第53話『本当の恋歌』
「――にしては楽しい三日間だったなぁ。楽しい旅行をありがとう!」
夜ご飯を食べ終え、会計を済ませてから店を出ると榊先輩がそう話を切り出した。
「みんなのおかげで高校生活最後の夏休みに、一生記憶に残る大切な思い出を作ることができたよ! だから本当にありがとう!」
キチンと礼儀正しく斜め45度にお辞儀をする榊先輩。
「頭を上げてください夜乃先輩。こちらこそありがとうございます。夜乃先輩のおかげでいい思い出を作ることができました」
「ははっ、榊先輩も恋歌ちゃんも大袈裟だな。でもまぁ……思い出か。どうせならこの夏にもっとたくさんの思い出を作りたいな。今年卒業する榊先輩の為にも、新しい仲間である恋歌ちゃんの為にも」
「へぇ、反町にしては珍しいこと言うじゃん。どうしたの? 何か変なものでも食べた?」
「いやいやつもりちゃん。俺だってこういうことくらいは考えるぜ?」
空に浮かぶ月を見上げる。
旅行の時、夜の海で見たあの月と比べると物足りないものがあった。
「思い出ってのはあるだけで違うんだ。それだけあれば心の支えになる。思い出が無ければそこにあるのは虚無だ。たくさんの思い出がある人間とそうでない人間とでは全然違う。思い出があればそれを支えに生きていけるかもしれない。無かったら生きるのすら億劫になってしまう」
「……反町、くん?」
「悪い。重い話になっちまったな」
申し訳なさそうにポリポリと頭をかく反町。
思い出が無ければ生きていけない――。
その言葉には妙に共感できるものがあった。
やはり反町も同じなのだ。
どこまでも似ている。
「……」
雪原は黙って反町を見つめていた。
その瞳に宿っている淡い光。
それにはどんな感情が込められているのだろうか。
思っていることは同じなのだろうか。
「――私は優誠くんの言葉好きだな」
「……夜乃先輩」
「私は思い出があるから今を生きているからね。思い出が無かったら私はきっと……ううん、きっとじゃない。絶対にこの場にはいないと思う。思い出があるから人は前に進める。生きていこうと思える」
今の榊先輩が何を考えているのか俺には分かる。
先輩はずっと弟と俺を重ねていた。
けどそれは今年の春に卒業した。
榊先輩は自ら一歩を踏み出した。
俺に縋るのをやめ、自分の心の中にある弟との思い出と共に前に進み出した。
「だから思い出は大切だよ。それはきっと命と同じくらい大切にしなければならないもの。自分を一生支えてくれるかけがえのないものなんだよ」
うっすらとだが、榊先輩の目元には涙が浮かんでいた。
俺はそれに気づかないふりをして、言葉を重ねる。
「まだ夏休みは続くんだ。それに榊先輩の卒業だってまだ先のこと。これからの支えになる思い出はまだまだ沢山作ることができる。だからここにいる全員でかけがえのない大切な思い出を作っていきたい」
大いに宣言する。
それが俺の理想だから。
「……たく、最後のいいところ持っていきやがって。いいとこ取りは良くないぜ隼人」
バシッと反町は俺の背中を叩く。
「いやでも、お前と夜乃先輩の言葉が無かったらただの重い話になってた。ありがとな」
「お礼なんてよせよ、気持ち悪い。お前はいつも通りヘラヘラしてればいいんだ」
「余計なお世話だっつの。もう俺帰るわ。じゃあまたな」
返事も聞かずに反町は帰路につく。
「あ、待ってよ優誠くん!! ほら、遥香ちゃんも行くよ! じゃあみんな!また今度遊ぼうね!」
「……ばいばい。グルメに、旅行の写真とか、貼っておくよ」
一人先を歩く反町に追いつくために榊先輩と古宮は走り出した。
「また今度です、先輩方」
「じゃねー」
「また今度なー」
それぞれ走る背中に声をかける。
反町の横に並んだ榊先輩は一瞬こちらに振り返ると、手を大きく振り、それに合わせるように古宮も小さく手を振った。
三人の姿が人混みの中へ完全に溶け込んだところで雪原が口を開いた。
「……バカみたい。浅川も、反町も、夜乃会長も。何が……思い出よ」
雪原は唇を強く噛んでいた。
ピンク色の唇に微かに赤い血が滲む。
「つもり先輩、血が出てますよ」
十堂が心配そうにティッシュを取り出して雪原に渡そうとするが、それに気づいていないのか雪原は更に唇を強く噛む。
周りのことが見えていないようだった。
「思い出があるから生きていける? 何を偉そうに……」
人を殺しそうなほど鋭い眼光で雪原は地面を睨みつけていた。
ぞわりと、得体の知れない恐怖が俺の身を襲う。
俺はこの感じを――知っている。この背筋が凍りつくような感覚を一度だけ経験したことがある。
これは一年の頃に雪原がクラスでブチギレた時と全く同じ感覚だ。
「私は思い出があっても変えられないものがあるということを知ってる……。それは反町だって分かってるはずなのに……」
