第25話『首の傷、記憶の欠片』
しばらくしてから俺は学校を出た。
校門を出て校舎側のほうへ振り返る。青黒く染まる後者の壁。四角く切り取られた暗闇の空間が無数に並ぶ中、生徒会室の明かりはまだ――付いていた。
明日のうちにやる仕事を思い出したらしく、宿泊届けを出して居残りで仕事をするらしい。俺も手伝おうと思ったのだが、これは私のやるべき事だから。と、聞かなかったからコーヒーを一杯入れて生徒会室を後にした。
後ろ髪を引かれる思いだったが、俺はしぶしぶ帰路についた。
「――あれでよかったんですか?」
十字路に差し掛かったところで横から聞こえてきたその声に足を止められる。
横目で見ると、壁に持たれかかっている栗色の髪の少女――結衣がいた。
「なんの事だ」
「惚けても無駄ですよ、隼人。榊夜乃先輩のことに決まってるって」
「お前な……」
ため息を吐きながら俺は結衣と向き合う。
背後でぼんやりと光る街頭には小さな虫がたくさん群がっていた。そんな場所の真下にいるというのに結衣は何も気にしていない様子で笑みを浮かべていた。
悪いことをした、とか、謝ろう、という気持ちは、結衣の浮かべる笑みを見る限り一切無さそうだった。
「……どこまで聞いていたんだ?」
「カモミール。気分が落ち着く香りでしょ? の、辺りからですね」
「ほぼ最初っからじゃねーか。ていうか、盗み聞きとか最低だぞ」
「知らない」
素っ気なく言葉を返すと結衣は俺に背中を向けた。
ふわりと躍った栗色の髪。一瞬見えた白い首筋には――ミミズ腫れのような赤い線が痛々しく引かれていた。
「――ッ」
その傷を見て何故か、心が針に刺されたようにチクッと痛んだ。その痛みは傷口から溢れた血玉のように俺の心を不安な気持ちで膨らませていく。
自分の内側から溢れてくる不安に足に力が入らなくなり、バンッとすぐ横の壁に手をついた。
「……? 隼人? どうかしたの!?」
俺の状態に気づいた結衣が慌てた様子で俺の身体を支えた。
コイツのこんな焦っている姿を今日初めて見たかもしれない。いつもクールビューティーを気取っているからいい絵が見れたと思った。
「どうしたんですか急に……。もしかして体調悪かったの? それならそうと――」
「……」
心配そうに言葉を掛け続けてくれる結衣の手に俺の手を重ねる。
「……なぁ、結衣」
そして結衣の月と同じように輝く瞳をジッと見据える。
「お前……その首筋の傷、どうしたんだ?」
重ねられた手が俺の言葉に反応してビクッと跳ねたのが分かった。
触れてはいけない内面に素手で触れたような感じで心が痛む。
聞いてはならない。とでも言うかのように頭では警鐘が鳴り響いていた。だが、ここまで言って止めることなど出来やしなかった。
頭の一部で蘇る古い光景。忘れていた記憶の一部分が瞳の奥のスクリーンで上映していた。
「この傷は――」
結衣は言いよどむ。
正直、それだけで十分だった。
「悪い、変なこと聞いて。ちょっとした興味本位でこういうこと聞くのも失礼だったな」
「い、いえ……別に構いませんけど……」
そうは言うものの、結衣の表情に影は落ちたままだった。
話を切り替えるために俺はポケットからスマホを取り出した。
「そういや次会った時にメッセージの交換するって話があったよな。ちょうどいいし交換しておこうぜ」
アプリを起動して自分のID画面を開き、スマホを結衣の顔の側まで持っていく。
「そういえばそんな話もありましたね。スマホ出すのでちょっと待ってて。カバンの奥の方に入っちゃってる気がするんだよね……」
ここでようやく握ったままだった手を離し、ガサゴソとスクールバッグを漁る。
温もりが消えた右手を俺はゆっくりと下ろした。
角度的にスクールバッグの中身が見えるのだが、教科書の類いは一切入ってなく、代わりにピンクの表紙のスケジュール帳とおびただしい数のメロンパンが詰め込まれていた。
「……お前やっぱりメロンパン好きだろ」
「前も言ったじゃないですか。普通ですよっ……と」
発掘されたスマホのロックを指紋認証で解除すると、慣れた手つきで俺のIDを打ち込んで友達登録を完了させる。
プロフィールのアイコン画像は――メロンパンだった。
「……説得力の欠片もないな、おい」
「何がですか。とりあえず僕からメッセージ送っておくからそこから友達登録しちゃって」
言い終わると同時にメッセージが一件届く。
差出人の名前は『YUI』。俺と同じで何の捻りもない名前に少し安心する。
『友達登録お願い』
文章も淡々としていて面白みがない。
チラッと覗き見た画面に表示されている友達の人数は俺を含めて10人もいなかった。クラスでみた結衣の雰囲気からすると友達は多そうなイメージだったのだがどうやら俺の勘違いらしい。
