第66話『イタズラ』
廃墟からの帰り道、俺はみんなと少し離れたところを一人歩いていた。
行きと同じ道を使っているわけだが、不思議なことに街頭はすべて復活していて等間隔に灯りを灯していた。
向こうではまだ議論を続けていて、今は十堂もその輪の中に入っている。割と距離が開いていて会話の内容までは耳に入ってこないが、おそらくは同じようなことを繰り返しているのだとは半ば予想することができる。
結局何一つあの家のことについて分かったことは無かった。まあ元々調べるという目的ではなく、肝試し感覚で楽しむものだったわけだから結果オーライだ。
それなりに雰囲気で楽しむ事が出来たし、推理小説のような謎解きもする事が出来た。
「……」
そこでふと、頭の片隅に追いやっていた存在のことをトートバッグから微かに太ももに伝わる金属の尖った感触のせいで思い出してしまった。
バッグの中に手を突っ込んでその原因を取り出してもう一度まじまじと見つめる。
「結局……この十字架は何なんだ……?」
アニメや漫画であれば、廃墟に閉じ込められた時に脱出する為のキーアイテムになったり、それこそ幽霊を倒すための道具だったりとの要素があるものだが、どう足掻いてもここは現実の世界。そんなファンタジー要素があるはずがない。けれどもそうなるとこの十字架はどう説明すればいいのか分からなくなる。
街頭と灯りに反射して銀色に輝くそれを眺めていると、群れから抜け出してきたライオンの赤ちゃんのようにのんびりとした歩みで、前の集団から抜け出してきた古宮が俺の隣に並んだ。その手には俺が握るものと同じものが握られており、考えていることは同じだということを悟った。
「……浅川くんも、やっぱり……分かんない?」
「お手上げ。でも何となくあの廃墟とは何の関係も無いんじゃないかと思っている」
「……これが、アニメやゲームなら……簡単に、説明つきそう、なのにね。この世界は、理屈ばっかだから」
この世の中に呆れきったと言わんばかりに古宮は両手を大きく広げて空を仰いだ。
分厚かったはずの雲も今となっては普通に疎らに浮かぶ薄い雲になっていて夜空には星が瞬いていた。
「……理屈じゃ、解決できないことだってあるのに、どうして、人は……理屈に、拘るのかな。そこに、何の意味が……あるのかな」
「そうだな……」
十まで星の数を数え、俺は目を瞑った。
夜空と瞼の裏は同じように暗く、でも俺の考えてることを口にするにはちょうどいいと思えた。
「――多分、それで物事が無理矢理にでも解決してしまうからじゃないか?」
底の空いた容器に水を流し込んでも穴が空いているから水が貯まることはない。
理屈を液体、俺たちを底の抜けた容器と例えるのであれば分かりやすいかもしれない。理屈という液体は俺たちの意思など関係無しに流れ去ってしまう。貯まることはなく、受け入れることなく、流れ去ってしまう。俺たちのような身分の低い人間が身分の高い人間に逆らえないのと同じようなものかもしれない。
「……そういえばもう一つ解決してないことがあったな」
「……解決してないこと? 何か、あったっけ?」
「足音だよ。古宮自身も言ってたはずだ」
廃墟に向かう時に聞こえた俺たち以外の人間の足音。聞こえていたのは俺と古宮だけだが、あれは聞き間違いなんかではない。
「……思い出した。あれ、結局……何だったのかな。もしかして、本当に……幽霊? でも、もしそうならば……学校から、足音がしてたのは……おかしいよね?」
「俺は幽霊の実態を知らないから何とも言えないが……あれは明らかに人間のものだろ」
「――その通りです」
上から降ってきた声に俺の古宮は足を止めて上を見上げる。そこはちょうど民家から伸びている広葉樹が深緑の天井を広げていた。
「よっと」
そのちょうど真ん中あたり。
