第54話『人を好きになるという気持ち』
「……さすがに腹が重いな。シンプルだったのは味付けとトッピングだけだったし」
つい先程まで食べていたシュガープレーンのクレープに若干の恨みを覚えながら俺は帰り道を歩いていた。
いつもより歩みが遅いのは俺の気のせいではないだろう。
俺が食べたクレープは確かに十堂の言う通り一番安くシンプルなやつだったのだが、問題はその大きさにあった。
どうやらあの店の売りはクレープの大きさらしく、一つ一つの大きさがよく見るサイズの1.5倍近くある。
美味しいことには美味しいのだが、ご飯を食べた後に食べるのは少々キツイ。
だが男の俺ですらキツかったクレープを十堂と雪原は顔色一つ変えずにぺろりと平らげた。しかも俺と同じようなシンプルなものではなくチョコやらクリームやらフルーツやらがトッピングされている本格的なやつをだ。
彼女たちの体のどこにあの量をしまうスペースがあるのかと真面目に考えてしまうほどのものだった。
「女の子の別腹ってブラックホールで出来てるだろ絶対……。じゃなかったら食える理由が分からん」
腹をさすりながら歩く。
幸い、周りに人の姿はなく、傍から見れば怪しい行動をしている俺を不審がる存在もない。
「……ん?」
あと少しで家に着くというところで俺はその人影の存在に気づいた。
人影はちょうど俺の家の前に立っているようだった。
警戒心を持ちながらゆっくり歩み寄っていくと、よく見知った顔がこちらを向いて花が咲いたように笑った。
「……やっほ、浅川くん」
「古宮……お前こんなところで何してるんだよ」
「……この世界は、残酷なんだって……気づいたんだよ。忘れ去られた、記憶。楽園に、着くと同時に……明らかになる、真実」
言いながら古宮空を見上げる。
月は雲に隠れて見えなくなっていた。
「……古宮。哀愁漂わせているところ悪いだが、全く言ってる意味が分からん。できれば俺みたいな国語力が乏しいやつでも分かるように喋ってくれないか」
自分を雲の中に隠している月と違って俺は正直だった。
古宮は上げていた視線を下ろし、再びに俺に合わせる。
「……家の鍵が……無くて、帰れない」
「始めっからそう言えよ!?」
はぁぁ……と、盛大にため息を吐く。
「てか鍵無くてもお前実家暮らしだろ? 親はどうしたんだよ」
「……ハルカと、同じ日から、一週間……海外旅行」
「……」
要は、少なくともあと四日は古宮は家に入れないということだ。
「一応聞いておくが鍵は無くしたのか? それとも家に忘れているのか……?」
「……後者、だよ」
「ドヤ顔すんな!! これからどうするんだよ」
「……うん、だから、浅川くんの、家の前に、いたの」
「おい待て古宮。なんでそこで俺の家。今ものすごく嫌な予感しかしないんだが、きっとこれは気のせいだと信じたい」
「……大丈夫、だよ。簡単な、お願い……だから。ね?」
「ね? って可愛く言っても無駄だぞ。おおかた親が帰ってくるまで俺ん家に泊めてくれって感じだろ?」
「……おお、浅川くん、エスパー?」
「エスパーじゃなくても分かるっての!! 大体なんで俺ん家なんだよ。榊先輩……は実家暮らしだから無理だとしても……あ、雪原もか。なら十堂の家だってあるだろ?」
「……恋歌ちゃんの家、ハルカ、知らないもん」
……そういえば十堂の家は俺も知らないな。
実家暮らしなのか一人暮らしをしているのかすら知らない。
分かっていることと言えば御桜丘の近くに住んでいるということだけだ。
「……その様子だと、浅川くんも、恋歌ちゃんの家、知らないでしょ……? 夜ご飯、よく一緒に……食べてる。って、言ってたのに」
「飯食うのは雪原の家だからな。雪原と一緒に食べない時は基本的に個々で食ってるし」
「……そうなんだ。じゃあ、ハルカを、泊めよ?」
「あれおかしいな? 文の前後が全く繋がってない気がするんだが」
「……つべこべ、うるさい人は、嫌われるよ?
