第64話『セイイキ』
「……」
ギシギシと歩く度に階段が軋む。
一階の部屋のように雨風にやられて劣化こそしていないが、建物自体が古くいつ倒壊してもおかしくはなさそうだった。
今のこの家の状態で人が住むことは不可能に近い。階段を上がる際に埃が積もっているのが見て取れた。掃除をしていないにしても、もし人が住んでいるのであれば足跡が残っていてもいいはずだ。
やはり仮定は仮定。こんな生活感のない空間に生身の人間がいるはずがない。雪原の写真に写っていたのは幽霊に間違いないのだ。
「さすがに全員でいっぺんに上がるのは無理があったわね。ものすごい軋んでるし……抜け落ちたら大変ね。上にあがれなくなっちゃう」
「問題点そのなのかよ……。まあそこまで体重あるやついないから平気だろ。たかが六人くらいどうとでもなる」
「隼人先輩、エレベーターの体重制限じゃないですから、この重量までは大丈夫ってのは無いんですよ?」
「言うて六人の体重合わせたところで300kgもいってないだろ」
その言葉に反応して古宮が振り返る。
階段だから高低差があり、わりかし身長差のある二人でも今はそう大差がなかった。
「……反町くん、女の子って、君が思うほど……軽くは、ないんだよ? 上半身に、胸っていう、重いもの……抱えてるんだから」
「重いものなんかじゃない。女の子の胸には夢と希望が詰まっている」
「……詰まってるのは、夢でも、希望でもなくて……脂肪、だから。寝言は、寝てから……言ってね?」
そう言うと古宮は、目で追うことのできない速度で反町の顔を鷲掴みにした。
「え、痛い。痛い痛い。アイアンクロー痛い痛い痛い。遥香ちゃん!? 痛いから!!ねぇ痛い!!」
メキメキという音が聞こえてきそうなほど古宮は指に力を入れている。
本気で痛がる反町を見ても古宮は力を弱めるつもりは一切無いらしく、怒りをそのまま固めたような冷たくも感情的な笑顔のまま握り潰しにかかっていた。
「ふ、古宮それくらいにしておけって。反町の脳細胞が死滅して余計に約立たずになる」
精一杯の言葉で古宮を止めようとしたら、胸のあたりに軽い衝撃。見てみると力なく反町からのツッコミが入っていた。
「おい……隼人。おま、そんなこと言うくらいなら……俺が約立たずになる前に、さっさと……行動で、遥香ちゃんを……止めてくれよ痛い痛い痛い」
「……どうでもいいけど、あんた達緊張感無さすぎ。場所考えてね?」
口調は怒り気味だったが、その表情には笑みが見えていた。
「あははっ、三人とも面白い」
ずっと黙り込んでいた榊先輩も俺たちを見て少しは気分が晴れたのか、口元を手で押さえて微笑していた。
笑顔を浮かべる榊先輩を見た古宮は満足気に反町から手を離した。
万力のような締め付けから解放された反町の顔は、見間違いだろうがほんの少しだけ小さくなっているように思えた。
「し、死ぬかと思った……。遥香ちゃんの腕のどこにあんな力が隠されているんだよ」
「女の子を怒らせたら怖いってことだな。また一つ勉強になったじゃないか反町」
「怖いなぁ、女の子って」
握り潰されかけていた顔を撫でながら反町はマリアナ海溝よりも深いため息を吐いた。
「わたしの胸は脂肪よりは、夢や希望のほうがまだ詰まっているような気がします」
控えめな胸を両手で持ち上げながら十堂はポツリと呟いた。
俺は発展途上の十堂の胸からさり気なく視線を逸らしておくことにした。
「――はいはい。おふざけは一旦やめてくれる?」
雪原の一言で緩んでいた空気が一気に引き締まるのを肌で感じ取る。
切り替えの早さはそこら辺の人達と比べると圧倒的なものがある。
全員が階段を上がりきったところで雪原は再び口を開いた。
「二階の探索を始める前にみんなで少し報告会をしましょうか。何か分かったこと、気づいたことがある人だけ発言してくれる?」
一瞬の間の後に十堂の右手が天をついた。
「はい、恋歌。発言どうぞ」
「ではお言葉に甘えて」
一歩前に出た十堂がカバンの中から長方形の紙のようなものを取り出した。
よくよく見てみるとそれは一階の壁に貼ってあった写真だった。どうやら持ってきていたらしい。
「これは一階の壁に貼ってあったのを持ってきました。見つけたのはわたしじゃなくて隼人先輩ですけどね」
ちらりと俺の方に目伏せする。
俺がこくりと頷くと十堂は言葉を続ける。
「写真に写っているのは確定的にこの家に住んでいた人たちだと思います。母親とその娘――写真を撮ったのは父親と推測しています」
「その写真ちょっと見せて」
「どうぞ」
指で弾いて写真を投げ渡す。
