#4
『ことり、早く撃て! もたもたするな!』
耳をつんざくような怒声が響き渡る。
だけど、わたしの身体は動かない。ぱくぱくと開く口から吸い込んだ空気が胸につかえて、かすれた声がこぼれるばかりだった。
「だって、あれ、女の子だよ。小学生だよ。わたし、子どもを」
『小学生? 子ども? そんなはずは―――』
次の瞬間、声がノイズにまぎれる。沈黙が訪れる中、わたしの目は家の前に倒れる影に釘付けになっていた。
散弾銃の弾が何処かに当たったのか、うずくまったままの姿。小さなその影は、身動きひとつせず横たわっていた。
わたしは、子どもを撃ったんだ。
全身の血が引いていく感覚が、わたしの身体中を駆け巡った。
『やられた。ことり、そいつは違う、そいつは「義骸」だ』
―――義骸?
耳の奥に飛び込んできた声を、わたしはぼんやりと聞いていた。
『そうだ、「義骸」だ。情報知性体の奴らが「戦場」に出てくるために、そういう外装をまとうんだ。そいつは人間じゃないんだ』
イヤホンの向こうで舌打ちする音が聞こえた。
『ここ数万年、情報知性体の奴らが参戦することがなかったからって、油断していた。畜生、俺のミスか。いいか、ことり、そいつは人間に見える殻を被っているだけだ。撃て、撃つんだ』
あれは、人じゃない。
あれは子どもなんかじゃない。
わたしは散弾銃を構え直す。倒れ込んだままの小さな影に銃口を向け、そして。
そして、わたしは吐いた。こみ上げてきたものを押さえていられなくて、わたしはその場で吐いていた。
「……無理だよ。義骸なんて言われても、女の子にしか見えないよ。撃てない、撃てるわけないよ」
『馬鹿野郎、死にたいのか!』
耳に突き刺さる怒声に、わたしは首を何度も横に振った。
「できないよ、できるわけないじゃない。わたし、銃持ったの初めてだよ? 人を撃ったことなんてないんだよ。なのに、いきなり子どもを撃てなんて、できない、できるわけないじゃない!」
わたしはその場にうずくまった。胸が苦しくて吐きたくて、わたしは泣きながら膝を抱えた。
美咲姉、美咲姉はいつもこんなことをしてたの?
美咲姉も小さな子どもを撃ったりしていたの? 無防備な相手を撃っていたの?
笑顔の美咲姉が目蓋の裏に浮かび上がる。美咲姉、わたし、わたしにはできない、できないよう……。
『……ことり、俺が今から言うことを聞け』
泣きじゃくるわたしの耳元に、ノイズ混じりの小さな声が聞こえてきた。
黙りこくったままのわたしに構わず、その声は耳に流れ込んできた。
『いいか、ことり。これは戦争なんだ。「防衛者」が守るこの世界を奪うためなら、「攻撃者」はできる限りのことをする。子どもの姿もすれば騙し討ちもする。なぜか分かるか?』
わたしは首を横に振った。
『相手だって背負ってるんだ。何億もの仲間の命をだ。自分が勝てば助かる。負ければ死をただ待つだけの仲間たちのためにだ。そのためなら、餓鬼の格好だってする。卑怯なんて言われても構わない、当然のことだよ』
わたしは首を横に振った。
『ことり、忘れたのか? お前も、「防衛者」も無数の命を背負ってるんだ』
「……分からない」
わたしは涙を流しながら呟いた。
『分からない? ことり、お前は「防衛者」なんだぞ』
「分からないよ、なんでわたしが「防衛者」にならないといけなかったの? たった一人で、ひとりぼっちで世界を守るなんて、わたし、耐えられない、こんなの耐えられないよ!」
わたしは両耳を押さえ、固く目を閉じて叫んでいた。
ひとりぼっちの「防衛者」。
星降る街でひとり、見知らぬ相手を殺すために佇む「防衛者」。
わたしには耐えられない。一人で、世界を守るなんて耐えられない。
