第111話:大晦日の夜と、妹の気遣い
「……おい、翠。お前、本当にそれ一人で食べる気か?」
大晦日の夜。
リビングのコタツの上には、俺が作った年越しそばと、買ってきたオードブルが並んでいる。
だが、その横で、妹の翠はスーパーの袋から大きなファミリーサイズのアイスクリームを取り出し、スプーンを片手に臨戦態勢に入っていた。
「当然でしょ。大晦日くらい、カロリー計算なんて忘れて欲望のままに生きるべきなのよ」
「お前、受験生なんだからお腹壊すなよ……。奏羽も、無理して付き合わなくていいからな」
俺が呆れながら言うと、奏羽は「ううん、わたしもアイス食べたい!」と嬉しそうに目を輝かせた。
彼女もまた、俺の大きめのパーカーを着込み、コタツの魔力に完全に屈した状態になっている。
「……お兄ちゃんこそ、今日くらいは小言を控えたら? 奏羽さん、お兄ちゃんのそういう『保護者ムーブ』に少し不満があるみたいだし」
「……ぶっ」
翠の爆弾発言に、俺は飲んでいたそばの汁を吹き出しそうになった。
奏羽も「み、翠ちゃん!?」と顔を真っ赤にして慌てている。
「な、なんだよそれ。奏羽、俺のことそんな風に言ってたのか?」
「ち、違うの! 不満じゃなくて……その、もっと……」
奏羽はモジモジとパーカーの袖を弄りながら、俺を上目遣いで見た。
「……もっと、対等になりたいっていうか……。湊くん、いつも『よしよし』って子供扱いするから……」
「……」
スーパーでの買い出しの時にも言われた言葉だ。
俺は彼女を不眠症から救うための「安心感」を優先するあまり、確かに少し過保護になりすぎていたのかもしれない。
「……わかった。俺も気をつけるよ。……だから、そんな泣きそうな顔するな」
俺がそう言って彼女の頭を……撫でようとして、ハッと手を引っ込めた。
これも「保護者ムーブ」の一つだ。
すると、奏羽は俺の引っ込めた手を自分から両手で掴み、自分の頭の上に乗せた。
「……撫でるのは、いいの。……湊くんの手、好きだから」
「……お前、本当に自分勝手だな」
「えへへ」
俺が苦笑いしながら彼女の髪を撫でると、対面の翠が「はいはい、ごちそうさま」と大げさに肩をすくめた。
* * *
紅白歌合戦が終わり、テレビから「ゆく年くる年」の鐘の音が響き始めた。
時計の針は、深夜十一時半を回っている。
「……ふぁぁ。私、もう限界。アイスも食べたし、先に寝るね」
翠が大きなあくびをしながらコタツから抜け出した。
「おい、年越しまであと少しだぞ? 起きてなくていいのか?」
「いいの。私は明日、朝早くから初売りの福袋参戦があるからね。……お兄ちゃんたち、あとは二人でゆっくり年越ししなよ。……あ、でも、新年の挨拶の前に『不健全なこと』は禁止だからね!」
翠は最後にニヤリと悪戯っぽく笑い、客間へと消えていった。
リビングには、俺と奏羽の二人が残された。
テレビの音量を少し下げると、部屋の中は急に静まり返った。
「……翠ちゃん、気を使ってくれたんだね」
奏羽が、コタツの中で俺の足に自分の足をそっと絡ませてきながら呟いた。
「ああ。あいつなりに、俺たちに二人きりの時間を作ってくれたんだろうな」
「……湊くん。こっち、おいでよ」
奏羽は、自分が座っている側のコタツ布団を少し持ち上げ、隣のスペースをポンポンと叩いた。
俺は少し迷ったが、彼女の潤んだ瞳に逆らえるはずもなく、コタツの横並びの位置へと移動した。
座った瞬間、奏羽は待ってましたとばかりに俺の腕にギュッとしがみつき、俺の肩に頭を預けてきた。
「……今年、色んなことがあったね」
奏羽が、ポツリとこぼした。
「ああ。まさか、図書室で倒れてたお前と、こうして一緒に年を越すことになるなんて、思ってもみなかったよ」
「わたしも。……湊くんの声を聞いて、初めて安心して眠れた日。……あの日から、わたしの世界は全部、湊くんを中心に回ってるみたい」
奏羽は俺の胸元に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。
「……ねえ、湊くん」
「ん?」
「……スーパーで、湊くんが『覚悟しとけよ』って言ったの、ずっと待ってるんだけど」
「……っ!」
彼女の言葉に、俺の心臓が大きく跳ねた。
あの時は勢いで言った牽制だったが、彼女はそれをずっと意識していたのだ。
「……お前、本当に俺の理性を試すのが好きだな」
「ちがうよ。……わたしは、湊くんに『余裕がない』って思わせたいだけ」
奏羽はゆっくりと顔を上げ、俺の瞳を真っ直ぐに見つめてきた。
コタツの温もりと、彼女の体温。そして、新しい年を迎えるという特別な空気感が、俺の中のストッパーを完全に外した。
「……後悔しても知らないからな」
俺は彼女の細い顎に手を添え、静かに、けれど強い意志を持って唇を重ねた。
「……んっ……」
テレビから微かに聞こえる除夜の鐘の音。
俺たちは、新しい年へのカウントダウンを、誰にも邪魔されないコタツの中で、互いの熱を深く確かめ合いながら迎えていた。
保護者と甘えん坊ではなく、一人の男と一人の女として。
俺たちの同棲生活は、新年と共に、さらに甘く、そして深い領域へと進んでいくのだった。




