第101話『夜空に願う事』
「……綺麗」
真冬の空は乾燥しているという事もあり、夜空を見上げてみれば無数に輝く星たちの姿をはっきりと瞳に映りました。
時刻は23時30分。
深夜という事もあり、日中と同じ格好にコートでは、この氷獄のような寒さを防ぎ切ることは難しいようです。
コートの隙間から入り込んできた風が冷たい。
真夏に優香さんのイタズラで氷を背中に入れられたことがあったが、感覚としてはそれに似ていました。
ツーっとくる悪寒に、わたしはぶるりと身体を震わせます。
「――さ、寒い……。私はまだ死にたくないよ……。帰ろうよ。凍っちゃうよ。寒いよ。炬燵で温りたい……」
極度な寒がりである優香さんはその場にうずくまってガタガタと震えていました。
わたしの記憶が正しければ、外に出る前にマグカップ三杯分のしょうが湯を飲み干し、太もも、背中、お腹に貼れるタイプのカイロを装着している筈です。
「……」
確認のためと心の中で言い聞かせ、本心のイタズラ心がバレないように背中に手を突っ込んでみると、
じゅ……。
熱したフライパンに水を落としたような音が聞こえたような気がしました。
「ひゃぁぁぁぁぁあああああ!!?」
情けない悲鳴が真冬の空に響いた。
わたしの入れた手は見事なまでにカイロの横の皮膚に触れたようだ。
「優香さんのカイロ、あったかいです」
「それ皮膚!! 絶対に分かっててやって……ひゃぁぁぁあああ!! て、手を! 手を動かさないでぇ……!!」
「仕方ないですね」
手を引くと優香さんは安心したようにホッと息を吐きます。
あまりにも隙だらけの優香さん。
もう少しだけ、イタズラしたくなってしまいました。
「……えい」
じゅー……。
「んひゃぁぁぁああああぁぁぁあ!! ひょぁぁぁぁぁああああああ!!!」
マフラーで隠された首筋も、とてもあたたかい。
冷えた身体で湯船に浸かるようなじんわりとした感覚で手が満たされます。
「いい悲鳴です。人間カイロ……癖になりそうです。優香さんの中、あたたかい……」
「……おい、恋歌。悲鳴を聞いてから文章の最初と最後だけ聞くと殺人事件が起きているようにしか思えないぞ……。しかもかなり凄惨な」
「手をお腹辺りにぶっ刺していそうですね……。優香さん、生きているの?」
呆れたような、戸惑ったような男女の声に振り返ると、案の定、隼人さんと結菜さんの姿がありました。
まぁ、振り返らずとも分かるんですけどね。
わたしに話しかけてくるのなんてこの二人か颯恋お姉ちゃんくらいなので。
「これはこれは隼人さんに結菜さん。良かったら二人も使ってみますか? 一度試したらもう抜けられなくなりますよ」
「麻薬を売るなら0点な売り文句だな……」
「隼人の言う通りです。でも、それで騙される人もきっといるんだよね」
結菜さんはカラカラと笑うと、空に視線を移しました。
雲ひとつない空で瞬く星たち。
おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン、オリオン座のベテルギウス。三つの星が織り成す冬の大三角はこの寒空にも負けずに輝いています。
「……そろそろ年が明けますね。年明けというのは感慨深いものだと思うよ」
今日は12月31日。大晦日。
夜空を見上げている結菜さんは、ほんの少しだけ寂しそうに笑っていました。
「その歳で何言ってんだか」
おちゃらけた回答をした隼人さんも、心做しか、寂しそうにしているように見えます。
かく言うわたしも、皆さんと同じような気持ちになっているのかもしれません。
「そういえば月見団子は無いんでしょうか? 僕、団子って結構好きなんだよね」
「十五夜と間違えてないか? 大晦日に食うのは年越し蕎麦だろ」
「私、蕎麦好きじゃないんだよね。年越しラーメンにしてくれないかな」
瀕死状態から回復した優香さんも会話に参加してきました。
「だいたい、どうして蕎麦限定なの。麺類の中で一番人気無いのをわざわざ使うなんて信じられない」
「文句たらたらなゆーちゃんに年越し蕎麦の由来を教えてしんぜよう」
江戸時代の代官様のような口調で颯恋お姉ちゃんがひょっこりと顔を出す。
確か颯恋お姉ちゃんは今話題に出ている年越し蕎麦を作っていたはず。もう準備が終わったのでしょうか?
