第47話『将来の夢』
「古宮……お前、なんでこんなところに?」
驚きと戸惑いを隠しながら咄嗟の判断で結菜を自分の背中に隠す。
月明かりしかないこの暗さだ。誰かと一緒にいるのは分かっているにしても、誰と一緒にいるかまでは分からないはずだ。
「……誰と、一緒に……いるの?」
「……」
予想通り古宮は俺の背中にいるのが結菜だとは気づいていない。
「――隼人、僕はこのまま退散します。本当はホテルまで一緒に行きたかったけど……まぁしょうがないね。それじゃ、またね」
古宮に聞こえないくらいの声量でそれだけ言うと、背中越しにあった結菜のぬくもりが消えた。
遠ざかっていく軽い足音を聞きながらふと結菜の言葉を思い返し、瞬間的に考察する。
あいつ……同じホテルに泊まってるのか?
いやまぁそんなことは今はどうでもいい。
「古宮、こんな時間に一人で出歩くなんて危ないだろ」
「……それは、浅川くんも……同じ」
「俺は男だからいいんだよ。古宮は女の子だろ? 地元ならまだいいにしても、ここは仮にもリゾート地だ。変な奴が彷徨いているかもしれないんだから注意しないと」
「……浅川くん、心配性の親、みたい。ハルカ、子どもじゃ……ないんだから」
「はぁ……古宮が心配だから言ってるだけだ。不愉快にさせたなら悪かった」
「……別に、不愉快なんて、思ってないよ。心配して、くれるのは……嬉しい、から」
言いながらこちらに歩み寄ってくる。
そして俺の前に立つと辺りをキョロキョロしながら首をかしげた。
「……一緒に、いた子……どこ?」
器用に死角をついて脱出したのだろう。
古宮は結菜がいなくなっていることに一切気づいていなかった。
なので少しおちょくってみることにした。
「お前……あの子が見えていたのか?」
「……えっ?」
そのまま古宮の動きが止まる。
「いやだから……あの子が古宮にも見えていたのか?」
「……」
古宮の顔がサーと、青ざめていく。
聞いてはいけないことを聞いてしまったとでも言うように古宮は俺の瞳から逃げる。
「……ごめん、ハルカの……見間違え、かも。うん。誰も、いなかったね、うん」
明らかに動揺していた。
もうちょっとからかっていたかったのだが、耐えきれず笑いが溢れる。
「……あ、浅川……くん?」
「ごめんごめん、嘘だ。幽霊とかそういう得体の知れないものじゃない」
「……え、うそ」
青ざめていた顔が今度は羞恥のあまり真っ赤に染まっていく。
そんな表情の変化がとても可愛く思えてまた笑ってしまう。
「……もう。笑い事じゃ……ないよ!」
「あははははっ」
「……いつまで、笑ってるの……かな?」
「すいません」
素直に謝ると古宮は「まぁいいけど」と俺に背を向けた。
海の上に浮かぶ満月と古宮の小さな背中。夜の海と同じ色の蒼い髪は海風に乗ってサラサラとなびいていた。
絵にしたいほど古宮の後ろ姿は神秘的に見える。
「――海、綺麗だよな」
小さな背中に語りかける。
「昼間見たものと全く同じはずなのに、時間帯が違うだけで全く違う場所にいるような気分になる。不思議だよな」
「……昼が、光なら……夜は、闇。明るいか、暗いかの、違いで……見えてくるものは、変わってくる。ハルカは、夜のほうが……好き、かな。昼間と違って、静かだし、それに……落ち着くんだ」
「落ち着く……か。昼は騒がしいってイメージがあるからな」
「……そうだね。だから、ハルカは、夜がいい」
雲一つない夜空に煌々と輝く満月を見上げる古宮。合わせるように俺も視線を上げる。
何気なく――前から気になっていたことを聞いてみることにした。
「なぁ、古宮の将来の夢って何なんだ?」
「……」
古宮は無言を返した。
やはり答えづらいことなのだろうか。
「……ねぇ、浅川くん」
身体は正面を向いたまま、顔だけを古宮はこちらに向ける。
