第55話『応えられない気持ち』
「……朝か」
微かにあいたカーテンの隙間から差し込んできた朝の日差しがダイレクトに俺の目の辺りを照らしていた。
休みだからと言っていつまでも寝てるんじゃねーよと言われているようで、俺はまだ睡眠を欲している身体を無理矢理起こしてぐーっと、背筋を伸ばした。
「はぁ……」
睡眠が足りていないのにはそれなりの理由がある。
昨日古宮にあんなことを言われなければもうちょっとマシな睡眠が出来ていたに違いない。
「……なんで、俺のことなんて好きになるかなぁ……」
古宮からの告白。
そのことをずっと考えていた。
俺も鈍感ではない。古宮が俺のことを好きになった理由は何となくだが分かっている。
どこぞのモテ男のセリフだよと言いたくなるが思い当たる節がありすぎてそんなセリフしか出てこないのだ。
着替えをするためにベッドから起き上がってカーテンを開ける。眩しい日差しを全身に浴び、俺はもう一度背筋を伸ばした。
人は朝に太陽の光を浴びると眠っている脳と身体が覚醒する。起きてからすぐに日差しを浴びると健康にもよく、長生きできるという説もあるほどだ。
完全に目覚めた身体を動かして洋服ダンスから適当に服を取り出して着替える。
「……」
古宮はもう起きているのだろうか。
時間は七時を過ぎたところだった。
「朝ごはんでも作っておくか……。確か食パンくらいなら残っているはずだし……。てかこんなことになるなら昨日の帰りに買い物しておけばよかった……」
色々と後悔しつつ、部屋のドアを開けた。
「……ん? この匂いは」
キッチンの方からいい匂いが漂ってきていた。
廊下いっぱいに香る肉の焼けるような匂い。
古宮が朝ごはんを作ってくれているのだろうか? しかし……肉なんて家に無かったはずなのだが……一体何を焼いているのだろう。
「――おはよう、古宮」
リビングに入って、キッチンにいる古宮に声をかける。
エプロン姿の古宮はフライ返しを片手にふんわりと微笑んだ。
「……おはよう、浅川くん。キッチン、借りてるよ」
「それは別に構わないんだが……何を焼いているんだ?」
「……あ、これ?」
古宮はフライパンの横に置いてあったそれを手に取り、俺の目線の高さまで持っていく。
「……高黍。モロコシ、ともいう」
「あー、なんかあったな。高黍使って作る料理。本当に作れるもんなんだな」
「……結構、美味しいよ。ハルカ、よく作る。安い、簡単、美味しいの、三拍子。肉のようで、肉じゃないところが……魅力的。カロリーも、低いから……お腹を気にする、女の子にも、優しい」
「なるほどな」
ちなみにこの高黍で作るハンバーグはベジタリアンの間では結構有名なメニューらしい。
肉っぽいだけで肉ではないからな。
「あ、俺も何か手伝うか? 古宮にだけやらせるわけにもいかない」
「……ハルカが、勝手に、やってるだけ……だけどね。とりあえず……飲み物、入れて欲しいかな? 場所が、分からないから」
「了解。古宮はコーヒーと紅茶だったらどっちを飲みたい?」
「……紅茶。できれば、ミルクティーで」
「ミルクティーならアッサムだな。確かまだ残っていたはずだ」
棚の中をガサゴソと漁る。
お目当ての紅茶はすぐに見つかり、ティーポットと二人分のティーカップもついでに取り出しておく。
「古宮、お湯は沸いているのか?」
「……もちろん」
ちょいちょいと、電気ポットを指さす。
満杯まで入れられたステンレス製の電気ポットを傾けてティーポットとカップにお湯を注いでいく。
これはカップを温めるための工程だ。予めカップを温めておけばすぐに冷めることはないし紅茶の香りが際立つ。
ある程度温まったところでお湯を捨て、アッサムの茶葉をティーポットに入れる。
そこに新しいお湯を入れて紅茶用の砂時計をひっくり返した。
「……本格的、だね」
一連の流れを見ていた古宮はそんな感想を口にした。
「雪原に叩き込まれたからな。ほら、あいつの家ってコーヒーとか紅茶とか、そういった類いの飲み物多いだろ? 家に行く機会も多いし覚えておけって言われたんだよ」
「……納得。それは、本格的にも、なるわけだね。つもりちゃん、適当にやったら、怒りそうだもん」
「一度怒られた。なんでそんな淹れ方するのバカ!紅茶が可哀想!ってな」