「――蕎麦は麺類の中で一番切れやすいんだよ。だから今年の災厄を断ち切るって意味で蕎麦を年越しに食べることになったの」
「それってつまり、千切れやすいものなら何でもいいって事だよね。だったらわざわざ麺類に拘らなくてもいいんじゃ!」
「ん、んー……そう、なのかな? 年越し蕎麦は日本だけの文化だから、日本食であれば何でもいいのかも?」
「千切れやすい日本食って蕎麦以外に何かありましたっけ」
「……無さそう、ですね。強いて言うなら金箔……かな?」
「あれを食べ物に分類していいのか……? 微妙にズレているような気がするぞ」
食用金箔の金は純金ですが使用されている量は4%程度と言われています。
その90%以上はでんぷんで作られている為、食しても健康に害は無いようです。
これが純度100%となると話は別ですが、もしそうだとしても大量に摂取しない限りはノープロブレム。だからと言って食べていいわけではありませんが。
「結局、蕎麦を食べるしかないんだね」
「そういう事だな。諦めろ」
今年が終わり、来年がやってくる。
新しい一年があとほんの数分でやってきます。
この一年、本当に色々ありました。
でも最終的にはすべてが丸く収まって、わたし達は今こうしてここにいます。
優香さん。
わたしの大切な友人です。
隼人さん、結菜さん。
新しくできたわたしの友人です。
颯恋お姉ちゃん。
わたしのたった一人の本当の家族です。
この四人だけが居てくれればいい。
わたしはそれ以上の事は望みません。
それは実にちっぽけな願いかもしれません。
けれど、わたしはそれで十分なんです。
大切な人とずっと一緒に――。
いつまでも、いつまでも――。
結んだ絆は繋がり続けます。
ふふっ、素敵な願いだと思いませんか?
わたしの生い立ちを知った人間はそうは思ってくれない。きっと同情するに違いありません。
親に捨てられて可哀想。大変だよね。苦労しているよね。
知ったような口で何を。そんな同情をされてもどうも思えません。
同情なんて要らない。
同情なんてされたら惨めになるだけです。
何も知らない人がわたし達の経験した痛みを知るはずがない。想像すらできない。
わたし達は孤児です。
わたし達の気持ちを知りたいのであればあなた達も親に捨てられてみればいいんです。
そうしたらきっと、分かるはずです。
同情されることがどれだけ惨めな事なのか、身をもって体験することができます。
「あ、そうだよ! 年越し蕎麦! そろそろ完成だと思うから、はーくん達運ぶの手伝ってくれないかな?」
「仕方ないな。俺は安くないぜ?」
「好きな夕飯のおかず三日分でどうかな?」
「いいだろう。それで手を打つ」
「うわぁ……隼人さん安いですね……。あ、わたしクリームコロッケがいいです」
「恋歌だってちゃっかり頼んでるじゃねーか! てかおかずの権利得たの俺だぞ!」
「わたしはほら、妹ですから。多少の贔屓はしてくれるはずです」
「せこい!! こういう時だけ妹特権使うなんて横暴だよ!! 颯恋さん! 私はカレーがいい!」
「カレーってメインディッシュですよね。僕もうそれはおかずと呼べないと思うんだ。ね、恋歌さんだってそう思うよね」
「とても」
変わったことと言えば、皆さん、わたしのことを本名で呼んでくれるようになりました。
颯恋お姉ちゃんと本当の姉妹であること、必死になった隠していた事なのに、皆さんは受け入れてくれました。
今思えば、隼人さん達に隠す必要なんて……初めから無かったのかもしれません。
だって、あんなにも親身になってくれたんですから。
隼人さんも、優香さんも、結菜さんも――。
皆さん、優しすぎます。わたしには勿体ないくらい優しい。
あの日を境に、わたしの胸の奥のもやもやした感情が中和されました。
とてもすっきりとしています。
嘘みたいに心が軽いんです。
受け入れてもらえる事が、こんなにも安心できて、こんなにも嬉しい。
わたしは良き友に出会うことができました。
これから先、生きていくのであればたくさんの人と出会うことになり、関わることになる筈です。
人と関わらずに生きていくことなんてできませんから。
大勢の人と出会い、別れを繰り返したとしても。変わり続ける日々の中で、変わらないものがあるのだとしたら、それはきっと――隼人さん達です。
わたしの進む道の隣には、隼人さんがいて、優香さんがいて、結菜さんがいて、颯恋お姉ちゃんがいる。
この五人で人生を歩んでいけるのなら、わたしはもう、それだけで満足です。
「……恋歌? どうした? なんかいい事でもあったのか?」
「いえ、別に。ただ……今が幸せだなと思っただけですよ」
「変なこと言うんだな」
「そんなに変ですか?」
「だってほら、そんなの当たり前のことじゃんか。今が幸せなんてさ、今更実感するようなことじゃないだろ?」
「……ふふっ、あはは……っ」
自然と笑いが込み上げて来ちゃいます。
「そうですね。何を今更、ですよね。ほんと、隼人さんはすごいです。尊敬しちゃいたいくらいですよ」
まったく、こういう事を真顔で言うんですから、隼人さんにはほんと、頭が上がりません。
「わたし、隼人さんのそういうところ、好きですよ」
何気なく呟いた言葉。
反応が無いな思い、横を向くと、隼人さんはほおを熟したリンゴのように紅く染めてわたしのことを見ていました。
疑問符が頭に浮かびます。
あれ、わたし今……何を言ったっけ?