「…………え?」
思考が停止した。
もし……もしもだ。今俺に向けられたその表情が、秘密だよと言うように微かに笑った表情だったり、なんでそんなこと聞くの?って感じの戸惑いの表情だったのなら……俺は今、こんな風に唖然としてはいなかったはずだ。
「ふ、古宮……?」
驚きのあまり声が掠れる。
先ほど結菜といるのを見られた時より大きな動揺が俺のことを襲っていた。
彼女から目を逸らすことができない。
月明かりが陰ることなく無差別に俺たちを見下ろすように、俺は古宮から視線を逸らすことが許されない。
「なんで……泣いているんだ……?」
アメジスト色の瞳から頬を伝って零れる透明な一滴。
突然のことに思考が追いつかない。
なんで泣いている? 俺が何かをした? そんな考えが頭の中を駆け巡る。
「……あはは。ごめんね……目に、ゴミが……入ったみたい」
嘘だ。
誰が聞いてもその言葉が嘘だと分かる。
「……」
「……」
黙ったまま真っ直ぐに古宮を見つめる。
古宮もさすがに嘘を貫くことはできないと判断したのか、小さくため息を吐いた。
「……入学式の日のこと、覚えてる?」
入学式の日……?
古宮と初めて会った時のことを言っているのだろうか?
「……あの日、浅川くんは、ハルカに……初めまして。そう……言ったね」
「あ、ああ。そうだな」
何故……今更そんな話を持ち出してくるのだろうか。それが古宮が涙を流している理由だというのか。
「……懐かしい、よね。あれから、もう……一年近く、経つんだもの。ちゃんとした、友達になって……一年。本当に、いろいろあった」
思い出に浸るように古宮はそっと目を閉じる。
波の音がやたら大きく聞こえ、無言の時間をカバーしているようだった。
どこか遠くの方で汽笛が鳴る。それがトリガーとなって俺はようやく口を開いた。
「……古宮、お前は一体……何が言いたいんだ?」
ビュン――と、俺たちの間に一陣の風が吹き抜ける。
髪を押さえた古宮は身体をコチラに向き直し、ゆっくりと目を開いた。
「……違うんだよ」
「違う? 何が……違うっていうんだ」
「……浅川くんの、言葉」
「……どういうことだ? 俺の言葉が違う?」
「……初めまして」
「え?」
「……初めましては……違うんだよ。ハルカは、浅川くんに、会うの、初めましてじゃ……無いんだよ」
「なっ……!? バカな……」
そんなはずない。
しかし喉から出掛かっていたその言葉が口から出ることはなかった。
俺を見据えるその真剣な瞳は、鍵のかかった扉を開け放つように瞳から脊髄へ、脊髄から脳へと入り込んでくる。
そして迷うことなく一直線に、その記憶への入口の扉の前に辿り着く。
『……あなたは、不思議な人。本当に、不思議な人』
カチャリ――。
記憶の扉の鍵が解かれた。
そして――思い出した。
あの春の日のことを。
俺が図書館で出会った一人の女の子のことを。
『私の……心の奥底に、眠った、感情を、表に……出してくれた。久しぶりに、笑うことが、できたんだよ』
思い出される女の子の笑顔。
『……うん、またね。私に、笑顔を……くれた人』
そしてその笑顔は古宮と重なった。
「――古宮……お前は……図書館で小説を書いていた女の子だったのか……? たった一度……あの日以来会ったこともなかった俺のことを……お前は今の今までずっと覚えていてくれてたっていうのか……?」
「……うん、そうだよ」
短く答えて古宮は俺の前に立つ。
俺を見上げる古宮の瞳にはまだうっすらと涙が溜まっていた。
「……あなたは、ハルカに……笑顔を、くれた。笑うことを、教えてくれた。そんな、特別な人を、忘れるなんて……ありえないもん」
だから。と、言葉を続ける。
「……入学式の日、あなたに……浅川くんに、再会できて、ハルカは……嬉しかった。胸が……高鳴った。こんな……奇跡みたいなことが、現実で起こるなんて、思わなかったから」