葉がガサガサと揺れたと思ったらそんな掛け声と共に良く見慣れた少女が文字通り降ってきた。
少女は軽やかにアスファルトの地面に着地する。音という音が一切なく、まるで空から舞い降りてきた天使のようだった。
ショーパンについた葉っぱやら小枝などを払い落とし、何事も無かったかと言わんばかりの笑顔で俺たちの手を取ると、少女――瀬川結菜は女の子とは思えない強めの力で俺たちを引っ張って雪原たちとは違う道に進んでいった。
「おいこら結……衣。突然降ってきて何処に連れていく気だ」
「この先の公園まで連れていきます」
「……ふ、普通に、ついていくから……手、離しても、いいよ? ハルカも、隼人くんも、逃げないから」
古宮がそう言い聞かせると結菜は俺たちの手をパッと離した。
いきなり離したことにより前に重心が掛かって倒れそうになるところを寸でのところで俺は踏みとどまる。しかし、咄嗟の判断が出来なかった古宮は見事なまでに転んだ。
「お、おい……顔面から突っ込んだぞ……」
「……すいません、流石に想定外でした。僕的には隼人みたいにおっとっと――で止まるもんだと」
「運動能力の差を考えてくれ……。古宮はあまり運動が得意じゃないんだよ」
古宮は俺たちのグループで言えば、運動系とかではなく知能担当だ。ゲームで言うならばサポートタイプと言ったところだろう。だから運動面に関しては能力が乏しい。
「あ、あの遥香先輩? 無事なら返事してくれると嬉しいかな? いきなり手を離したことは謝るから……ね?」
「……」
無言で立ち上がる古宮。
俯いているせいで表情を伺うことは出来ないが、その身からじわりと滲み出るどす黒いオーラに結菜は引き攣った笑みを浮かべて一歩後退した。
「……結衣ちゃん」
声はいつもと同じトーンだった。
いつもと何一つ変わらないからこそ、よりいっそう恐ろしかった。
奈落の底から這い上がってきた亡者のようにゆっくり、ゆっくりと結菜に近づいていく。
「お、落ち着いて話し合いをしましょう遥香先輩。僕たちは人間だよね? 人間というのは言葉で分かり合う種族だから実力行使はダメだと思うんだよね」
「……」
「あの、聞こえてますか……?」
「……」
無言で迫り寄ってくる人間というのは何故こんなにも恐ろしく感じてしまうのだろうか。
どんなに穏やかな性格な子でも、無言で、しかもうつむき加減に表情が見えないとなると話は別だ。そこにあるのは穏やかななんて言葉の欠片が一欠片もない底知れない恐怖。そして頭のキレる人間はここでしかりと判断する。
「……逃がさねーよ?」
なので俺は逃走しようと背中を向けた瞬間の結菜の服の襟を掴んだ。
「ぐえっ」
スタートダッシュを決め込んでいたこともあり、オレが襟元を掴んだせいで襟が結菜の首に思いっきり食いこみ、カエルが潰れたような声が結菜の口から漏れた。
手を離すと、ケホンケホンと咳き込み、涙目になって俺を見上げた。
「く、苦しかったですよ隼人……。一瞬目の前にお星様が浮かんだ……」
「知らん。元のきっかけはお前なんだからそれくらい我慢しろ」
「気絶寸前までいった彼女に対してなんてことを言うんですかこの彼氏は。もっと彼女をいたわる事は出来ないのかな隼人」
「お前に非が無いのなら喜んでそうしていただろうな? 自業自得ってやつだ。大人しく古宮に捕まってな」
そこで古宮の存在を思い出した結菜はもう一度逃走しようとしたが、その身体は古宮によってがっちりとホールドされていた。
「……話は、公園で……ゆっくり、ね?」
「……はい。分かりました。逃げないからホールド解除してくれないかな遥香先輩」
「……これは、ホールドじゃ、ないよ? 抱きしめてるの。結衣ちゃん、あったかい」
「冬ならば嬉しい気もするんですけど今は夏です。ぶっちゃけ暑いよ。それにほら、僕今少し汗かいてるから匂い的な意味でも離してくれると嬉しいんだけどな……」
