第24話『心の支え。繋がる心』
夕焼けによって紅く染まった廊下。窓が作る四角い光を踏みつけながら俺は一人、生徒会室に向かって歩いていた。
真っ赤に燃える夕陽は少しずつ、その巨体を地平線の彼方へ沈めていた。日没まであと20分といったところだろう。
本来であればもう榊先輩と話をしている時間だったのだろうが、何やら用事があったらしく生徒会の仕事が昼休みの間に片付かなかったらしい。
つい先程スマホにメッセージが届き、今こうして向かっているというわけだ。
「……」
校舎は既に人の気配は無かった。この世界に一人、取り残されたような気分だ。
カツカツ――と、上履きと廊下がぶつかり合う音が尖った鉛筆のように一直線に続く廊下に反響しては消えていく。
やがて音は聞こえなくなる。生徒会室の前に着いたからだ。
覚悟はもう出来ている。俺は深呼吸を一度してからドアを叩いた。
「――入ってー」
中から榊先輩の返事が聞こえる。
俺はゆっくりとドアを開けた。
「――いらっしゃい、隼人くん」
部屋に入るとハーブのような落ち着く香りと、仄かに甘い香りが広がっていた。
テーブルを見てみると湯気のたったティーカップが二つ並んでいて、その中心には黄金色に焼けたバタークッキーが置いてあった。クッキーは先輩の手作りだろう。
カチャと、先輩は自分側に置いてあったティーカップを手に取り口を付ける。
沈みかけの夕陽をバックに紅茶を飲む榊先輩は言葉で表現するのが難しい。真っ白なキャンバスに写して保存してしまいたいほど絵になっていた。
「失礼します」
生徒会室にいる時のいつもの定位置に俺は腰を下ろす。
ふんわりと、ハーブの香りの乗った湯気が鼻腔を刺激する。
「カモミール。気分が落ち着く香りでしょ?」
「はい。すごくリラックスできます」
「気に入ってもらえてよかった」
榊先輩は柔らかい笑みを浮かべていた。
緊張感の欠片もない、屈託ない笑みに俺の心はミキサーにかき混ぜられるかのように様々な感情という果実が混じりあい、感情のミックスジュースが出来上がっていた。
ドロドロとまざりあったそれは俺の乱れた心を更に不安にさせるのに十分な効果を持っていた。
「こっちから誘っておいて遅くなってごめんね」
「いえ、仕事なら仕方ないですよ。全然気にしてませんから」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。仕事、頑張って終わらせた甲斐があった」
「他の生徒会役員はどうしてるんですか?」
「みんな自分の仕事で手一杯。だから会長の私が少しでも頑張らないとね」
「……先輩は今でも十分頑張ってると思いますよ」
先輩は――頑張りすぎている。
「そうかな?」
「そうですよ」
もしも――先輩が頑張る為の心の支えが俺なのだとしたら、俺は自らの手でそれを断とうとしているのだ。
すごく残酷なことをしようとしている。けどそうしなければ俺たちの為にはならない。
俺は、榊先輩の弟の代わりではないと――はっきりさせないといけない。
俺は俺だ。弟の代わりにはなれない。
「……先ぱ――」
話を切り出そうとカップをテーブルに置くのと同時に、部屋の暗さが増した。
太陽が完全に沈み、夜の帳が降りたのだ。
先輩の黒い髪はそんな夜の闇に溶け込んでいた。
「電気付けますね」
「ううん、このままでいいよ」
立ち上がろうとした俺を榊先輩は手で制す。
「このままのほうが――話しやすいでしょ?」
「……」
ああ、なるほど。
先輩はこれを狙っていたのか。
生徒会の仕事があったのは嘘ではないだろうが、一番の狙いはこうして話しやすい環境を作るためだったんだ。
「してやられた。って顔してるよ、隼人くん」
「そんなことないですよ」
「まぁいいけどね」
辺りが暗くなり、気づくのが遅れたが、榊先輩の顔に先程までの柔らかさは無くなっていた。まるで石膏で固定してしまったかのように重い表情で固まっていた。
声も覇気が無く、徐々に静かなものへと変わりつつあった。
「私はね、隼人くん。帳のこと――弟のことが、大好きだったんだ」
ポツリ――先輩が口を開く。
「小さい頃からずっと一緒だった。何をするも、全部一緒。遊ぶことも、勉強するのも、お風呂に入ったり、夜同じ布団で眠ったり――。私の隣には常に帳がいた。いることが当たり前だった」
「一心同体。みたいな感じですね」
「そうかもね。私と帳は一心同体。考えてることとか、好きな食べ物とかよく被ってたもん」
雲間に隠れていた月が姿を現し、生徒会室を照らした。
「楽しかった……。毎日が本当に楽しかった。これからもずっと、こんな楽しい毎日が続くんだと思っていた。そう……思っていた……。あの事故が、起こるまでは……」