俺は自分自身をぶん殴りたくなった。
古宮は俺のことをずっと覚えていてくれてたのに、俺という奴はそんなことをすっかりと忘れていた。
初めまして。そう俺に言われた古宮の心はどれだけ傷ついたのだろう。自分は覚えているのに相手は覚えていない。こんなにも悲しいことは他にはない。
「ごめんな……古宮……」
謝ったところで現実が変わる訳ではない。
あの日傷ついた古宮の心が癒されるわけではない。
それでも謝らずにはいられなかった。
「本当にごめん。一年以上一緒に過ごしていたのに思い出すこともできないなんて……」
本当に情けない。
じわりと口の中に血の味が広がる。
知らず知らずのうちに唇を噛んでいたようだった。
「……大丈夫、だよ……浅川くん。ハルカは、大丈夫。だから、もう……謝らないで。ハルカが、悪い人……みたいだよ」
「でもお前さっき……泣いていた。泣くほど悲しかったってことだろ?」
「……確かに、そうだね。でも、浅川くんは、ハルカのこと……思い出して、くれた。忘れたままだったら、本当に……辛い。けど――君は、思い出してくれた。だから、もういいんだよ」
「古宮……」
俺はもう一度だけごめん。と頭を下げた。
ごめんという言葉は何回も言ってしまうと、その分言葉の価値が下がってしまう。
だから俺がそれ以上謝罪の言葉を口にすることは無かった。
混乱していた頭も冷静さを取り戻しつつあり、古宮と初めて会った日のことも確実に思い出していた。
「小説……」
錆び付いたチェーンに油をさしたかのように思考がスムーズに動き出し、俺は一つの結論にたどり着いた。
「古宮の将来の夢ってもしかして――小説家なのか?」
あの日やっていたことは小説を書くことだった。
そして思い出す。
結菜と付き合い始めたあの日――古宮がいたあの場所の付近には、小さいが小説に関する資料や道具が売っている店があるということを。
確か店の名前は――古い色の屋と書いて『古色屋』。読み方はそのままで『ふるいろや』。
ひっそりとした店で、あまり本が置いてなく、あるのはペンやらインクやらという理由から一、二回くらいしか行ったことがない。
小説家になりたいというのが古宮の夢なのであればあの場所にいたのは納得できる。
「……思い出したのなら、流石に……分かっちゃうよね。浅川くんの、言う通り、だよ。ハルカの、夢は……小説家。あの日から、変わってない……ハルカの夢」
「すごいな……。あれから三年くらい経つ。ずっと夢を追いかけていたんだな」
「……うん」
「でも……ならどうして俺が前に将来の夢が何か聞いた時教えてくれなかったんだ? 榊先輩が聞いた時もそうだ。秘密って言って教えてくれなかったよな?」
「……ああ、うん。それはね、結構……単純な、理由なんだよ」
「単純な理由?」
「……そう。恥ずかしい――って、気持ちが、半分。そして、もう半分は――」
揺れるアメジスト色の瞳。
何かを――恐れているようだった。
「……古宮」
言う事を恐れている。
ここで俺が辛いなら言わなくていいと一言言えばきっと済む話だ。
でも古宮は自ら話そうとしている。今まで誰にも言わなかったことを自分の口から伝えようとしている。
だから俺は言わなくていいなんて言わない。俺には聞く義務がある。そんな気がした。
「……浅川くん?」
少しでも話しやすいようにと、俺は大丈夫と言い聞かせるように古宮の頭に手を乗せ、ゆっくりと撫でる。
人は頭を撫でられると心が落ち着くらしい。
女の子の場合快感が得られるとか聞いたこともあるが、今は落ち着かせるためにやっているつもりだ。
こんなところを結菜に見られたら終わるような気がするが……きっと大丈夫だろう。
やがて古宮はぽつりと言葉を紡いだ。