「いやいやいや。つべこべ言うに決まってるだろうが。あ、ちょっと待て。俺に一つあてがある。連絡するから落ち着いて待ってろよ?いいな?」
「……元から、落ち着いている、つもり……なんだけど? むしろ、落ち着くべきは、浅川くん……だよね?」
「いや俺は十分冷静だ」
「……どの口が、それを言う?」
「俺の口が言う。少なくとも一人暮らしの男の家に泊まろうとしているお前よりは冷静な自信があるからな。……よし、おっけ」
「……誰に、メッセージ、送ったの?」
「結衣」
メッセージ画面を古宮に見せつける。
「……本当だ。あ、既読、ついたよ」
「さすが結衣。早いな」
手元にスマホが戻るのと返事が来るのはほぼ同時だった。
『僕まだ櫻美崎に戻ってきてないですよ』
「あれ、そうなのか」
「……どうしたの?」
「いや、結衣はまだ櫻美崎に戻ってきていないらしい。あいつ何してんだ」
今どこにいる?と、返信するとすぐに返事が返ってくる。
『山ですね』
『は??なんで山なんかにいるんだよ』
「……結衣ちゃん、何処にいるって?」
俺の怪訝な様子に気づいた古宮が訊ねてくる。
俺は黙ってスマホの画面を古宮に向けた。
「……え、なんで……山?」
首を傾げる古宮。
と、返事が返ってくる。
『や、なんでと言われましても……。急に行きたくなったからとしか言えないよ。ほら、僕って結構自由なところあるでしょ?』
『あと何日くらい帰ってこないんだ?』
『三日くらいは帰りませんね。ていうか何かあったの?』
『古宮が自分の家に帰れないという大事件が発生した』
『あー……なんか予想がつきました。おおかた親が旅行か何かで家を開けているから帰ろうにも帰れない。そしたらちょうどいいところに一人暮らしをしている隼人がいたから親が帰ってくるまで泊めてもらいたいとかそんな感じでしょ?』
『さすが結衣。話が早くて助かる。彼女権限で古宮が俺の家に泊まるのを阻止してくれ』
結菜は意外と嫉妬深いところがある。
流石に彼女がダメと言えば古宮だって諦めてくれるだろう。
いやはや、危なかった。これで俺の危機は救われた。
『別に泊めるのくらいいいじゃないですか』
「……」
「……あの、浅川くん? その……振り上げた、右手……どうするのかな?」
「……はっ」
危ない危ない。
危うくスマホをぶん投げるところだった。
ここは一旦落ち着こう。
結菜にも何かしらの考えがあるに違いない。
てかそう思ってないとやっていけない。
『落ち着けよ結衣。お前がそんなことを言うなんてらしくないじゃないか』
『いえ、僕は十分落ち着いてますよ。今熊と対峙してるけど至って冷静』
『おい逃げろよ』
『知ってますか隼人。熊と遭遇した時は逃げてはいけないんですよ。逆に追っかけてくる。死んだふりをすればいいって話もあるけどあれもダメ。追い討ちかけてくるからね。一番いい手段は何もしない、話しかけるとかそんな感じだよ』
「……結衣ちゃんの、冷静さが……怖い。あと、文字打つ速さ、おかしくない?」
スマホを覗き込んでいた古宮は二重の意味で驚いていた。
『んで、古宮先輩の話ですけど、隼人は路頭に迷っている女の子を見て見ぬふりするの?』
『いや……しないけど』
『なら泊めたっていいじゃないですか』
『お前……仮にも俺の彼女だろ? 嫉妬とかしないのかよ』
『見ず知らずの女だったら嫌ですけど、相手は古宮先輩じゃん。古宮先輩ならきっと大丈夫だと思うし、もし何かあったとしたら――』
『あったとしたら?』
『うん。殺す。隼人もろとも』
俺はそっとスマホの画面を消した。
黒くなった画面に俺の顔が映る。
自分で言うのもあれだが、ひどく疲れ切った顔をしていた。
少しスマホを傾ければ反射で古宮の顔を映る。
「……」
確認するまでもなく、俺と一寸も変わらない表情だった。
「これでも俺の家に泊まるか古宮?」
「……ま、まぁ、ほら? 普通に、泊まる分……なら、問題ないし……」
「……」
話はここで途切れるかと思った。
しばらく無言の時間があってもよかったのだが、インターバルを取る暇すら結菜は与えてくれなかった。
『返事がないって事は悩んでるんでしょうけど、まぁ半分くらいしか冗談じゃないので安心してください古宮先輩』
……半分は本気ってことだろそれ?