抱きしめられながらほんの少しムズムズしていたのそれが原因だったらしい。
けれども古宮はそれを聞いても結菜から離れことはなく、更に強く抱きしめていた。
「え、ちょ、そこは離すところじゃないんですか!?」
無理矢理にでも抜け出そうとする結菜だが、古宮はよほど強い力で抱きしめているようで抜け出すことはできないようだった。
「……離さないよ。だって、結衣ちゃん、いい匂い、だもん」
「そ、そんなはずはありません。絶対に汗くさいって……。あう、あまり嗅がないで……」
くんくんと犬のように古宮は結菜の首元に鼻を寄せていた。くすぐったいのか、それとも羞恥のせいなのか。結菜の顔は暗がりでも分かるほど紅く染まっていた。瞳は潤んでいて、吐息は熱を帯びている。なんだかイケナイものを見ているような気がして目を逸らしたくなったのだが、本能というのは正直なもので二人から目を離さしてはくれなかった。
「は、隼人! 見てるくらいなら助け――あんッ!」
突然上がった嬌声は古宮の仕業だ。
見ると古宮は結菜の首筋をペロリと舐めているようだった。
「ちょ、遥香先輩!? そんなところ舐めないでください……!!」
「……嫌」
「嫌!? それはこっちのセリフです――んッ。な、舐めないで……遥香先輩ストップ!ストップ!!」
あの結菜が必死に抵抗して逃げようとしているのにも関わらず、古宮は一切動じることなく結菜で愉しみ続けている。
てかあれ? 古宮ってこんなキャラだったか? 俺の中の古宮が音を立てて崩れていっている。
「隼人ッ! 助けてください!! 僕このままじゃ隼人に顔向けできなくなっちゃう気がするから助けて!!」
「どんなお前でも俺は受け入れるから安心してくれ」
俺は敬礼してそっとスマホのカメラを起動させた。
「嬉しい、けどっ!! なんか違いますから!! ていうかなんでカメラ!? こんな恥ずかしい僕を撮らな――ん、あッ……ちょ、遥香先輩耳はやめて……はぅぅぅ」
「……ふふっ。結衣ちゃん、耳弱いんだね。もっと、苛めてあげる。きっと、浅川くんにも、やられてるんでしょ?」
「……」
「……」
図星だから俺も結菜も何も言い返せない。
そのせいでおそらく曖昧だったであろう結菜の耳の弱さは古宮の中で確信に変わり、軽く口をあけたかと思うと、お餅のように柔らかい結菜の耳たぶをはむっと噛んだ。
もちろん本気で噛んでいるわけではなく、甘噛みだから痛みはない。けれども結菜にとってその行為は致命傷に近いものだった。
「――――――ッッ!!」
声にならない悲鳴に近い嬌声をあげる結菜。
そう、結菜は耳たぶを甘噛みされるのにかなり弱いのだ。基本的に完璧な結菜の唯一の弱点と言っても過言ではない。
完全に弱点を突かれた結菜はもう抵抗することが出来ず、とろんと溶けてしまいそうな瞳で意識をさ迷わせていた。
「……ハルカの、勝ち」
古宮は勝ち誇った表情で勝利を宣言すると、結菜から体を離し、その背中をぽんと俺に向けて押した。
「……おっと」
自力で立てなくなっている結菜は倒れ込むように俺の胸に飛び込んできた。
「や、やられまひた……。屈辱……でひゅ」
激しい運動をした後のように肩を上下させており、支離滅裂にもなっていた。
「……ハルカを、怒らせると、大変なことになるから……気をつけた方が、いいよ? 浅川くんもね。男の子であろうと、女の子であろうと、遥香は……容赦、しないから」
「……覚えておくわ」
男でも容赦しないって……もし仮に怒らせたら何されるんだ俺は。
「……んじゃ、まぁ……とりあえず、移動しよっか? この先に、公園が……あるんだよね? 結衣ちゃん」
答える気力はないらしく、結菜はこくこくと頷くだけだった。
「歩けるか結衣? もしあれなら公園まで背負っていこうか?」