「……つもりちゃん、らしいね。ハルカも……覚えようかな?」
「いいんじゃないか? 覚えておいて損は無いだろうしな。と……砂落ちきったか」
ティーポットの蓋を開けるとアッサムの芳醇な香りがふわっと広がった。
俺は少し長めのスプーンを使ってティーポットの中をサッと混ぜる。
これはポットの中の紅茶の濃さを均一にするために欠かせない作業の一つ。混ぜないと濃かったり薄かったりと味がバラバラになってしまうのだ。
軽くかき混ぜたら後はもう淹れるだけ。ポットを傾けてカップに注いでいく。仕上げにミルクを入れて完成だ。
「……おお、つもりちゃんが、淹れたみたい」
テーブルに二人分の朝食を並べてこちらに戻ってきた古宮は感嘆の声を漏らした。
「そりゃさっきも言ったとおり俺の淹れ方は雪原直伝だからな。似るのは当たり前だ」
「……早く、飲みたい。浅川くん、早く早く」
急かされるようにして俺は席に着く。
ティーカップを古宮の前に置き、俺は改めてテーブルの上を見渡す。
こんがり焼けたトーストに高黍のハンバーグ。そしてアッサムのミルクティー。果てしなく微妙な組み合わせだが、今の冷蔵庫事情を考えると仕方の無いメニューだ。
「……いただきます」
食事の挨拶をするや、古宮はカップに口付けた。
「どうだ? 美味いか?」
訊ねると、古宮はゆっくりとカップを元の位置に戻した。
「……とても、美味しい。それに……何だか、落ち着く味。つもりちゃんが、淹れるのも、好きだけど……ハルカは――」
紅茶を飲む時に前の方に垂れてきた前髪を耳にかける。
「……浅川くんのほうが……好きだな」
「……ッ」
わざとか? わざとやってるのか古宮?
昨日の告白といい、泊まりといい……何もかも狙ってやっているのかお前は。
「……あはは。浅川くん、顔……紅いよ?」
「うるさい。つかこのハンバーグめっちゃ美味いな。俺も今度作るわ」
「……うわー、あからさまに、話……逸らしたね」
「知るか。それよりお前も紅茶楽しんでるのはいいが、折角作ったもんが冷めちまったら勿体ないぞ。夜な夜な、もったいないお化けがお前の枕元で囁きにくるだろうな」
「……ハルカ、小学生じゃ、ないし……。そんなこと、言われても――怖くないよ? 今時、幼稚園児も、このお兄ちゃん、バカだーって、言われる、レベルだと……ハルカは、思うな」
「なんか……無性にもったいないお化けが可哀想になってきたんだが」
「……お化けとか、幽霊なんて、みんな……可哀想な存在だと、思うよ。未練がある、伝えたい言葉がある。それも、あれだけど、中には……復讐の為に、この世にいる、幽霊もいるって、聞くよ。前者は……ともかく、復讐の為に、この世に残るのは、可哀想」
「なんでそう思うんだ?」
「……復讐なんて、くだらないから――だよ」
フォークに刺していたハンバーグを皿に戻す。
等間隔に空けられた三つの穴から肉汁が溢れだした。
「くだらない、か。俺はあまりそうは思えない」
「……どうして?」
「どうしてもだよ」
「……答えに、なってないよ」
「知ってる」
少しずつ、言葉に影が落ち始める。
「……そっか。ごめんね」
完全に闇に染まる前に古宮は後退した。
そのおかげで俺もすぐに元の調子に戻ることが出来た。
少しばかり空気が淀んだが、ご飯を食べ進めていくにつれて薄れていった。
「古宮、午後は何かすることあるか?」
「……午後は……特にないよ? また、掃除でも、するの?」
「いや違う。朝ごはん作ったなら分かっているんじゃないか? 冷蔵庫の中の悲惨さに」
「……あ、うん。なるほどね。買い物、付き合うよ」
「話が早くて助かる。結構いろいろ買う気でいたから良かった」
「……ハルカは、居候だから、こき使って、いいよ。お望みなら、あんなことや、こんなことなども……し、しちゃいます……」
「自分で言って照れるなら言うなよ」
「……や、だって……言いたくなる、じゃん? お決まりだよ?」
「だいたい……もし俺がお前の言葉を間に受けて変な頼み事とかしてきたらどうするつもりだよ。俺だって男だ。何してくるか分かったもんじゃないぞ」
呆れながら俺はそう言う。
彼女の中の辞書には危機感という文字は載っていないのだろうか。
「……そりゃ、男の子は……みんな、そんなもんだと……思うよ? だって、それが、正常でしょ?」
