第105話:クリスマスイブ前夜と、お姫様の秘密特訓
「……湊くん、今日はもう寝室に行ってて! リビング立ち入り禁止だからね!」
クリスマスイブの前夜、十二月二十三日。
夕食の片付けを終えるなり、奏羽は俺をリビングから追い出しにかかった。
「立ち入り禁止って……まだ九時だぞ。俺、テレビ見たいんだけど」
「テレビは翠ちゃんの部屋で見て! とにかく、わたしが『いいよ』って言うまで、絶対に入ってこないでね!」
奏羽は必死の形相で、俺の背中を押して寝室(俺が使っている部屋)へと押し込んだ。
バタン、とドアが閉められ、カチャリと鍵までかけられる音がする。
「……あいつ、本当に何やってんだ?」
俺が呆然としていると、スマホが短く震えた。
翠からのメッセージだった。
『お兄ちゃん、大人しく部屋で待機してなよ。奏羽さん、今から明日のための【最終秘密兵器】の仕上げに入るらしいから』
『最終秘密兵器? ……まさか、あの編み物か?』
『さあねー。とりあえず、私はお風呂入ってから寝るから、あとは若いお二人でどうぞ』
翠からの返信を見て、俺はベッドに寝転がりながら苦笑した。
逢坂結衣から「夜な夜な毛糸玉と死闘を繰り広げている」と聞いてから数週間。
奏羽の指先には相変わらず絆創膏が絶えなかったが、どうやら明日のクリスマス本番に向けて、いよいよ完成が近づいているらしい。
(……どんな形でも、あいつが作ってくれたなら嬉しいけどな)
俺は目を閉じ、彼女の不器用で一生懸命な姿を想像しながら、静かに時間が過ぎるのを待った。
* * *
「……湊くん。起きてる……?」
時計の針が深夜十一時を回った頃。
コンコン、という控えめなノックと共に、寝室のドアがそっと開いた。
「ああ、起きてるよ。……終わったのか?」
俺がベッドから身を起こすと、そこには見慣れたルームウェア姿の奏羽が立っていた。
だが、その顔にはいつものようなポヤポヤとした甘えはなく、どこか疲れ切ったような、けれど達成感に満ちた表情を浮かべている。
「うん。……終わったよ。明日の準備、完璧」
奏羽はフラフラと歩いてくると、俺の隣に腰を下ろし、そのままコテンと俺の肩に頭を預けてきた。
「……お疲れ様。指、痛くないか?」
俺が彼女の絆創膏だらけの手をそっと握ると、奏羽は「ううん」と首を横に振った。
「痛くない。……湊くんが喜んでくれる顔を想像してたら、全然痛くなかった」
「奏羽……」
「あのね、湊くん。明日のクリスマス……わたし、絶対に湊くんを幸せにするからね。……お母様に認めてもらえたことも、わたしが夜眠れるようになったことも、全部湊くんのおかげだもん」
彼女の言葉には、この数ヶ月間で積み上げてきた感謝と愛情が、溢れんばかりに込められていた。
「俺の方こそ、お前がいてくれて幸せだよ。……明日は、二人で最高の日にしよう」
俺が彼女の頭を優しく撫でると、奏羽は「えへへ」と目を細め、俺のパジャマの袖をぎゅっと握りしめた。
「……湊くん。今日は、ここで一緒に寝てもいい……?」
「ああ。翠ももう寝てるだろうしな」
「じゃあ……ぎゅーってして?」
奏羽は布団に潜り込み、俺の腕の中にすっぽりと収まってきた。
甘いシャンプーの香りと、彼女の温かい体温が、俺の身体にダイレクトに伝わってくる。
「……よしよし。明日はいっぱい楽しもうな」
「うんっ。おやすみなさい、わたしの湊くん……」
俺の胸に顔を埋めたまま、奏羽はすぐに規則正しい寝息を立て始めた。
彼女の指先には、いくつもの小さな名誉の負傷。
それを愛おしく思いながら、俺は彼女の額にそっとキスを落とした。
窓の外では、静かに雪が降り積もっている。
俺たちが「本物の恋人」として迎える初めてのクリスマスは、もうすぐそこまで来ていた。