「……すいません。お願い……します」
「よしきた」
背中を向けると、結菜はぎこちない動きで俺の背に体重をかけた。
立ち上がってみても結菜は驚くほど軽いから特に負担にならない。
古宮にアイコンタクトを取ると、にこりと笑ってそのまま歩き始めた。
公園は思った以上に近いところにあり、まだ少しだけ朦朧としている結菜をベンチに寝かせると、俺と古宮は近くにあったブランコに乗ることにした。
「……というか、なんで俺たち今こんなところにいるんだろうな」
ブランコを漕ぎながらふと思い出した疑問を漏らしていた。
「……どうして、だろうね。本当なら、つもりちゃん達と……いたはずなのに。どうして、こんなところに……いるのかな」
俺たち二人は揃って事の発端である結菜に視線を向けていた。
結菜もまた、その視線には気づいているらしく、ゆっくりと体を起こしてポリポリと頭を搔いた。
「まぁ……強引に連れてきたのは謝りま――いや、謝らなくてもいいような気もしますけど……」
こほんと咳払いをして結菜は俺たちを見つめる。
「簡単な話、ネタばらしをしようかと思っただけです」
「ネタばらし? ああ……足音の件についてか」
「それもありますけど、実はもう一つあるんですよね。これは苦労した分、隼人からは予想以上の反応を見ることが出来たから満足だよ」
俺は首を傾げる。
結菜が何の事を言っているのか俺には理解出来ていなかった。
そんな俺を見越して結菜は腰に巻いたポーチの中からそれを取り出した。
「……あっ」
古宮は目を見開く。俺もまた、古宮と同じような表情をしていたに違いない。
だって結菜が手にしていた物は俺たちを悩ませたあの十字架のような杭だったのだから。
「驚きましたか? 隼人と遥香先輩のカバンの中にこれを入れたのは僕だったんだよ」
「正直驚いた。けどお前……どうやってそれを俺たちのカバンに入れたんだ? お前と会ったのはついさっきが初めてだろ」
「話しかけたのはついさっきですね」
「話しかけたのは。という事はお前どこかで俺たちのこと監視してたのか」
「そういうわけです。そうして、隙を見つけてこれを入れたってわけ。隼人のには木の上から落とすように、遥香先輩は普通に隙だらけなので油断してるところにひょいっと」
「……ハルカのは、分かるとして、浅川くんの……木の上って、どういうこと?」
「隼人が通る道の木の上に登って、通りかかったタイミングで落としたってわけです。僕コントロールはかなりいい方だからね」
旅行の時に古宮が倒れて自販機で買った水のペットボトルを投げる時もそうだったなとふと思い出した。
「あとは尾行していって反応を確かめるだけです。あーゆーおけー?」
「そこは納得だが……本当に俺らを驚かすためだけにやったのか?」
「と言いますと?」
「俺にはどうも他の理由があるような気がしてならない。なぁ結衣。お前もあの廃墟に何か用があったんじゃないか?」
結菜は突拍子もないことを普通にしでかす奴だが、意味の無いことはしない主義だ。それは何かのついでに行った可能性が高いと俺は思った。
「……」
結菜は俺の質問に答える代わりに笑顔を返した。
聞かないで欲しい。そう言っているようにも思えた。
「……?」
ポケットの中のスマホが震える。
取り出して画面を見るとそこには雪原からのメッセージが入っていた。今になってようやく俺たちがいないことに気づいたらしい。
「……帰るか」
「帰りましょう。遥香先輩も」
「……そうだね。疑問は、晴れたし、今日も、ゆっくり……寝れそう」
夜はまだ続く。
俺たちはいつもよりのんびりと帰り道についたのだった。
to be continued
心音です、こんばんは。
結局全ては結菜のイタズラだったわけですね、はい。
次回からは夏祭り編となります。
それでは次のお話でお会いしましょう。




