第65話『ヒマワリ』
「お前が登りきってから俺が登った方がいいか?」
既に屋根裏部屋に登り始めている雪原の背中に俺は声を掛ける。
「スカート穿いてる訳じゃないしそのまま私に続いてきてもいいんだけど、ハシゴが壊れでもしたら大変だから登りきったあとにお願い。早めに来てくれたほうが安心するけど、怪我しないようにね」
集中しているから答えは返ってこないと思いきや、雪原は暗闇から目を離さずにそのままの体勢できちんと受け答えをしてくれた。
しかし雪原の口から安心という言葉が出てきたのには正直驚いた。何でも完璧そうに見える雪原も、やはり人間なのだと失礼ながら思ってしまう。そして、そう実感することによって心のどこかで安心してしまうのだ。
「微妙に薄暗い……。懐中電灯はっと……」
頭だけ屋根裏部屋へと入れている為、雪原の声はくぐもって聞こえてくる。
後ろに伸ばした手で、尻ポケットに突っ込んでいた懐中電灯を器用に取り出してカチッとスイッチを入れる。そして顔と入り口の隙間から光源を投げ入れた。
ゴロンゴロンと、懐中電灯が床を転がる音が真下にいる俺たちにはよく聞こえた。やがて何かにぶつかったのか転がる音はピタリと止み、不自然な静寂が死の世界へと誘う死神のようにゆっくりと俺たちを包んでいった。
「……雪原?」
無言のままの雪原。
どうしたのかと不安になり始めたところでその身体が動き、その体は完全に屋根裏部屋へと入っていった。
俺は雪原に言われた通りになるべく早くハシゴを登っていく。鉄製のようで周りの壁よりは丈夫そうに見えるが、雨風にやられてかなり錆びている。
ハシゴが壊れでもしたら大変という雪原の言葉はこの状態を見てのものだったのだろう。確かにこれだと二人で同時に登ったら下手したら中間あたりで真っ二つに折れてしまいそうなほどガタが来ている。
慎重になりながら一歩一歩登って俺は屋根裏部屋へ顔を出した。
その瞬間嗅ぎとった匂い――それは小学校の図工室のようなものだった。
俺は部屋の全貌を見るために残りの段を素早く登りきって立ち上がった。
スンと鼻につく絵の具の匂い。あちこちに棄てられたように放置されたキャンバス。
「ここは……」
アトリエという場所だろうか。
画家が絵を描く時に使う絵のための部屋。
懐中電灯を使わずとも、天窓から射し込んでくる淡い光のおかげで目が慣れてしまえば部屋の様子は簡単に見て取れた。
ぐるりと俺は視野を広げてアトリエ全体を見渡す。
「……!」
無残に放置された絵のうちの一つ。
俺はそれに目を奪われていた。
絵の才能無くても、その価値が分からなくても、そこにある温かさだけは手で触れたようにはっきりと感じ取ることができる。
天窓から射し込んできた微かな光は、まるで小さなスポットライトのようにその絵を照らしあげていた。
「――その絵、すごいと思わない?」
絵に魅入っていた俺に雪原が少し興奮したような口調で話しかけてきた。
俺は絵から視線を離すことなく無言で頷く。
「他の絵もなかなかな作品だと思うけど、この絵だけはずば抜けている。絵から感じられる何もかもが違う。ほんと……素晴らしいの一言に限るわ」
雪原がここまで言うのも珍しい。
いやしかし、この作品は誰が見ても同じ気持ちになるに違いない。
「――お二方は何を見て……これは……」
いつの間にか後ろに立っていた十堂も絵を見た瞬間に惹き込まれていた。
感情表現の乏しい十堂ですら驚愕の表情を浮かべている。
「……」
絵の中の女性は罪無き聖母のように優しい表情で自身の腕の中にいる赤ん坊を見つめていた。赤ん坊の表情も穏やかなもので、優しさに包まれた母親の腕の中で心地良さそうに眠っている。そしてその二人を包み込むように父親らしき男の人が母親の後ろで大きく手を広げていた。
ハッと我に返って視線を動かす。