「分かっているなら言っちゃダメだ」
「……うん、でも……浅川くんは、大丈夫だよ」
「なんでそう言い切れる?」
「……だって、ハルカは、浅川くんのこと……信じてるから。ハルカが、嫌がることは、絶対にしない。浅川くんは、そういう人……だから、ハルカは、安心できる」
「……そうか」
「……そうだよ」
会話が終わり、食事を再開させる。
ハンバーグは少し冷えてしまったが、美味しさだけは変わらなかった。
それからお互い食べ終わるまでの間はずっと無言だった。
けれどそれは決して悪い空気ではなく、陽だまりのようにあたたかな無言の時間だった。
「――そろそろ行くか」
洗い物、洗濯、掃除などの家事をあらかた片付けて俺は古宮に声をかけた。
「……いつでも、オッケー」
すでに買い物に行く準備を整えていた古宮はエコバッグを片手に玄関に向かっていった。
俺は部屋の戸締りを確認した後、サイフと充電器にさしていたスマホをカバンの中にほうりこんだ。
「待たせたな」
家の外で待機していた古宮に声を掛けながら玄関の鍵を閉める。
「それじゃあ行こうか」
「……れっつ、ごー」
古宮の歩くスピードに合わせて歩き始める。
見慣れた景色もゆっくりと歩けばまた違ったものが見えてくる。
「……あ、見て、浅川くん。あそこ……猫、寝てる」
「屋根の上で寝る猫って器用だよな。なんで落ちたいんだ? あいつら寝ると丸くなるから転がっていきそうなイメージがある」
「……そんな、球体じゃ、ないんだから。寝る度に、転がってたら、たまったもんじゃないよ」
「まぁ……屋根の上で寝たくなるのは分かるけどな。こんな日なら絶対快適だろあの場所」
「……朝だから、だよ。仮にも、夏だし……昼間は、熱地獄。猫のハンバーグ、出来ちゃいそう」
「知ってるか古宮。猫って美味しいらしいぞ」
「……え″? 何その情報。すごく……聞きたくなかった。そもそも、猫って……食べれるんだ」
屋根の上で呑気に寝ている三毛猫に古宮は小さく合掌した。
「安心しろ。日本じゃそんな文化とか無いから食わないって。少なくとも表ならな」
「……裏社会、嫌だな」
「ま、俺らには関係の無い話だよ。世知辛い大人の世界の話だ。俺たちは俺たちでのんびり気ままに暮らしていればいい」
「……そうだね。平和が、一番だよ。陽だまりで、ロッキングチェアに、座って……眠ってる猫を、膝に乗せる。そして、ゆらゆら揺れながら、自分も……眠る。とても、幸せな時間。そう、思わない?」
「そうだな。いいかもしれない。そんな生き方も人生の醍醐味だ」
俺たちは陽だまりの道を歩いていく。
この真っ直ぐな道も人生の道だ。
進めば分かれ道にぶつかることだってある。
行き止まりに行き着くことだってある。
進んだ道が途中で崩れることだってある。
人生なんてどう進み、何処に行き着くのかなんて分からない。
けど、人は進まなければならないのだ。
それが人に産まれてきた俺たちに与えられた使命なのだから。
「……今日のお昼、どうするの?」
「今のところは外食の予定だな。いつものところで食うつもりでいる」
「……りょーかい」
御桜ショッピングモールについた俺たちが最初に向かったのは生活用品の売り場。
シャンプーが切れそうになっていたことを家を出る直前に思い出したのは幸運だったかもしれない。
「……買い物かご、持ってきたよ」
「サンキュー」
古宮の持ってきたかごの中にシャンプーを入れ、そのままかごをひったくる。
「色々買うから重くなるし俺が持つ」
「……え、大丈夫だよ。ハルカが、持つよ」
「いいっていいって。女の子に重たいものなんて持たせられないっての」
「……あ、ありがと。じゃあ、ハルカは、浅川くんが、言った物を……持ってくるよ」
「ああ、そうしてくれ」
生活用品を一通り買え終え、コインロッカーに荷物を移す頃にはお昼時になっていた。
「んじゃそろそろ飯食いに行くか。食品系は昼食い終わったら買いに行こう」
「……そうだね」
俺たちはいつもの店に歩いていく。
昼時ということもあってショッピングモールはかなり混雑していた。
この分だと、どの店も満席のような気がしてならない。
それでもなる早で向かったわけだが、結果は案の定満席とのことだった。