くるくると回転して雪原の元へと一直線に飛んでいった写真を何事も無かったかのように雪原は掴み取った。
「――なるほどね。ありがとう」
写真をパッと見てそのまま十堂と同じように弾き飛ばして返す。
「いえいえ」
しっかりと手の中に収まった写真を十堂はカバンの中に戻した。
繊細な技術が無いとできなさそうなことを平然とやってのける二人に感服しながら俺は雪原に訊ねることにした。
「お前は何か分かったことあるのか?」
「私? 私はそうね……みんなが分かっていることはきっと全部分かっている。だから私から言うことは今は何も無い」
「今は――ね。なら報告会を続けた方がよさそうだな」
「そうして」
雪原の考えは、俺たちに気づいたことや考えたことを報告させあい、何か間違ったことなどを言った時に雪原自らがそれに対する意見を言っていくというものだ。
俺たちの仲間内で何か真面目なことを話し合う時はいつもこのような形をとる。
このやり方が成り立つのは雪原の存在があるからだ。全ての事柄を広い視野で見通し、奥深くに隠された真実を正確に掴み取る。
そんな事を言うのであれば何もかも雪原がやれば解決かと思うだろうが、実はそうでもない。これでは全て雪原に頼ってしまうことになり、俺たちの中の自主性、強調性というものが欠けてしまう。だから雪原はそこを気遣っているから俺たちにわざわざ意見させるのだ。
「俺も気づいたことがある。多分お前らは察しがいいからもう気づいているかもしれないが、窓ガラスは外側からじゃなくて内側から割られているってことだ」
「……あ、そうなんだ。ハルカ、全然、気にしてなかったよ」
「優誠先輩が今言ってくれたことはわたしと隼人先輩も気づいてますね。遥香先輩は何か気づいたことはありますか?」
「……んー、ハルカは、これといって何も。でも、強いて言うなら……足音?」
「足音?」
「……うん。でもこれは、ここに入る前にも、聞こえてた。まるで……ハルカ達を、追ってくるように」
「……」
そういえばと俺は思い出していた。
学校からここに来る際、俺も足音のようなものを聞いていた。勘違いでは無かったということになるのだが……そうなると誰が俺たちを追っていたのかという話になる。
ちらりと雪原のほうを見るが口出しをするつもりは無いらしく黙って俺たちを見守っていた。
「俺は気づかなかったな……。恋歌ちゃんは?」
「わたしも何も。それはいつくらいの話ですか」
「……みんなで、学校に、集合して……ここに来たじゃん? その時に、聞こえていた。あとは、一階にいる時、ハルカ達以外が、発した音が、あったの。それは多分……足音、だった」
「なるほど……。えと、夜乃先輩は何か足音的な音を聞いていましたか?」
「……ごめんね、私はほら、怖くてずっとつもりちゃんにくっついていたからそれどころじゃなかったよ」
申し訳なさそうに榊先輩はペコリと頭を下げる。
「あ、いえ、全然大丈夫ですよ。それはしょうがないことですし、わたし達で何とかするので夜乃先輩はつもり先輩から離れないようにしててくださいね」
「恋歌ちゃん……ありがとう」
「……後輩に、フォローされる、先輩の図。なんとも――もがもが」
「やめろ古宮。榊先輩に聞こえたら大変なことになる」
何か危険な発言をしようとした古宮の口を俺は塞いでおいた。
「他に何かありますか?」
一部始終を見ていた十堂は苦笑いしながらみんなの顔をざっと見渡すが、新しい発言はこれ以上出てこなかった。
「――はい。じゃあ次は二階の探索を始めましょうか」
結局雪原からの意見は無いまま報告会は終了し、そのまま二階の探索を始めることになった。
足音のことも雪原にとっては些細な問題ということなのだろう。
「……」
雪原を除けば俺と古宮以外は足音を聞いていない。加えて、あの十字架のような杭を持っているのも俺と古宮だけ。
偶然と言ってしまえばその言葉だけで簡単に片付けることが出来ること。しかし、どうも引っかかるものがある。ただの偶然ではない。そう感じてしまうのだ。
「……ここは子ども部屋みたいですね」
「そうみたいね」
俺たちが最初に入った部屋は子ども部屋のようだった。不思議なことにこの部屋は一階の悲惨な状況と比べると打って変わって綺麗の一言に限る。
壊れた物も無いし、窓だって割れていない。ベッドのシーツはピシッと整えられているし、勉強机の上に開かれたままのノートは、後でやるからと放置したように積み重ねられた少女マンガの横に置いてあった。