「……否定されるのが、怖かったから」
「否定?」
「……うん。みんなに、否定されるのが……怖ったの」
「どうして俺たちが否定なんてするんだよ」
「……ほら、小説家って……安定しない、職業でしょ? 評価される、物語が、書けなかったら……それで、終わり。そんな、不安定な職に、就こうとしたら……みんな、止めるでしょ?」
「……バカか」
「……え?」
予想外の返しだったのだろう。
古宮は目をぱちくりさせていた。
「バカだって言ったんだよ」
「……な、なんで……なんで、ハルカが、バカなの……!?」
「バカだからだよ!!」
叫ばずにはいられなかった。
声の大きさに驚いたのか、ビクッと古宮は表情を強ばらせる。
怖がっているのかもしれない。けど俺は構わず古宮の肩を掴んだ。
力を入れれば簡単に壊れてしまいそうなほど小さな身体。
こんな小さな身体にだれだけのものを抱えているのだろうか。
どれだけの辛さを抱え込んでいたのだろうか。
だから俺は目の前のバカな女の子の心にしっかりと伝わるようにありったけの感情を込めて叫ぶ。
「俺たちがお前の夢を否定するなんて思っているのか!? 大切な友達の夢を否定するわけないだろ!!」
「……ッ!?」
「応援するさ!! お前が夢に向かって進もうとするのなら俺は――俺たちは古宮を全力で応援する!!」
俺たちは何十億といる人間の中から巡り会えた特別な関係なんだ。
だから――そんな奇跡のような出会いを大切にしなければならない。
「越えられない壁にぶち当たったら相談してくればいい。辛い時やどうしようもない時は胸を貸してやる。それが友達ってもんだろ!! だから――もう泣くな、古宮」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を隠すように俺は古宮を自分の胸に抱き寄せた。
溢れた涙が俺のTシャツを濡らし、微かな嗚咽が漏れる。
「……俺たちを信じろ、古宮。お前だって俺たちのことを友達だと思っていてくれてるんだろ?」
「……そんなの、当たり前……だよッ!」
背中に回された手に力が込められる。
「……ハルカは、バカだった……! こんなにも、ハルカのこと……考えて、くれてたのに……。こんなにも……ハルカを、想ってくれる、友達がいたのに、怖かった――って、理由だけで、友達を……信じてなかった……!」
流れる涙と共に感情が溢れ出る。
溜め込んでいた思い。
どうしようもない不安。
それが全て涙と一緒に流れ出る。
「大丈夫だ、古宮。お前には俺たちがついているんだから」
心配しなくてもいい。
恐れなくていい。
お前には頼れる友達がいるんだ。
「……ありがとう、浅川くん……。ハルカ、みんなと……浅川くんと、友達になれて……良かった。本当に……良かった」
顔を上げて古宮は笑う。
頬を伝った涙の軌跡が月明かりに反射して艶かしく光る。
思わず魅入ってしまっていた俺は慌てて古宮から視線を逸らした。
「そ、そろそろ帰ろうぜ。十堂も待っているだろうしな」
「……恋歌ちゃんは、つもりちゃん達と、一緒」
「そうか。まぁとりあえず帰ろう」
若干顔が熱い。
古宮にバレるまいと俺は背を向けた。
to be continued
心音です、こんばんは。
自分で言うのもあれですが、やっぱり急展開ですよね。もうちょっとゆっくり進めてもいいかなって思うんですけど、次の話書きたくてうずうずしてるんですよね←クズ
さて、今回の話ですが、やっと隼人が遥香のことを思い出しましたね。
ついでに遥香が夢を言わなかった理由も。
自分の夢を話して否定されるのは確かに怖いですよね。でも信じて話せるのこそ本当の友達ってものだと思います。
要するに今回の話は自分の自己満足、解釈が混じっていますね。
それでは次のお話でお会いしましょう。




