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恋と約束の交響曲  作者: 心音
過去編
94/122

第93話『結菜との出会い』


俺がこの施設に捨てられた時、俺に名前は無かった。


俺は雨の日にダンボールの中に放置されて、この、児童養護施設ひまわりの人に拾ってもらった。

その際に書き置きの手紙が入っていることも、身ぐるみ以外の物が入っていることも無かったらしい。

もしかしたら手紙くらいはあったのかもしれないが、その日の天気は荒れていて、もし仮にそのような物があったのだとしても、俺が放置されている間に風で何処か遠くに吹き飛ばされてしまったとの話だった。


だから俺は施設に保護されてからしばらくの間名前が無かった。


もっとも俺に名前が無かった頃の記憶なんて無い。物心ついた頃には『隼人』という名前が付けられていた。


だから俺は『隼人』として生きていた。


俺の名前は親が付けたのではないと知った時、俺は正直言って嬉しかった。

自分を捨てた親に付けられた名前なんかより、自分を大切に育ててくれている施設の人に名付けられたほうが嬉しかった。


これも後から知った事だが、俺の名前を最終的に決めたのは颯恋だったらしい。

何でも、施設の人が俺の名前を考えている時に、颯恋が絵本を持ってきて、その絵本の主人公の名前が『はやと』だったから『隼人』という名前にしたとの事。


この話を聞かされたのが、ちょうど颯恋と仲良くなり始めてからすぐの事で、俺は大好きな颯恋の事をもっと好きになっていた。


好きと言っても、それは家族として好きいう意味だ。

そもそもその頃の俺は恋愛なんてものを知らなかった。

だから好きと言ったら家族として好きというそれだけの意味しかない。


颯恋は俺の家族。

そしてもう一人、俺には家族がいる。


それが――結菜だ。


結菜は俺にそっくりだった。

人と関わろうとしないし、俺と初めて会った時だって素っ気ないものだった。

けれどそれは自分自身を見ているようで、ほっとくことができなかった。

颯恋が俺を変えてくれたように、俺は結菜のことを変えたかったし、変えられると思った。


颯恋が俺に結菜を紹介した理由はそこにあったんだと思う。


似たもの同士であれば分かり合うことができると――。


それは何故か。

簡単だ。一桁の足し算をするように簡単なこと。


同じ痛みを知っているからだ。


結菜は境遇すらも俺と同じだった。

命を落とすか落とさないかの瀬戸際で施設に保護され育てられた。

ただ一つ違う点をあげるとすれば、結菜には最初から『結菜』と名前があった事くらい。


それ以外は何もかも俺と結菜は似ていた。

あまりにも似すぎていた。


颯恋がしてくれたように、俺は結菜に手を差し伸べた。


結菜ならこの手を取ってくれる。

そう信じて――。


......................................................