どれだけ絵に魅入っていたのか、屋根裏部屋にはいつの間にか全員が揃っていた。12の瞳が見つめる先にあるのはたった一点。誰もがこの圧倒的な素晴らしさを前に目を奪われているのだ。
「……本当に……幸せ、だったんだね」
「古宮お前……」
古宮は泣いていた。
「……この絵、見れば……分かるもん。どれだけ、幸せだったのか。どれだけ……この家庭に、笑顔が……溢れていたのか。なんで……こんなことに、なったんだろうね……」
それはきっとこの絵を見て共感した誰しもが思っていること。
「――これはあくまで私の想像だけど……母親の方は多分もうこの世にはいない。けれどももしかしたら……子どものほうはまだ何処かで生きているんじゃない?」
沈みかけていた空気が雪原の言葉によって浮上していく。
「……どうしてそう思ったんだ?」
「ごめん。決定的な根拠があるわけじゃないの。ただ……生きているような気がした」
「お前らしくない曖昧な解答だな」
雪原は腕を組んで目を閉じ、自分の考えを述べ始める。
「母親は死んでしまったけど、子どものほうは生き残っていた。そして何処かそういった子を引き取るような施設で今は暮らしている。もしも父親のDVならば父親と一緒に暮らすことは出来ないから。そう私は考えた」
「施設……いわゆる児童養護施設的なやつか? テレビとかでそういう場所があるってよく聞くけど実際には見たことねーな……」
「……ハルカも。この街にも、そういうところ……あるのかな?」
「俺は見たことないな……。というかあるなら結構目立つような気もするぞ」
「……うん、だよね。ハルカも、ずっと、この街にいるけど……そういう場所が、あるなんて……聞いたこと、ないよ。つもりちゃんは?」
「私は反町と同じで二年前にこの街に来たからそこまで詳しいわけじゃないのよ。たまに探検とかはするけど見たことない。夜乃会長はどうなんですか? 確か遥香と同じ中学校に通っていたはずですから結構前からここに住んでるってことですよね」
「うん。私は遥香ちゃんと同じでいっちゅー……桜見丘第一中学校だったからね。というか、私は生まれも育ちも櫻美崎――あ、でも優誠くんとつもりちゃんは知らないと思うけど櫻美崎って昔は櫻美丘って街名だったんだよ」
「へぇ……それは知らなかった。でもなんで改名したんですか?」
「うーん……ごめん。さすがに私は分からないかな。遥香ちゃんは?」
「……ハルカも、知らないです。あまり、興味も無いですし」
「変える意味があったのかも疑問なところだなそれ。まあ俺はもともとは外部の人間だったからあまり関係ない話だ」
「話脱線させちゃったの私だけど、関係の無い話はこれくらいにしておきましょう」
そうして、話は再び施設のことに戻っていった。
「……」
俺は黙って四人の話を聞いているだけだった。
何も語らずにただただ黙り込んでいた。
何も……話したくなかった。
そして、そう思っているのは俺だけじゃなかった。
「……」
十堂と会話に参加することなく、珍しく厳しい表情を作っていた。
けれど俺とは違って十堂は何かを言いたいように見えるのは勘違いではない。
言いたいことがあるけど言い出せない――。
感情が表に出ている十堂の思考を読むことは容易いものだった。
「どうした、十堂。無表情キャラのお前らしくない顔してるぞ」
「……隼人先輩」
十堂はそんなことはどうでもいいと言うように静かに首を振った。
「皆さんが知らないことを知っているというのは誇らしくもありますが、時にすごく残酷なものだとわたしは思います」
「……というと?」
「分かっているのなら聞いてくる理由なんて無いですよね」
どうやら俺の思考も十堂にはお見通しらしい。
嘘を吐き続けるのも馬鹿らしく思い、俺は潔く折れることにした。
「そういえば十堂も昔はこの街に住んでいたんだったな。だからか? 覚えているのは」
「ええ……まぁ」
歯切れの悪い返事だったが、俺はあえて突っ込まずに話を進めることにした。