「登録したぜ。よろしくな」
「こちらこそ。暇な時とかに適当にメッセージ送るよ」
「寝ていなければちゃんと返してやる」
「了解です。と言っても僕はあまりメッセージ送らないんだけどね。どちらかと言うと電話のほうが好きだし。ほら、文章だけのやり取りだと気持ちってものが伝わらない気がするんだよね。でも電話なら相手の声を直接聞くことが出来るから、心情を察したり、状態を確認することができる。声で伝えるってのは気持ちを伝えるのに一番手っ取り早い方法だからね」
なるほど。結衣のメッセージの友達が少ない理由が分かった。
確かに今の時代、このアプリのように文章だけで会話することが主流になっているところがある。結衣の言う通り、気持ちをきちんと伝えたいのならメッセージよりは電話のほうが良いのは明確だ。
人は楽なものに頼る傾向がある。だから大事なことも簡単に伝えようとしてしまい、失敗することも多々あるだろう。
「昔はこんな便利な機械もアプリも無かったですからね。だから僕たちは文明の進化にもっと感謝するべきだよ」
結衣はやれやれと手をヒラヒラさせる。
「めんどくさい事をするよりは楽なものを選びたくなるのが人ってもんだ。全く、文明の進化ってのは同時に人を堕落させるな」
「でもまぁ……それが現代ですからね。だから必死になって合わせようとするんだよ。進歩についていけなくなったら取り残されちゃうから。それは――人との関係も同じ。相手の気持ちを理解出来なかったらその人にはもうついていけない。分かる人に追い抜かれてさようなら。もう二度と追いつけない」
「それはまた――違う話じゃないか?」
「同じですよ。要するに、文明の進化にも、人との関係も、歩みを合わせないといけないってことなんだから」
「……なるほどな」
人との関係というのは非常にめんどくさい。
「さて――僕はそろそろ帰らせてもらいます。お腹すいたし」
時間は21時になろうとしていた。
いつもならご飯を食べ終えている時間だ。俺の腹も空腹を訴えていた。
「結衣の家ってどの辺なんだ?」
「それを聞いてどうするんですか? ストーカーをする気なら他所を当たって」
「俺がそんなことするような奴に見えるか? ストーカーはどちらかと言うと結衣のほうだろ」
何処で見張られたり、会話を聞かれているか分かったもんじゃない。
「あはははっ。隼人の言う通りですね。僕の方がよっぽどストーカーに近いことしているよ。黒に近いグレーって感じかな?」
「そりゃもうストーカーの域超えてるっつうの」
犯罪者一歩手前じゃねーか。
つっこんでも無駄だと分かっていたから口には出さなかったが、結衣は案の定の俺の心を読んでいたようで意味ありげに口元を吊り上げていた。
「まぁ冗談はさておき、僕の家は隼人とは逆方面。だからここでお別れですね」
「……ちょっと待て」
聞き捨てならないセリフに俺はガシッと結衣の肩を掴む。
端から見れば今にも女の子を襲おうとしている図になっているだろうが、生憎この辺は夜人通りが少ない。通報されるようなことは無いはずだ。
「きゃー押し倒されるー。いやーやめてー」
「良いではないか、良いではないか――って乗せんな」
日曜日の夜にやってそうな時代劇シーンを繰り広げるのも馬鹿らしく思い、俺は結衣から手を離す。
辺りの空気は少し冷たくなってきていた。春もだいぶ終わりに差し掛かり、初夏の息吹を感じてきたが、それでも夜はまだ寒い。
昼間さんざん歌っていたウグイスのさえずりが無いと、あまりにも静かすぎて寒さがより一層際立つような気がした。
聞くこと聞いて早く早々に帰ることにしよう。最も、答えは分かりきっているのだが。
「お前なんで俺の家知ってんだよ」
そう訊ねると結衣はくすりと笑って俺の隣をすり抜けていった。
「そりゃ――黒に近いグレーですからね」
背を向け、去っていく後ろ姿。
背中越しに、俺は声をかける。
「またな、結衣」
別れの言葉を告げて俺も歩き出す。
「ええ、またです。隼人」
カツンカツンと、少しずつ音が遠ざかっていく。
足音が完全に自分のだけになったところで俺はふと足を止めて振り返った。
そこには闇だけが広がっていて、結衣の姿は無かった。
「……いつになったらあの日の放課後のこと聞けるんだろうな」
そんな俺の呟きも、辺りを覆う闇に飲み込まれて消えていった。
to be continued
心音です。こんばんは。
さて、夜乃ルートですが次の夜乃ルートエピローグで終わりになります。
今回の話ですが、夜乃全く関係ありませんね。結衣と隼人の会話が完全にメインになりました。
結衣の伏線をばら撒くだけばらまいておくスタイル。次回のエピローグはちゃんと夜乃だけなのでご安心ください。
それでは次のお話でお会いしましょう。