「ふっふっふ〜。れんちゃん、それは……はーくんに対する告白なのかな〜?」
「ち、ちが! そういうわけじゃないです!」
お姉ちゃんにおちょくられるように言われ、わたしの口から反射的に否定の言葉が飛び出しました。
確かに、聞く人によっては今のは告白に聞こえてしまうかもしれません……。
「えー! 違うんだー。はーくん可哀想だなぁ」
「ち、違いません! あ、いや、そうじゃなくてですね。好きか嫌いかで言われれば確かに好きですけど、そこに恋愛的な意味があるかと言われれば無いような気がして!」
だ、駄目だ。
わたし自身何を言っているのか分からなくなってきました。
落ち着いて、わたし。深呼吸ってヒッヒッフーでしたよね。
「ヒッヒッフー……ヒッヒッフー……」
「れんっち、落ち着いて。それはラマーズ法だよ。もし深呼吸をしようとしてるなら今すぐその間違いを正した方がいいよ。颯恋さん、何を血迷ったのか盛大な勘違いをして白目剥いてるから」
「れ、れ、れ、れんちゃんが……赤ちゃんを……相手は、は、は、は、はーくん……」
「おい待て!! 戻ってこい颯恋!! 俺は恋歌に手を出してなんかいないぞー!!」
「そ、そうですよお姉ちゃん!! わたしは隼人さんとそんな事していませんし、まだ出来るような身体でもないですから!!」
ああもう……わたしは一体何を叫んでいるんでしょうか。
周りの皆さんが無知で助かりました。
わたし達の会話を遠くから聞いていた職員さんは驚き戸惑っているようですけど、気にしないことにしましょう、はい。
「……というか、そもそも僕たちの年齢で性知識があるのがまずおかしいですよね。普通僕たちくらいの年齢は知らないよ。ね、優香さん」
「私に振らないで欲しいなぁ。けどほら、知ってて損のない知識だからいいんじゃない? どうせそのうち知ることになるしね」
「ずっとずっと先の話ですよ。僕たちはまだ知らなくてもいいこと。僕たちくらいの年齢はそんないつになるかも分からない先のことを考えるより、今を精一杯遊んだ方が将来の為になるよ」
「ませたガキだね」
「遊ぶのは子どもの特権ですよ、優香さん。大人になれば遊んでばっかりはいられないよ」
「一年が終わり、一年が始まる度に私たちは大人の階段を一段上がるのだとすれば、あと数分で上がらないといけないんだよね。そうしていつの日か上がりきる時が来る。その時こそ、大人になる時なのかな」
「……優香さんも人のこと言えませんね。ませたガキだよ」
優香さんと結菜さんは難しい話をしているようでした。
でも何となく、わたしにもその会話の内容が理解できるような気がします。
「……ねぇ、隼人さん」
「……ん? なんだ?」
「そんな警戒しないでくださいよ。ちょっとした世間話ですって」
「大人って何だろうな――とでも聞くつもりか? なら答えは、知らない。だ」
わたしの考えを先読みして隼人さんは淡々と答えます。
「大人なんてものは、なってみないと分からないものだろ。足し算や引き算のように答えが決まっているわけでもないんだしさ」
「もしも……」
「もしも?」
「もしも大人にならずに、子どものままでいられるとしたら、隼人さんはどうしたいですか? 大人になりますか? 子どものままでいますか?」
「難しい質問だな」
隼人さんは両手を大きく広げて、夜空を仰ぎました。
何か意味があるのかと思い、わたしも空へと視線を移します。
「――俺は子どものままでいたいさ」
隼人さんはうっすらと自嘲気味に笑顔を作っていました。
その気持ちは分かります。
その理由を、きっと次に口を開く時、語ってくれるでしょう。
「けれど、俺らは人間だ。人間である以上、大人には絶対になるんだ。だからきっと……我侭を言っちゃダメなんだろうな。大人になる――それが正しい答えなんだ。甘えちゃいけない。恋歌。お前だってそう思っているんだろう? いや、違うか。そう思えるようになったんだろ?」
「ええ……なりましたよ。わたしも大人になりたいと思っています」
答えると、何処か遠くで除夜の鐘が鳴りました。
去年が終わり、今年がやってきたのです。
年越し蕎麦は食べていないけれど、隼人さんとの会話で去年の災厄は断ち切れたような気がします。
「あけましておめでとうございます、隼人さん」
「ああ。あけましておめでとう、恋歌」
夜空を見上げたまま、わたしと隼人さんは新年の挨拶を交わしました。
新しい一年の始まりを歓迎するように、星たちは夜空で煌めいているのでした。
to be continued
心音です。こんばんは。
ここから少しの間、視点は恋歌に移ります。語り手が代わったのだから当然のことですね。
それは同時に、終わりが近づいてきた事を告げるのです。
隼人と結菜が無くしている事故までの記憶。恋歌の知りうる過去とは一体。
それでは次のお話でお会いしましょう。