『ちなみにもう半分の本気の部分は、殺すってところです。浮気ダメ絶対だからね隼人』
『分かったよ。泊めればいいんだろ? 泊めれば』
なんかもう泊めなくても殺されるような予感がふと頭をよぎったから俺の方から折れることにした。
自分の命と古宮を家に泊める――この二つを天秤にかけたら命の方が重いに決まってる。
『流石僕の彼氏です。友達以上恋人未満の事くらいならやっても怒らないよ。あと、古宮先輩に伝えておいてほしいことがあるんだけどいいかな?』
画面を覗いていた俺たちはお互い顔を上げて視線を交錯させる。
俺はひとつ頷いて画面をスライドさせる。
『さっきから二人で画面覗いてる状態だしそのまま送ってくれて構わないぞ』
『では遠慮なく』
と、短い文の後に立て続けでメッセージが入ってくる。
『古宮先輩、僕が櫻美崎に戻ったらちゃんと家に帰ってね』
「……どういう意味だ? なあ古宮」
「……」
口元が微かに笑っていた。
古宮にはこの言葉の意味が分かっている。
これは古宮に宛てられた言葉だ。ならば俺が分からなくても問題はない。
「……約束する。って、送っておいて」
「了解した」
メッセージを送ってスマホをポケットにねじ込む。
「とりあえず家入るか」
「……うん」
鍵を開けて家に入る。
ドアを開けた瞬間溜まった三日分のホコリが部屋の中を舞った。
「三日掃除してないだけでこれか……。先に掃除しておくか」
どこぞのドラマの姑のように窓枠をツーと指で一直線になぞるとくっきりと跡が残った。
「……ハルカも、手伝うよ」
「いやいや、客人にそんなことさせるわけにはいかねーよ。その辺座っててくれ」
「……そういうわけには、いかない。ハルカは、三日間、居候の身、なんだから。だから……手伝わせて、ほしいな」
きっと俺が何を言っても聞かないだろう。
俺から折れて早めに掃除を終わらせることにしよう。
「分かった。じゃあ俺は拭き掃除やるから掃除機頼むよ。あっちにあるから」
「……分かった。任せて」
とてとてと、部屋の奥に立て掛けてあった掃除機を手に取る。
俺は雑巾を絞ってホコリが溜まっている箇所を拭いていく。
三日分の汚れは想像以上にすごいものですぐに雑巾は真っ黒になってしまう。
掃除機の機械音に絞った雑巾から落ちた水がバケツを打つ。
黙々と掃除をこなしていく音だけが今の俺と古宮を繋げているようだった。
お互いが干渉しあい、次の作業が分かっているかのようにやることが重なることはなく、スムーズに進んでいく。
まるで天井に吊るされた糸に繋がっている操り人形のよう。それを操っているのはおそらくお互いの意思なのだ。
「……あのさ、浅川くん」
ふと、意識の流れを操っていた糸がプツンと切れる。
俺は作業の手を止めて古宮を見る。
俺と古宮の視線はピタリと重なっていた。
「……人を、好きになるって……どういうこと、なのかな」
考えようによっては多くの答えがありそうな質問だった。
この質問に対して古宮は答えを聞きたいのではなく、俺の考えを聞かせて欲しいということなのだろう。
俺は少し考えた末、折りたたみ式のテーブルを広げてその上に磁石を置いた。
「磁石のN極とS極みたいなもんじゃないか? 一定の距離まで二つの距離を縮めればあとは自然に引き付け合う。人のことを好きになろうとしてなるんじゃなくて、いつの間にかその人のことを好きになっている。そう言った自然的な現象が人を好きになるってことなんだと俺は思うな」
「……なら」
古宮は机の上置いてあった鉛筆を手に取り、二つの磁石を隔てるように置いた。
「……もし、磁石と、磁石の間に、壁があったら……どうするの? 壁があったら、磁石は、引き合うことが……できない」
「そうだな。けど……本当に好きあっている二人だったとしたら――」
俺は古宮の置いた鉛筆を真っ二つに折る。
「壁なんて壊してくっついてしまうと思う」
折った鉛筆を弾き飛ばしてカチンと磁石はくっついた。
古宮はその様子をジッと見つめている。
しばらくして、古宮はフッと口元を緩ませた。
「……恋をするって、気持ちは、難しいね。ハルカには、あまり……理解できないよ」
表情とは正反対の言葉を並べる古宮。
しかしその視線はピタリとくっつく磁石に釘付けだった。
「考え方なんて人それぞれだ。古宮、お前はそれが分かっていて俺に質問したんだろ?」
「……うん、まぁね」
古宮は机のくっついていた磁石を離す。
そしてその一つを俺に投げ渡した。
「……ハルカと、浅川くんは……磁石です。でも、決して……くっつくことはない」
悲しげな瞳で古宮は手元の磁石を見つめた。
「……それは、何故か。答えは、簡単。結衣ちゃんという、鉛筆があるから」
「古宮? お前は何を言っているんだ……?」
本当は分かっていた。
古宮が何を言おうとしているのか分からないはずがない。
古宮はわざと俺が使った表現を真似てきているのだから。
「……磁石は、鉛筆を挟んだら……くっつくことは、できない。それを、折らない限り、結ばれることは……ない。けれど……それでも――」
落としていた視線を上げる。
潤んだ瞳で俺を見据えて、古宮は儚げに笑うのだった。
そして俺に告げる。
「……ハルカは、浅川くんのことが……好き」
それは心に秘めていた想い。
古宮の好きという気持ち。
俺に向けられた真っ直ぐな想い、
「……返事は、いらないよ。浅川くん」
古宮の視線が外れる。
「……シャワー、借りても、いいかな? 掃除で、結構……ホコリ、被っちゃったみたいで」
「……ああ、いいぞ。廊下に出てすぐ左だ」
「……分かった、ありがと」
カバンの中から着替えとシャンプーセットを取り出して古宮は部屋から出ていった。
ドアが閉まると同時に俺はベッドに身を投げた。
「なんだかなぁ……」
これから三日間どうなるのか……不安の気持ちでいっぱいだった。
to be continued
心音です、こんばんは。
遥香の居候+告白。
衝撃的な展開の連続の今回の話ですが、あと数話で遥香ルートは完結です。
本当はあと数十話やりたいのですが、完全なる個別ルートにはできないので途中で切らせていただきます。
それでは次のお話でお会いしましょう