「さて、どうする? おそらく絶対にどの店も同じような状態だと思うぞ」
「……あ、じゃあ……クレープとか、どうかな? 甘いやつじゃなくて、ご飯系のやつ」
「クレープか……」
昨日食べたんだが……まぁいいか。
「でもどうせ混んでるんじゃないか?」
「……モールから、少し離れたところにある、クレープ屋さんは、多分……空いてるよ」
「へぇ? じゃあそこ行ってみるか」
「……案内、するね」
前を歩く古宮の後ろをついていく。
モールを出るとむわっとした空気が身体にまとわりついた。
「朝と比べると嫌な暑さだな……。これからもまだ気温上がるだろ……」
少し歩いただけなのに汗が溢れ出てくる。
白いTシャツは汗で滲んで透けかけていた。
五分くらい歩いたところで古宮は足を止めた。
「……ほら、ついたよ。ここ」
「へぇ。こんな所あったんだな。人も少ないし……なんか涼しいな」
歩いてきたところと比べると驚くほど涼しい場所だった。
耳を澄ませてみると水のような音が聞こえる。
「……噴水が、あるんだよ」
俺の心を読んだ古宮が答える。
「……ほら、あっち」
指をさす。
白くて綺麗な指先の向こうに決して大きいとは言えない大きさの噴水があった。
「クレープ買ったら噴水の方行こうぜ」
「……いいね」
俺たちはそれぞれクレープを買って噴水の方へ向かった。
噴水の前には木製のベンチがあり、俺たちはそこに腰掛けた。
噴水から噴き出した水が水面に落ちて弾ける。弾けた水滴は太陽の光に反射してキラキラと輝き、広がった波紋は弾ける水滴のリズムを刻んでいるようだった。
「クレープ美味いな」
照りたまチキンというクレープとしては珍しい味を一口食べてそんな感想を口にする。
こんがり焼けた照り焼きを噛むと肉汁が広がり、とろっとした半熟卵があとからチキンの美味しさをさらに引き立てる。加えてクレープのもちもちした生地が合わさって絶妙な美味しさを作り上げていた。
「……今度、つもりちゃん達も、連れてこよ」
「そうだな。柑橘系のもあったし、あいつなら喜ぶだろ」
「……うん。想像、できるもん」
何気ない会話をしているうちにクレープは無くなっていた。
俺はその場に立ち上がって伸びをする。
「ちょっとコーヒー買ってくるわ。古宮も飲むか?」
「……お願いするよ。ハルカは、ブラック以外なら……何でもいいけど、できれば……微糖」
「分かった。んじゃ待っててくれ」
古宮に背を向け自販機に向かう。
一番近くの自販機は一目見てスルー。少しばかり距離はあったが、古宮の飲みたいと言っていた微糖のコーヒーはあった。
「俺はブラックでいいか……」
ガチャンと落ちてきた缶コーヒーを取り出し、自販機を背もたれにして俺は寄っかかった。
「……今日は楽しかったよ、古宮」
お前といると楽しいし、柄にもなく落ち着くなんて感情にもなれた。
結菜に聞かれたら殺されそうだけどな。
古宮。お前が俺のことを好きと言ってくれた時、驚いたけど嬉しかった。
そりゃ俺だって、男だ。
可愛い女の子に告白なんてされたらそりゃ嬉しいに決まってる。
普通の男なら、一発オーケーは目に見えて分かる。
「――けどな……古宮」
カチッと開けたコーヒーを一気に飲み干していく。
苦いコーヒーと共に様々な感情を飲み込んでいく。
喉を通り、食堂を通り、胃に落ちた感情は錠剤のようにゆっくりと身体に溶けこんでいく。
しかし、それが俺のエネルギーとなることはない。
愛情という最も強い薬でも、俺に作用することはありえない。
それは何故?簡単だ。
答えの分かっている方程式のように簡単なことなんだ。
「俺は――お前じゃダメなんだよ」
お前がどれだけ俺のことを好きでも、側にいてくれても、愛してくれても――古宮じゃダメなんだよ。
だって――
「――俺の全てを理解し、受け止めることはお前にはできないから」
それができるのは結菜だけなんだ。
だからごめんな、古宮。
俺はお前の気持ちに応えることはできない。
「……」
空になった缶をゴミ箱に投げ入れ、俺は古宮の元に戻っていった。
to be continued
心音です。こんばんは。
遥香の気持ちに応えることはできないと確信した隼人。それでも遥香は隼人のことを想い続けることになるでしょう。
それでは次のお話でお会いしましょう