「ずっとこの街にいても住んでいる場所が違えば分からない。古宮と榊先輩は駅の向こう側。そして施設がある……いや、あったのは反対側だからな」
「児童養護施設ひまわり――。親に捨てられた子や暴力などを振るわれた子を育てる為の特別な施設です」
俺は目を丸くする。
あったことを知っているだけではなく、名称まで覚えているとは正直思わなかった。
「よく知っているな。近くに住んでいたのか?」
「……まぁそんな感じですね。ですので印象に残っていました」
「なるほどな……」
どこか曖昧な返事に俺は頷く。
児童養護施設ひまわり。あの場所はもう何年も前に閉鎖されてしまい、今は何も無いただの空き地となっている。
「なぁ十堂。さっきの写真もう一度見せてくれないか?」
「いいですけど……?」
「サンキュー」
渡された写真を裏返す。
そこには予想通りこの写真を撮った日付がボヤけた文字で書かれていた。
「……今から約12年前っていったところか。施設が閉鎖したのは8年前だからその間の時間にこの家で何かが起こり、娘が施設に引き取られた――。そんな感じになるのか?」
「施設に引き取られているという線ならばそうに違いないと思いますよ。けど――」
「けど?」
「……」
何かを言いかけて、十堂は俺を見つめたまま黙り込んでしまった。
何を考えているのか、そこに表情があれば読み取れたのだろう。しかし今の十堂にはそれがなかった。いやしかしこれが十堂の本来のあるべき姿なのだ。無表情で無感情――たまに見せる小さな感情の乱れ。それが十堂恋歌という女の子の特徴なのだから。
「――なぁ、十堂」
何故今この事を思い出したのか。
『――あの日の約束、覚えてますか?』
今だからこそ思い出したのか。
気づいたら俺は知らず知らずのうちに十堂のことを呼んでいた。
「――言いませんよ」
けど次の言葉を遮られた。
的確な意思を持った瞳、何人たりとも発言を許さない氷点下の表情に俺はたじろぐ。
「それは先輩が自ら思い出してください。でないと意味がないんです。だからわたしからは言いません。でも一つだけ言うのであれば――」
グレー色のどんよりとした雲間から一筋の光が地上に射し込んだように、十堂の表情に花が咲いた。
「先輩が知らず知らずのうちに、約束は守られているんですよ。内容が思い出せずとも、先輩はあの日の約束を確かに守っているんです」
それはこの場にはあまりにも合わない笑顔で、春に見たあの笑顔と瓜二つだった。
でもそれはの刹那の如く一瞬のことで、あの日御桜丘で見た時と同じように咲いた花は萎んでいった。
「それだけは伝えておきたかった。大袈裟かもしれませんが、あなたのおかげでわたしは今を生きていると。だからもしかすると約束なんてどうでもいいのかもしれません。隼人先輩がわたしの側にいてくれるだけで約束は果たされるのですから」
そこまで言って十堂は口を閉じた。
「少し……話しすぎましたね。でも――良かったです。言いたかったことは言えましたから」
「十堂」
俺はもう一度十堂の名を呼んだ。
「何ですか?」
そして心に決めたことを十堂の瞳を見つめてはっきりと伝えた。
「俺絶対に思い出すから。だからそれまで待っていて欲しい」
「待っていて欲しい――おかしなこと言いますね。約束はもう守られているんです。全てを知らずともそれでいいんですよ?」
「それでも……思い出さないといけない気がするんだ」
そう思うのは約束を思い出せないからではなく、思い出さなければいけない気がしたからだ。
俺は彼女が何者で、何時何処で出会い、何を約束をしたのかを知らなければならない。それを思い出せばもしかしたら……俺の中の抜け落ちている記憶が正しい形で全て戻ってきてくれるような気がするのだ。