「この部屋だけは他のところと全然違いますね……。なんて表現すればいいんでしょうか……。守られていた? 汚してはいけない聖域のようなものですかね。他のところはどうでもいい。でもこの場所だけは守り抜きたい。形がそのまま残っているということはそう言った思い入れがあるということです。でなければきっとこの部屋だって他の部屋と同じような状況になっているはずですからね」
「守りたい――か。確かにその通りかもしれないな。ざっと今他の部屋見てきたんだが、一階と同じような惨状だった」
遅れて部屋に入ってきた反町が十堂の言葉に頷いていた。
「こら反町。単独行動するなって最初に言ったの忘れたの?」
「まぁそう言うなって。一応みんなの姿が確認できるところにはいたんだからさ」
「そういう問題じゃないから。何かあってからじゃ遅いんだからね?」
少しキツめの口調に反町はあっさりと折れる。
「悪かった。今からはちゃんとみんなと行動する」
「それでよし。でもまぁ見てきたのなら上に行く為の場所も見つかった?」
「いや、それが見つからなかった。もしかしたら三階があるわけじゃなくて、屋根裏部屋があるのかもしれないな」
「ならみんなで探しに行きましょう。この部屋は荒らしちゃいけない」
ドアに近い人から順番に部屋を後にし、最後に雪原が出てゆっくりとドアを閉める。
ガタの来ていたドアは木が軋む音を響かせながらバタンと閉まった。
「……あ」
ドアの少し上の方――そこには長方形のプレートがあり、子どもが書いたような可愛らしい文字で『ゆうかのへや』と書かれていた。
「――ゆうかって名前なんだな。あの写真の女の子の名前」
反町がひっそりと呟いた。
名前を知ってしまうと、妙に感情移入してしまうものがある。名前も知らない子だったから何処か遠くに感じてこれといった感情は生まれてこなかったけど、名前を知ってしまった今、その存在を身近に感じてしまう。
「……行きましょう。感傷に浸るのは今じゃなくてもいいはず」
「……そうだな」
子ども部屋をあとにした俺たちが次に入ったのは寝室らしき部屋だった。
刃物か鋭い刃のようなもので引き裂いたのか、シーツと枕は原型が無かった。泥棒が入った後のように無作為に開けられたタンスからは無数の女性物の服や下着が散乱している。
「――ここには無さそうね」
床の惨状など気にもせず、天井を見上げて屋根裏に行く為の道を探していた雪原は目的のものが無いと分かるが早し、部屋をあとにして次の部屋に向かった。
「空き部屋……みたいですね」
次の部屋は十堂の言う通り空き部屋のようで物という物が何一つなかった。
だがその代わり、お目当ての物が天井から床に向かって伸びていた。
「――さて、一番手は誰が行く?」
見上げた先は真っ黒い闇が俺たちが登ってくるのを今か今かと待ち構えていた。
たらりと、背中に冷や汗が流れる。
誰も自分が行くとは言おうとしない。
「まぁこうなるとは思っていた。大丈夫よ。私が最初に行くから安心して」
とても心強い一言だった。
だが同時に、男としてどうなのか。いや駄目だろうという自問自答を心の中で繰り広げていた。
「二番手はそうね……。うん、浅川、よろしく」
「ん、了解」
さすがに断ることは出来ず、俺は素直に頷いておいた。
そしてもう一度天井にぽっかりと空いた暗闇を覗き込む。
「……」
この何とも言えない気持ちをなんて表現すればいいのだろうか。いい言葉が思いつかない。
だが、はっきりと分かっている気持ちは一つだけある。それは恐怖だ。
「どうしたの浅川。もしかしてここまで来て怖気づいた?」
「……まさか。そんなわけないだろ」
「今間があったわよ?」
「うるせぇ。さっさと行け。ちゃんと後ろからついていくから」
「頼りにしてる。それじゃ他のみんなは浅川に続いて。反町。あんたはみんなが登った後に最後に登ってきて」
「了解」
「何かあったらすぐに叫んで」
「そんな心配しなくても大丈夫だ。安心して一番手乗り込んでこい」
親指を立てて反町はさっさと行けと目で雪原に訴えた。
雪原は何も答えず、ただ笑っていた。
「――さあ、会えるもんなら会ってみたいわね。幽霊さんに」
本当に楽しそうに笑いながら雪原は闇へ続く階段に脚をかけた。
to be continued
心音です、こんばんは。
いよいよ廃墟探索もクライマックスです。
さて、これまでの話ですが、日常の話と思われつつ実は最後の物語に繋がっているものだったりします。
え?どこが?と思う方もいらっしゃると思いますが、それはおいおい分かることでしょう。
それでは次のお話でお会いしましょう。