それはひどく冷えきった声色だった。
そんな冷たく、ナイフのように鋭い声色のまま、雪原はその言葉を吐いた。
「……死ねばいいのに」
隣にいる十堂が眉を潜める。
そして何を思ったのか雪原の前に立つと右手を振り上げた。
「……なっ」
次の瞬間、十堂の右手は雪原の頬を叩いていた。
パチンッ――と鳴ったその音は、近くを歩いていた通行人が何事かと足を止めてこちらを見るほどのものだった。
雪原は何が起きたのか分からず呆然とした様子で叩かれた頬に手を当てていた。
「……そんな言葉、簡単に言っていいものじゃないですよ。死ねばいいなんて……簡単に口にしていい言葉じゃない!!」
「十堂……?」
俺は驚いていた。
いつも無感情に近い十堂が、あろうことか自らの感情を剥き出しにして怒っているのだ。
「……恋歌?」
あの雪原ですら驚き戸惑っている。
だが、十堂の行動のおかげで冷静さは取り戻せたのか、雪原の瞳からは殺意がすっかりと抜け落ちていた。
「わたしだって知ってます……。つもり先輩と同じなんです。思い出があっても、変えられないものがあるんです。変えることのできない現実がある……! つもり先輩も分かっているんだなって共感していたんです……。けど! これとさっきの言葉とじゃ話が違う……。命は一つしかないんです……。わたし達の命はゲームみたいに死んだら何度でも蘇る勇者のように便利なシステムをしていない……! その命が失われた人はもう生きていけない!! だから――」
キッと十堂は雪原を睨みつける。
「命を粗末にするような行為はおろか、発言するのもわたしの前ではやめてください。絶対に許しませんからね」
強い意志の持った瞳。
彼女もこんな目をすることができるのか。
「……ごめん。軽率な発言だった」
雪原は頭を下げる。
「頭を上げてください……。こちらこそすいません。先輩に向かって偉そうな発言をしてしまいました」
「ううん。恋歌は間違ってない。私はちょっと感情的になりすぎた。恋歌が止めてくれなかったらきっと、もっと酷い事言っていたかもしれない。だから――ありがとう」
「わたしはお礼を言われるようなことなんてしてませんよ……。わたしだって先輩と同じで感情的になっていただけなんですから」
「それでも私は恋歌の言葉で正気を取り戻せた。些細なことかもしれないけど、恋歌は今私のことを救ったんだよ」
「救った……?」
赤ん坊が初めて聞いた言葉を復唱するように十堂は言葉を繰り返した。
そして――口元を吊り上げて笑った。
何もかもを見透かして嘲笑う悪魔のように恐ろしい表情だった。
その変化に俺と雪原は言葉を失った。
「――笑わせないでください、つもり先輩。そんな心にも思ってないこと言うのやめてくださいよ」
「「……ッ!?」」
俺と雪原は同時に息を飲んだ。
俺は初めから雪原が心にも思ってないことを言っていることは見抜いていた。雪原も俺に見抜かれるのを承知で発言していた。俺に真意を見抜かれたところで雪原としては痛くも痒くもなかったからだ。
だからこそ――十堂に見抜かれることまでは想定していなかったのだろう。
その動揺を隠し切ることは出来なかった。
「図星ですか」
ぽつりと、十堂の口から溢れる一言。
胸に落ちると、水の波紋のように動揺が広がる。
ああ、最悪だ。俺と雪原は動揺を隠しきることが出来なかった。
「先輩はわたしのこと舐めすぎですよ。わたしだって普通ではないんですから。つもり先輩や隼人先輩が……あと優誠先輩もですかね? まぁとりあえず三人が人の心を大体読めるようにわたしだって読むことができます」
絶句している俺たちに構わず十堂は言葉を重ねていく。
「わたし自身、嘘とかは好きじゃないのであまり吐きませんけど、やろうと思えば呼吸をするように嘘を並べられますよ。まるでそれが真実のように嘘を振る舞うことが出来る。つい先程のつもり先輩のように」
「恋歌……あなたは何者なの」
やっと口を開いた雪原から出てきた言葉は当然のような疑問だった。
「わたしは十堂恋歌です。それ以外の何者でもありません」
「……そう」
それっきり雪原は口を閉ざした。
おそらく、初めて見たであろう本当の感情を剥き出しにした十堂に何を思っているのか。
歩道の端に等間隔で埋められた街路樹がざわざわと揺れる。
それは俺たちの心のざわめきを表しているように音を立てて不安を駆り立てる。
「あ、そうだ先輩方。まだ時間あります?」
「……あるけど」
水面下で激しい思考の殴り合いが始まる。
相手が何を考えているのか、しようとしているのか。
思考の争いはどちらが相手より上をいけるかで勝負が決まる。
「ならクレープ食べに行きませんか?」
「へっ?」
拍子抜けと言わんばかりのすっぽ抜けた声が雪原から放たれる。
「く、クレープ? なんで?」
「なんでって、そりゃ……ちょっと足りなかったからですよ」