「隼人先輩に取って過去の記憶というのは開けてはいけないパンドラの箱なのかもしれませんよ。好奇心や興味本位で思い出したら最後、先輩がどうなるかなんて分かりません。忘れた記憶というのは自らが忘れたいと願ったから忘れたのかもしれない。それでも先輩は箱を開けると言うのですか?」
俺のことを心配してそう言ってくれているのだろう。けどきっと大丈夫だ。十堂がパンドラの箱なんて話を出しくれたからこそだろうが俺の中に小さな希望の光が灯った。
「パンドラの箱は開けてしまったら災厄が飛び出してくる。けど知ってるか十堂。あの箱の中には最後――希望が残ったんだ」
「それは箱を早く閉じたからです。記憶は取り戻してしまったら早々に捨てることはできない。それでも思い出そうとするのであればわたしは止めません」
ふと、十堂はまるで俺の欠落した記憶について知っているような言い方をしているのなと思った。
だから答えてくれないを承知で、俺は十堂に問いかけた。
「十堂。お前は――何者なんだ? 俺の何なんだ?」
数秒の間のあと、十堂は無表情に笑った。
それは何もかも諦めたような空っぽな言葉だった。
「わたしは隼人先輩の後輩です。今はそれ以上でもそれ以下でもありません」
「……そうか」
「そうです」
これ以上話すことはないと言うように十堂は俺に背を向けた。
「……?」
同時に十堂のその背中がピクリと揺れた。
何かに気づいたようにその場にしゃがみ込み、何かを拾い上げる。
背中越しでは十堂が何を見ているのか分からない。けれども肩が震えているのだけは見て取れた。
「……そうですか。そういうこと……ですか。――が一緒――――……ただの偶然じゃな―――ですか……」
何かを呟いているようだったが、段々と小さくなっていく声のせいでところどころ聞き取ることは出来なかった。
やがて十堂は手にしていた何かを自分のカバンにねじ込むように乱暴にしまうと顔を伏せた。
さすがに心配になり、俺は十堂に声をかけようと近づいたその瞬間だった。
「――殺してやる」
その憎悪の塊のような言葉に、俺は出かかっていた言葉を飲み込んだ。
今のは幻聴だったのではないかと、俺は耳を疑ってしまう。それほどまでに信じられない言葉だった。
「……つもり先輩。そろそろ帰りませんか?」
少し離れたところで話し合いをしていたみんなに十堂は冷えた口調で話しかけた。
雪原は十堂が何故いきなりそんなことを言い出したのか分からないという表情をしていたが、十堂を見るやその態度を改めた。
「そうね……。特に何も分からなかったわけだし、こんなところに長居するくらいなら何処かファミレスにでも行って話の続きをしたほうがいいかも」
「俺は別にそれでもいいが……まだ調べてないところあるだろ? そこはいいのか?」
普段の反町ならばこんな事は言わない。もっと空気を読むはずだ。反町のいる位置からは雪原が壁になって十堂の様子は伺えない。雪原もそのことは分かっているから不審がられない自然な動作でその場を離れた。
「まぁいいじゃない。どうせ何も出てこないわよ」
「――それもそうか。夜乃先輩のこともあるしそろそろお暇するか」
十堂を見るや反町も考えを改める。
榊先輩と古宮は状況を理解してはいなかったようだが潔く頷いてくれた。
「浅川もいいわね?」
「……ああ」
俺の頭は帰るという事よりも、十堂の言葉でいっぱいになっていた。
『――殺してやる』
あの時十堂は何を見ていたのだろうか。
それが分かるのは十堂自身。俺には分からない。
だからこそ不安だった。
今の出来事がこれからどう動くのか。それがただただ不安だった。
to be continued
心音です、こんばんは。
謎が更に深まっていく今回のお話。
そして非常に中途半端ですが廃墟探索編はここで幕を閉じます。
結局のところ廃墟探索というのはただの建前だったのです。ホラー展開を期待していた方には申し訳なく思っています。
それでは次のお話でお会いしましょう。