月明かりに照らされた先輩の顔が悲しげに歪んだ。
「隼人くんはもう気づいているよね? 帳はもうこの世にはいないって」
「……はい。でも最初は前に言ったようにずっと喧嘩しているのかと思っていました」
「知ってる。私に聞いてきたもんね。まだ喧嘩してるの?みたいなこと。あの時は取り乱しちゃってごめんね」
「いえ……俺が軽率なことを言ったのが原因ですから。あの時俺は先輩に酷いことを言いました」
「俺は、先輩の弟の代わりにならないといけないんですか――でしょ?」
俺は頷く。
「あの言葉は、ココにきたなぁ……」
そう言って榊先輩は自分の胸を指さす。
「私は隼人くんを弟として――帳の代わりとして見ていた。それが隼人くんにとって迷惑なことだと分かっていたけど、やめることはできなかった。私の中で隼人くんは帳だったからね」
「先輩……」
「そんな顔しないで。悪いのは全部私なんだから。隼人くんにそんな顔されたら私困っちゃうよ」
俺は今どんな顔をしているのだろうか。
真面目な表情を作っているつもりだが、きっとそうではないのだろう。
「俺は確かに弟の代わりにされるのは嫌でした。けど――」
けど、の続きを言う前に先輩が言葉を遮る。
「うん、知ってる。だからね――隼人くん」
顔を伏せる榊先輩。
妙な胸騒ぎがした。何か言ってはならないことを言おうとしてる。
ゆっくりと顔を上げる榊先輩の蒼い瞳と、俺の瞳が交じり合う。
「もう――終わりにしよう」
それはあまりにも悲しげな声だった。
だが、美しく冷酷に、雲間から差し込む月明かりで青黒く染まった生徒会室の壁に反射し、刃となって俺の心を貫いた。
「先輩……? 何を言っているんですか……?」
声が震えていた。
手の指先から足の付け根まで、震えが止まらなかった。
でもそれは怖いからではない。榊先輩との関係がここで終わるのかと思って震えているわけではない。
「もう終わりにしようよ、こんなこと。隼人くんは私にとって大切な人。だから傷つけたくないの。きっと私といたら隼人くんは傷ついちゃうから。私なんていないほうが隼人くんの為なんだよ。私は――一人で歩かないといけないの」
――怒りで、震えが止まらないのだ。
「それ……本気で言っているんですか、先輩……」
「本気、だよ」
「嘘です」
一瞬、間があったのを俺は見過ごさなかった。
ああやっぱり。榊先輩は弱い人だ。
「すがる人が、先輩には必要なんですよね?だから俺を弟の代わりにしていた。違いますか? 違いませんよね」
「――ッ」
「すがれる相手を自らの手で切って、その後どうするんですか? 今の榊先輩が自分の足だけで前へ進めるんですか? 俺には今の榊先輩にそれが出来るとは思えません」
「なんでそんな――分かったように……!!」
「だって先輩――泣いてるじゃないですか」
「……えっ?」
言われてようやく気づいたのだろう。
榊先輩は恐る恐る濡れている目尻に手を持っていった。
驚き戸惑う先輩。俺は先輩に近づき、涙で濡れたその手を取った。
「誰の力も借りず、自分の足だけで歩くことは理想です。でも先輩、人間は一人では生きていけないんです。誰かの支えが必要なんですよ。じゃないと、辛い時、悲しい時――誰も自分を助けてくれない。そんなの……虚しすぎるじゃありませんか」
「そんなこと……そんなこと、分かってるよ!!」
榊先輩の絶叫が生徒会室に木霊した。
「心の支えである隼人くんを切り捨てるなんて嫌ッ!! 一人は嫌なのッ!! もうあんな寂しい思いはしたくない!!」
耐えきれなくなった涙が頬を伝う。
「けどね……!! それ以上に隼人くんに迷惑を掛けたくないの!! 傍にいると帳の代わりにしちゃうから……。だから……私は離れないといけないの!!隼人くんを帳の代わりにすがることなんてやっちゃいけないことなんだなら!!」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしても、榊先輩は叫ぶのをやめない。
心の底に溜まったモノを全て吐き出すように叫び続ける。
「隼人くんの言う通りだよ……私には帳の代わりにすがる人が必要だよ……!? でも!!隼人くんにも、みんなにも――これ以上迷惑を掛けられない……!! 私は……。私は……ッ! いなくならないといけないの!! 一人にならないといけないの……!!」
ああ、この先輩はバカだ。大馬鹿だ。
いいことを言っているつもりで何も分かっていない。残された俺たちのことを何も考えていない。
