ろした。
「……お兄ちゃん」
「なんだよ」
「……奏羽さん、本当に可愛かったね。お兄ちゃんが理性を失うのも、少しだけ理解できたよ」
翠はニヤリと悪戯っぽく笑い、俺の肩をポンと叩いた。
「でも、まだ早い。……せめて、お兄ちゃんが高校卒業して、ちゃんとお母様に『結婚させてください』って言えるくらい立派になってからにしなよ」
「……結婚って、お前な……」
中学生の妹から説教を受ける情けなさに、俺は深くため息をついた。
「じゃあ、私はトイレ行って寝るから。……今度こそ、おやすみ!」
翠はそう言い残し、ヒラヒラと手を振って廊下へと消えていった。
(……危なかった)
俺はソファに深く沈み込み、まだ熱を持っている自分の顔を両手で覆った。
もし翠が入ってこなかったら、俺は完全に一線を越えていただろう。
数分後、いつもの大きめパーカー姿に着替えた奏羽が、申し訳なさそうにリビングに戻ってきた。
「……湊くん、ごめんね。わたしが、無理言ったから……」
「いや、俺の方こそ……歯止めが利かなくなって、ごめん」
俺が謝ると、奏羽は小さく首を振り、俺の隣にちょこんと座った。
そして、俺の袖口をぎゅっと握りしめてくる。
「……でも、湊くんが『余裕ない』って言ってくれたの、すっごく嬉しかった」
「……お前、本当に小悪魔だな」
俺は苦笑いしながら、彼女の頭をポンポンと撫でた。
「……今日はもう、おとなしく寝よう。翠の言う通り、凪瀬夫人に引き離されたら元も子もないからな」
「うんっ。……おやすみなさい、湊くん」
奏羽は俺の頬に軽くキスを落とし、自分の部屋(客間)へと戻っていった。
冬休みの夜のハプニング。
俺たちの甘すぎる同棲生活は、妹という強力なストッパーのおかげで、なんとか「健全」なラインを保ち続けていた。
だが、そのギリギリの攻防戦は、俺の胃と心臓を確実に削り取っていくのだった。