「――えと、はじめまして。俺は隼人って言うんだ」


「……」


颯恋に結菜のことを任せられたのはいいのだが、一体全体何を話したりすればいいのか分からなかった。


颯恋曰く、昔の俺よりは微粒子ほど多く喋るとは言っていたが、要するに滅多に喋らないということだ。

颯恋と過ごしたあの日々と似たような時間を過ごすのであれば、メンタル面が強くないとやっていけない気がする。


今日もよく晴れ渡っている空を見上げる。

この大空のように広い心を持って結菜と接していかないと心なんて開いてもらえないだろう。


「……結菜って呼んでもいいか?」


「……」


数秒の間を置いて、結菜はこくんと頷く。

言葉はないけれど、コミュニケーションを取れたのは大きな一歩だった。


「じゃあこれからよろしくな、結菜」


「……」


結菜はもう一度こくんと頷いた。

それを確認して、俺は昨日颯恋が教えてくれたことを実践するべく、結菜の前に手を差し出した。


「……?」


結菜は首を傾げる。

俺の顔と手を交互に見て、どういうこと?と言うようにもう一度首を傾げた。


「握手だ。手と手を使って取れる簡単なコミュニケーションって颯恋が言っていた。主に仲良くなりたい時に使うとか? だからさ、ほら」


俺はまだ戸惑っている結菜の手を取る。

それは柔らかくて、あたたかくて、けれどもびっくりするくらい小さな手だった。

一度このあたたかさが消えかけていたなんて信じられないほどに、この小さな手には生きているという実感があった。


「この握手は俺たちが仲良くなれる為の一歩ってことにしようぜ」


握った手はそのままに、結菜は恥ずかしさからなのか顔を伏せた。


「……結菜」


「……えっ?」


結菜のゴールデンイエローの瞳に引き込まれるように見つめ合う。

顔の前に掛かっていた前髪をサッと横に払い、ほんの少しだけ俺から視線を逸らした。


「……僕の名前です。いくら僕の名前を知ってからとはいえ、名乗らないのはその……礼儀がなってないから」


女の子で『僕』って一人称を使うのは珍しいなと思った。

けれどそれ以上に、こうして自己紹介をしてくれたことに驚きを隠すことができなかった。


「えと、どうしてそんなに驚いているんですか」


「あ、悪い。その何ていうか……拍子抜けというか」


「拍子抜け……ですか。ああ、何となく分かった。塞ぎ込んでいるって思っていたのかな? えーっと……」


チラチラと俺の顔を伺う。

なんて呼べばいいのか分からないのかもしれない。


「隼人でいいぞ」


「そうですか。では隼人と呼ぶことにします。隼人は変わらず僕のこと結菜って呼んでもいいから」


結菜は変わった喋り方をする女の子だった。

敬語なのかタメ語なのか分からない。敬語で喋ろうとしているんだけど、いつの間にかタメ語になってる感じの喋り方。

きっと本人の意図は無いのだろう。あまりにも自然な喋り方で、作っているという疑惑は一瞬で無くなった。


「隼人のことは颯恋さんから聞いています。僕と同じだと」


同じ――。


親に捨てられたこと。


そのせいで命を落としかけたこと。


彼女の言うとおり、俺たちには多くの共通点があった。


「僕は颯恋さんに言われたんです。いつまでも塞ぎ込んでいても現実が変わることは無いって」


「それは俺も前に言われたことがあった」


「ああ、やっぱりですか。隼人はどう思ったの?」


「それでもいい――。あの時はそう思っていた。けど、変わったよ。今はそんなこと思ってもいない」


「なら……僕と同じですね」


手はまだ握られたままだった。

俺たちは今、手を通して一つに繋がっている。

指先の小さな動きだけで結菜が何を思っているのか伝わるし、握る手の強さで結菜の感情すらも読み取ることができた。


それは俺たちが似たもの同士だから――。

他の人では分かり合うことなどできない。

俺と結菜だからこそ――分かり合える。


手だけではなく、心の方にも結菜との繋がりを感じていた。


まだ出会って15分も経っていない。

けれど何年も前からずっと一緒にいるような不思議な感覚。今日初めて会ったという感じが全くしなかった。


「颯恋さんの狙いはここにあったんですね。僕たちならこうなるってあの人なら分かっていた」


「今だから分かる。颯恋はきっと、ずっと昔から俺たちをこうしたかったんだろうな」


「どんなに綺麗に凍っている氷も、濁っている氷も、元をたどればただの水です。僕たちの心の闇を颯恋さんのあたたかさが溶かしてくれた」


「……颯恋ってすごいよな。本当にすごいと思う」


「そりゃそうですよ。だって颯恋さんは僕たちのお姉さんだから」


この施設の子どもたちの支えになっているのは職員の人ではなく颯恋の存在だった。

颯恋の年はここの子どもたちの中では一番上だが、それでも俺たちとあまり変わらない。


「僕たちと同じ子どもなのに、誰よりも大人びて見えます。それは颯恋さんの持つ親和性と絶対的な信頼性、人徳。それと言葉巧みに人を操る言語能力が織り成す賜物なんだよ」


「思えば俺たちがやたら難しい言葉を覚えたのって颯恋のせいだよな。颯恋に影響されていろいろ調べたりしてさ」


「やっぱり隼人もそうだったんですね、僕もだよ。僕たちは子どもだからね。一番近くにいる人の真似をしたくなるものなんだよ」


真っ先に颯恋の顔が頭に浮かんでくるのはやはり、一番近い存在だからなのだろう。

実の家族よりも近い存在というのは他人から見れば滑稽なものだ。


「それは本来であれば親に影響されるものです。子どもは親に教わったことを真似して成長していく。子どもの将来の形は親の形と同じか、それともまるっきり正反対の二択だから」


結菜は床に落ちていた紙を拾い上げる。

それをそのままぐしゃりと握り潰し、部屋の片隅にあるゴミ箱に向かって投げ捨てた。


「僕と隼人は親に捨てられた。親の何かに影響されることも、親の真似をすることもできないまま、あの紙のようにポイッと捨てられた」


大きく山なりに投げられた紙は時間差でゴミ箱の中に消えていった。


「子どもは資源じゃないです。リサイクルして再利用することなんて出来ません。人間の命は捨てたら元通りに戻ることは無い。表現は悪いけど使い捨てカイロみたいなものだよ。冷たくなってしまったら最期。もう二度と温かくなることはない」


