第110話:年末の買い出しと、俺の余裕のなさ
コタツという冬の魔物の誘惑に抗いながら、俺たちは年末の大掃除を終わらせ、正月用の食材を買いにスーパーへ向かっていた。
「……湊くん、お正月のお餅って、四角いのと丸いの、どっち?」
「俺の実家はずっと四角い角餅だな。焼いてからお雑煮に入れるんだ」
「へぇー! わたしのお家は丸いお餅だったから、四角いのは初めてかも!」
カートを押す俺の横で、奏羽は興味津々に並んだ鏡餅や食材を見つめている。
私服のコート姿に、俺がプレゼントしたアイボリーのマフラー。彼女が隣を歩いているだけで、周囲の空気が少し明るくなるような気がする。
「よし、じゃあ四角いのも丸いのも両方買うか。翠もよく食べるしな」
「うんっ! あ、わたし黒豆も食べたいな。湊くん、黒豆もカゴに入れていい?」
「いいぞ。……でも、そんなに甘いものばっかり食べて、後で『太ったかも』って泣きついてきても知らないからな」
俺が冗談めかして言うと、奏羽はピタリと動きを止めた。
そして、黒豆のパックを持ったまま、少しだけ不安そうに俺を見上げてきた。
「……えっと、湊くん。わたし、最近少し太った……かな?」
「いや、冗談だよ。全然そんなこと……」
「でも、最近コタツに入ってばっかりだし……湊くんのご飯美味しいから、いっぱい食べちゃうし……。もし、わたしが太って、可愛くなくなっちゃったら……湊くん、嫌いになる?」
彼女の瞳が、本気で潤んでいる。
しまった、と思った。
凪瀬夫人から「完璧」を求められ続けてきた彼女は、こういう部分で変に真面目に思い詰めてしまうところがある。
「……嫌いになるわけないだろ。お前がどんな姿になっても、俺の気持ちは変わらないよ」
俺は慌ててフォローし、彼女の頭を軽く撫でた。
「ほんと……?」
「ああ。それに、お前はもう少し肉がついてもいいくらい細いんだから、気にするな」
俺の言葉に、奏羽はようやくホッとしたように息を吐き、「えへへ……よかった」と嬉しそうに笑った。
そして、周囲の目も気にせず、俺のコートの袖をぎゅっと握りしめてくる。
「……あのさ、奏羽」
「ん?」
「お前、最近……俺に遠慮がなさすぎるっていうか、無防備すぎないか?」
俺は、ずっと感じていた本音を口にした。
「え? わたし、湊くんに何か迷惑かけてる……?」
「迷惑じゃないけど……。家の中でも、風呂上がりに薄着でウロウロしたり、いきなりベッドに入ってきたり。……俺だって男なんだから、いつまでも余裕ぶってられるわけじゃないんだぞ」
俺が顔を少し熱くしながら言うと、奏羽はきょとんとした後、悪戯っぽく微笑んだ。
「……湊くん、余裕なかったの?」
「……うるさい」
「ふふっ。わたしね、湊くんが『余裕ない』って言ってくれるの、すごく嬉しい」
奏羽は、カートの持ち手を握る俺の手に、自分の手を重ねてきた。
「……だって、湊くんはいつも優しくて、わたしのこと子供みたいに甘やかしてくれるけど。……わたしは、湊くんに『ただのお姫様』として見られたいわけじゃないもん。……ちゃんと、湊くんの『彼女』として、ドキドキさせたいの」
上目遣いで、真っ直ぐに俺を見つめてくる。
その言葉に込められた熱量に、俺の心臓は大きく跳ねた。
(……完全に、俺の負けだな)
俺は、彼女が「守るべき対象」から、俺を振り回す「一人の女性」へと確実に変化していることを突きつけられた。
俺が彼女を甘やかしているようでいて、実は俺の方が彼女の手のひらの上で転がされているのかもしれない。
「……わかったよ。お前の勝ちだ」
俺がため息をつきながら彼女の手を強く握り返すと、奏羽は「やったぁ!」と嬉しそうに笑った。
「……でも、油断するなよ。俺だって、やられるばかりじゃないからな」
「えっ?」
俺は少し意地悪く笑い、彼女の耳元に顔を寄せて囁いた。
「……今日の夜、翠が寝た後……覚悟しとけよ」
「ひゃぅっ……!」
奏羽の顔が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
大晦日を前に、俺たちの関係は、甘えと独占欲が交錯する、新たなフェーズへと足を踏み入れようとしていた。