先輩、俺はあなたの元から離れるつもりなんて、最初っからありません。だから――俺の気持ちを聞いてください。
「――いなくなる? そんなことをする必要なんてないですよ」
「え――?」
俺は泣きじゃくる榊先輩を抱きしめた。
柔らかく、温かい。髪の毛からする香りシャンプーだろうか? すごく優しい香りだった。
先輩の小さな身体を抱きしめたまま、俺は言葉を続ける。
「――すがる人が必要? だったら俺を弟の代わりとして見ないで、ちゃんと俺としてすがればいいんですよ」
「隼人、くん……?」
先輩の潤んだ瞳が俺を見つめる。
何を言ってるのか理解出来ない――そんな顔だった。
「俺は榊先輩を拒んだりしません。確かに弟の代わりとして見られるのは嫌です。でもそうじゃなくて、俺を俺として見てくれるのなら嫌ではありません」
そう。俺は弟の代わりにされるのが嫌なだけだ。俺を俺として見て欲しい――それが、俺の願いなのだから。
「榊先輩。俺は先輩が一人でも歩けるように道しるべになります。俺が先輩の道を照らす灯りになります。それまではすがってきてください。俺は先輩の隣を一緒に歩いていきます。先輩が一人でも歩いていけるようになるその日まで」
先輩を抱きしめる手を緩め、少しだけ身体を離し、涙で濡れた瞳をのぞき込んで俺は笑った。
「だから先輩――いなくなるなんて言わないでください。先輩がいなくなったら――寂しいじゃないですか」
「あ……あぁ……隼、人くん……隼人くん――ッ!!」
ドンッ――と、胸に衝撃が走る。
榊先輩が俺の胸に顔をうずめてきたからだ。
「ごめんね……ごめんね……!! 私は、バカだ……本当に――バカだ……!! 隼人くんはこんなにも私のことを考えていてくれたのに、私は自分のことばっかりで!!」
「いえ、俺も先輩に酷いことを言いました。だからお互い様ですよ」
「それでも、ごめんね……。そして――ありがとう。こんな私を嫌いにならないでくれて、本当に――ありがとう……!!」
感謝の言葉を述べながら榊先輩は笑った。
久しぶりに見ることができた向日葵のような笑顔。
ああ、やっぱり榊先輩は笑った顔が一番似合っている。
「隼人くん」
「はい。なんですか?」
先輩の頬は鬼灯のように紅く染まっていた。
暗くてよく見えなかったが、よく観察してみると、手足が震えている。
「私が一人で歩いていけるようになるまで、私のことを――支えてください」
「……先輩」
朱色に染まった頬、落とされる視線――それが告白だと気づくのにそう時間は掛からなかった。
勇気を出して伝えてくれたのだろう。
なら俺もきちんと答えを返さなければならない。
「先輩を支えるのは――俺だけではありません」
「……えっ?」
「俺たちは仲間です。雪原も、古宮も。反町に十堂。そして――俺。先輩を支えるのは先輩の仲間であって、俺だけではありませんから」
これが――俺の出した答えだった。
先輩の気持ちは嬉しい。けど俺はそれに答えることは出来ない。
「あは、あははは……」
俺の言葉の意味を理解した榊先輩は儚げに笑った。
「そっかそっか、なるほどね……。こういう……振られ方も、あるんだ」
「……ごめんなさい」
「ダメだよ隼人くん、謝ったりしたら。振ったなら振ったなりに堂々としてないと。振られた私が……可哀想だよ」
「……」
ごめんなさい。と、もう一度言いかけて止まる。これでは同じことの繰り返しだ。
空で煌々と輝いていた月は雲間に隠れてしまい、お互い表情が分からなくなる。
唐突に訪れた無言の時間は遅延性の毒物のように徐々に心を蝕んでいく。
部屋に充満するカモミールの残り香が無ければ俺の心は不安で押し潰されていたであろう。
「――隼人くん」
薄暗い部屋の中に榊先輩の声が響く。
同時にトンっと、軽い衝撃が胸に走った。
見ると、先輩の小さい拳が俺の胸にあった。
「いつかきっと、あなたを振り向かせて見せるからね……!」
隠れていた月がスポットライトのように榊先輩を照らす。
「――楽しみに待ってます」
その表情を見て、俺はこの人はもう大丈夫だと――確信した。
to be continued
心音です、こんばんは。
夜乃ルートのクライマックスはいかがでしたか? 弟のことが吹っ切れ、ちゃんと隼人を隼人として見てくれるようになりました。
最後の告白めいたところですが、ちゃんと夜乃ルートをやるのであれば告白を受け入れ、次のシナリオに移るんですが、残念ながらそこはカットさせていただきます。内容としては生徒会の話ですね。
さて、クライマックスと言いましたが、夜乃ルートはあと2話続きます。それが終わるとまた共通ルートに入ります。
それでは、次のお話でお会いしましょう。