淡々と語る結菜。

常人であれば聞きたくないと嫌がりそうな話かもしれないが、結菜の瞳は驚くほどまっすぐだった。


「けれど親の代わりに僕たちには颯恋さんがいたんです。だから今の僕らが在る。今でも僕を捨てた親のことは憎い。憎んでも憎めきれないくらいにね。だけどたった一つだけ感謝してるんだよ」


「それは?」


「――僕を産んでくれたこと、ですよ」


「……」


結菜は静かな口調になって言葉を続ける。


「僕らの親が産んでくれなかったら、こうして颯恋さんと隼人に出会うことも無かったんですから。そう考えると……滑稽だよ、本当に」


「……そうだな」


「隼人は今……幸せを感じていますか?」


俺は分からないと首を振る。

すると結菜はほんの少しだけ握る手に力を込めた。


「……僕は今幸せを感じています。けれど家族の元で生きるのが幸せだったのか。颯恋さんの元で生きるのが幸せだったのか――。その答えは分かりません。けれど――」


フッと結菜が微笑んだ。

俺の前で見せてくれた初めての笑み。


「……っ」


思わず息を飲んでしまう。

結菜の微笑みは星のようだった。

心に闇を抱えながらも、夜空を輝く一等星のように綺麗で、そして花火のように儚い。


「――けれど、今が幸せならそれでいいのかもしれませんね」


「結菜……」


結菜がそれ以上口を開くことは無かった。

無言の時間を共に過ごすのも悪くないと思い、俺もそのまま口を閉ざした。


それでも手だけは繋いだままでいた。

結菜と気持ちを共有できる。

言葉にしなくとも伝わってくる。


「……」


不意に、肩にも温もりが生まれた。

瞳だけ動かして見てみると、結菜が肩にもたれ掛かってきているようだった。

微かに寝息のようなものも聞こえる。


「――仲良くなれたんだね」


「……颯恋」


振り返りたくても結菜が肩で眠っているから動くことはできない。


「そのままでいいよ。振り返らなくても話はできるもんね」


「颯恋がこっちに来ればいいだけの話じゃないのか?」


「邪魔しちゃ悪いよ」


くすりと笑うと、颯恋はどこか悔しそうにため息を吐いた。


「私ね、ゆーちゃんが笑ってるところ、さっき初めて見たよ」


ゆーちゃん……。

結菜は颯恋にそう呼ばれていたのか。


「私の前じゃ一回も笑ってくれなかったのにな。はーくん、ゆーちゃんに何をしたの?」


「何もしてない。ただ……手を繋いでいただけだ」


「ふふっ。じゃあそういう事にしておいてあげる」


多分颯恋は事の成り行きを見届けていたはずだ。

だって颯恋はとんでもないくらい心配性のお人好しなのだから。

もし何か問題が起きた時にすぐに仲裁できるようにしていたに違いない。


「なぁ、颯恋」


「ん? 何かな?」


「ありがとう。結菜と俺を惹き合わせてくれて」


「……どういたしまして。でもその言い方だと、まるで恋人同士になったみたいだよ? 私、そんな場面は見てなかったなぁ」


「……引き合わせてくれて、だ」


「まあでも私はー……二人が恋人同士になってもいいかな?って思っているけどね」


「……」


肩で眠る結菜を見る。

俺たちはまだまだ恋愛なんてするような立派な年齢ではない。


「恋はきっと素敵なものだよ。空のように広がる果てしない想い。水のように透き通った純粋な気持ち。そして――心に響く歌のようなもの」


「颯恋は好きな人がいるのか?」


「ううん。今はいないよ」


即答だった。

だがすぐに言葉を続ける。


「でもね、いつかきっと……そんな素敵な恋をしたいって思ってるんだ」


それは颯恋の願い――。

今颯恋がどんな表情を浮かべているのか、安易に想像することができた。


「――頑張れ」


だから俺はそう言葉を贈った。

いつか颯恋の願いが叶うことを祈って。

自分を救ってくれた颯恋に、何か一つ恩返しをしたいという思いを胸に秘めて。


「……うん。頑張るよ」



to be continued

心音です。こんばんは。

今回のお話は結菜について触れてみました。


隼人と結菜は孤児。

そして二人とも親に酷い捨てられ方をしている。一歩間違えれば死んでいたという状況。お互いの経験が、お互いを引き付け合う。


それでは次のお話でまたお会いしましょう。

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