押さえていたお腹からくぅーと、可愛らしい腹の虫が鳴いた。
「ははっ……あは、あははははっ!」
それを聞いた雪原が腹を抱えて笑い出す。
「あー……おっかしい。私バカみたいじゃん。あははっ……あー、もう……これは一本取られた」
「それはクレープ付き合ってくれるって判断してもいいですか?」
「いいよ。付き合ってあげる。何なら一つ奢ってあげる。トッピングなんでも頼んでいいよ」
「先輩太っ腹ですね。感激ですよ」
「でも、とりあえず一つだけ言わせてもらってもいいかな?」
「はい。なんですか?」
無表情で訊ね返す十堂。
雪原はそんな十堂に満面の笑みを浮かべて近づく。そして十堂の両肩を掴み、視線を合わせたその刹那――
「恋歌」
――浮かべられた笑顔の本当の恐ろしさが姿を現した。
それはハイエナの如く、獲物を獲る直前まで巧妙に隠されていた殺気が溢れでたようなもので、俺は息を飲んだ。
「あまり私を舐めるな」
「……」
だがしかし、ほぼ零距離と言ってもいい距離で放たれた的確な殺意に十堂は目を逸らすことはなく、その全てをあの小さな身体で受け止めていた。
「肝に銘じておきますよ」
「ならいい」
トンと、肩から手を離す。
「んじゃとりあえずクレープでも食べに行こう。恋歌、道案内よろしく。どこのクレープ行くのか分からないし」
次の瞬間には悪魔を連想させた雪原は普通の人間に戻っていた。
中身が入れ替わったのではないかと錯覚してしまうほどの切り替えの早さ。
雪原つもりという少女はこれだから恐ろしい。
「もちろん案内しますよ。隼人先輩も行くんですよね?」
「あ、ああ。俺も行く」
「了解です。ではクレープを食べにレッツゴーです」
歩き出した十堂の後ろを俺と雪原はついていく。いつもと逆の光景が少し新鮮に思う。
「ちなみに場所は御桜ショッピングモールです。フードコートに新しく出来ているのを旅行行く前に見つけたんですよ。どうせなら先輩方と行きたくて」
「私柑橘系のやつ好きなんだけどある?」
「ありましたよ。オレンジレモンチョコクレープってやつが」
……それは美味いのか?
チョコいらなかったんじゃないか……?
「オレンジレモンクレープ……なかなか美味しそうね」
チョコ忘れてるぞ雪原。
柑橘系なら何でもいいのかお前は。
「俺は一番シンプルなやつでいいかな」
「ならシュガープレーンですね」
クレープ生地に砂糖をまぶした感じのクレープだろうか。
「名前からしてシンプルそうだな」
「お値段も一番お安いですよ」
「サイフにも優しいなんて最高じゃないか」
そんなこんな話しているうちに御桜ショッピングモールに到着する。
ここはこの時間でもわりかし混んでいる。昼間ほどではないが、街に一つしかないショッピングモールとなると人が集まるのは必然だ。
「わ、結構混んでますね」
人混みをかき分けてクレープ屋の前に到着したが、大盛況のようでかなり長めの列が出来上がっていた。
「混んでるってことは人気ってことなんだな」
「のようですね。さすがにびっくりしました」
「出来たばっかりだからってのもあるでしょ。とりあえず並ばないことには始まらない」
「ですね」
列の最後尾に並ぶ。
この感じだと数十分は待つことを覚悟しておいたほうがよさそうだ。
「気長に待ちましょう。苦労の後に美味しいものが食べれるって思えばこれくらい軽いものです」
「並ぶのは全然いいんだが如何せん眠くなってくるんだよな」
「話していればそうでもないと思うけど。ふぁぁ……」
「……言ってるそばから欠伸されると説得力の欠片もないよな」
「さすがに旅行の疲れが溜まってるから。クレープ食べたらさっさと帰って寝る」
「ある意味食べるまでが勝負ですね」
「そうだねー。とりあえず――前の人たち蹴散らしたい」
ビクッと、前に並んでいたカップルの肩が跳ねた。
「脅すな脅すな、お前の場合本当にやりかねない」
「えー」
「えーじゃない」
苦笑いする。
先ほどまでの険悪な空気は微塵も感じられなかった。
何事も無い平穏な日常。
でも一つわかったことがあった。
「警察沙汰だけはめんどくさいので勘弁してください、つもり先輩」
「さすがに警察沙汰まではしないよ。警察沙汰までは、ね」
雪原と十堂の間には小さな壁が出来上がった。
その壁が厚くなるのか薄くなるのかはこれからの二人次第ということだろう。
微かに漂ってくるクレープの甘い香りを楽しみながら俺はそんなことを思ったのだった。
to be continued
心音です。こんばんは。
さて、恋歌の本性が明らかになった今回のお話ですが、遥香ルート全く関係なかったですね。でもまぁ、流れは作れているのでよかったです。
次回からは遥香ルート終了まで完全に遥香のお話となります。
それでは次のお話でお会いしましょう。




