第10話:氷の生徒会長が落とした特大の爆弾
水曜日の朝。
俺は下駄箱で靴を履き替えながら、昨夜の寝落ち通話の余韻に浸っていた。
『……湊くん……好き』
完全に寝ぼけていたとはいえ、あんな甘い声で囁かれたら、健康な男子高校生として意識しない方が無理というものだ。
俺は一時間ほど彼女の寝息を聞いた後、自分もいつの間にか眠りに落ちていた。朝起きたらスマホの画面には「通話時間:6時間42分」というとんでもない数字が表示されていて、慌てて通話を切ったのだ。
「よっ、湊! おはよー」
背中をバンッと叩かれ、俺はビクッと肩を揺らした。
振り返ると、親友の陸がニヤニヤしながら立っていた。
「お前、なんかニヤけてない? 朝から良いことでもあったか?」
「な、何もないぞ。普通だ、普通」
「ふーん?」
陸と一緒に教室へ向かい、自分の席に着く。
まだホームルームまで少し時間があり、クラスメイトたちは思い思いに雑談に花を咲かせていた。
その時だった。
「——風森くん」
教室の空気が、一瞬にして凍りついた。
いや、比喩ではなく、本当に「シン……」と音が消えたのだ。
入り口に立っていたのは、隣のクラスの生徒会長にして、学園一の美少女——凪瀬奏羽だった。
「えっ……凪瀬会長?」
「なんで、うちのクラスに……?」
ざわめきすら起きない。
成績優秀、品行方正。誰に対しても等しく冷たく、決して個人的な関わりを持とうとしない「孤高の氷の姫」。
そんな彼女が、わざわざ別のクラスに足を運ぶこと自体が異常事態なのだ。
皆が息を呑んで見守る中、凪瀬さんは周囲の視線など全く気にする様子もなく、一直線に俺の席まで歩いてきた。
そして、コトリと、可愛らしいウサギ柄の包みを俺の机の上に置いた。
「な、凪瀬さん? これ……」
「お弁当」
凪瀬さんは、少しだけ俯き加減で、しかしはっきりとした声で言った。
頬はほんのりと赤く染まり、潤んだ上目遣いで俺を見つめている。
「昨日のお礼。……夜、ずっと……朝まで電話、繋いでおいてくれたから」
——ドカァァァンッ!!
教室の中で、目に見えない特大の爆弾が爆発した音がした。
クラス中の視線が、俺の顔と凪瀬さんの顔を凄まじい勢いで往復する。
(ばっ……!! 何言ってんだこの人は!!)
俺は顔から火が出るかと思った。
「朝まで電話を繋いでいた」という事実は、どう好意的に解釈しても「一晩中通話するほど深い仲」であることの証明でしかない。
しかも、あの氷の生徒会長が、俺のために「手作り弁当」を作ってきたのだ。
「ちょ、凪瀬さん……! 声が、声が大きい……っ!」
「……だめ、だった?」
不安そうに眉を下げる彼女に、「ダメだ」なんて言えるはずがない。
それに、よく見れば彼女の指先には、小さな絆創膏がいくつか貼られていた。
不器用な彼女が、俺のために早起きして、慣れない料理をしてくれたのだと一目でわかった。
「いや、ダメじゃない。……すごく嬉しい。ありがとう、お昼にいただくよ」
「……うんっ」
俺が受け取ると、凪瀬さんはパァッと花が綻ぶような、それはそれは綺麗な笑顔を見せた。
その破壊力たるや、クラスの男子数名が魂を抜かれたように「ほわぁ……」と変な声を漏らしたほどだ。普段の氷のような表情しか知らない彼らにとって、この笑顔は劇薬すぎる。
「じゃあ、また……お昼休みに、ね」
凪瀬さんはそれだけ言うと、名残惜しそうに俺の袖口をちょこんとつまみ、小走りで教室を出て行った。
* * *
「……おい、湊」
凪瀬さんの姿が見えなくなった途端、教室中の時間が動き出した。
真っ先に俺の胸倉を掴んできたのは、やはり陸だった。
「お前っ……! いつの間に、あの氷の生徒会長と『朝まで通話する仲』になって、しかも『手作り弁当』をもらう関係に昇格してんだよ!!」
「いや、これはその……」
「『図書委員の仕事でたまたま』なんて言い訳はもう通用しねぇぞ! 吐け! 昨日の夜、何があった!!」
クラスの男子たちも、陸に加勢するようにジリジリと俺を包囲し始める。
「風森……お前、会長のあの笑顔……っ、どういうことだ……っ」
「まさか、付き合って……いや、でも風森だぞ!?」
俺は必死に頭を回転させた。
「ち、違うんだ! これは……ただの、お礼で! その、俺が……勉強を教えてあげたお礼だよ!」
「勉強!? あの学年トップの会長に、お前が!?」
「あ、ああ。俺、日本史だけは得意だろ? 会長、日本史の特定の時代が少し苦手らしくて……それで、電話で教え——」
「嘘つけぇぇぇ!!」
陸が怒号を上げる。
「日本史教えるのに『朝まで通話』するか!? しかもあの子、お前を見る目が完全に『恋する乙女』だったぞ! しかも『お昼休みにね』って、一緒に食う気満々じゃねぇか!!」
俺は反論を諦め、机の上の弁当箱を見つめた。
丁寧に包まれた布からは、やっぱりあの甘いシャンプーの香りがした。
ハンカチの件といい、今日のお弁当の件といい。
凪瀬さんの行動は、どう見ても無自覚な(あるいは意図的な)「マーキング」だ。
「風森くんは、わたしのもの」と、学園中に知らしめるかのように。
(……お昼休み、どうやってこの包囲網を抜け出せばいいんだ……?)
ミステリアスで孤高の生徒会長から向けられる、重すぎる愛情と独占欲。
俺の平穏だった学校生活は、音を立てて崩れ去ろうとしていた。