真っ暗な世界の中、わたしはひとりぼっちで膝を抱えて再びうずくまっていた。
『ことり、お前は、ひとりじゃない』
しばらくの沈黙の後、再び聞こえた声に、わたしは顔を上げた。
「違う。わたしは一人だよ」
『違う。お前はひとりじゃない。今から証拠を見せてやる』
次の瞬間。
わたしの耳に、甲高い金属音が鳴り響いた。
あまりの音に思わずイヤホンを外そうとするわたしの身体を押さえつけるように、その音はさらに大きく、高く響き渡る。
「あ、ぐっ――――――――っ!」
両耳を押さえたまま美咲姉の部屋を転げ回った後。
わたしの意識は、闇の中に放り込まれていた。
ここには何もない。
闇の中で、わたしの意識は宙を漂っていた。
『ことり、よく見ろ。ここには本当に何もないのか。自分の目を凝らしてみろ』
どこからか湧き上がる声。
わたしは声の聞こえた方向に意識を向ける。
けれど、そこも真っ黒な深淵が見えるばかりだった。
わたしは、暗闇の中で、ひとりぼっちだった。
結局、わたしはひとりなんだ。
ぽつりと思った時だった。
視界の片隅に、何か光るものがあった。
まるで光の粒が落ちているかのように。
『ことり、よく見ろ』
その声に、わたしは光に意識を向けた。
光の粒に近づいていくような感覚がわたしを包み込み。
そして。
わたしは気がついた。やがて近づき大きくなっていく粒が、もっと小さな光の集まりから出来ていることを。
わたしは気がついた。光の粒が、何かの模様をしていることを。
そして、光の粒の模様のひとつが、わたしの良く知る形を取っていることを。
「あれは、日本?」
わたしの目の前で。北海道の、本州の。四国の、九州の形をした光の粒が広がっていく。
「この光は?」
思わず呟いたわたしに、どこからか聞こえてくる「声」が答えた。
「それは、防衛者たちの光だ』
その言葉に、わたしは思わず耳を疑った。
―――――「防衛者たち」?
「それって」
『そうだ』
唖然とするわたしに向かって、「声」が言った。
『そうだ。ことり、お前の目の前で輝く無数の灯火は、世界中に散らばり、自分の生まれ育った街を守る、「防衛者」たちの命の灯火だよ』と。
それは、つまり。
『ことり、「防衛者」はひとりじゃない。ひとりじゃないんだ』
淡々とした口調の「声」が、わたしの耳に流れ込み続ける。
『お前の住む街を守ることができるのは、ことり、この街の「防衛者」であるお前だけだ。だがな、無数の防衛者たちが、お前と同じように「攻撃者」と戦っている。お前と同じように、理由もなく防衛者になり、自分の住む街の友人を、恋人を、家族を守るために、終わらない戦いを繰り返しているんだ』
「声」の言っていることは理不尽だ。
わたしが「防衛者」になったのに理由はない。
なのに、この街の皆を守るために殺し合え。
こんなことって、ない。
だけど。
わたしの目の前で無数の光の粒が作り上げる、ユーラシア大陸。
アメリカと、アフリカの大陸の輝き。
無数の光で照らされた地球が、わたしにはただ眩いばかりだった。
この街では、わたしはひとりぼっちの「防衛者」だ。
だけど、この世界では。
わたしは、ひとりなんかじゃ、ない。
だから。
「……わたしも、守ってみせるよ」
光り輝く地球が遠ざかる中、わたしはひとり呟いていた。
次の瞬間、わたしは美咲姉の部屋に戻っていた。
ポケットに詰め込んだ弾を取り出し散弾銃に装填すると、わたしは窓際に駆け寄る。
月明かりの下。
家の前には、すでに少女の、いや、「攻撃者」の姿はなかった。
『玄関を上がったところだ。もうすぐ来るぞ』
イヤホンから聞こえる声に、わたしは身体を翻し、部屋のドアへと銃口を向ける。
『いいか。姿が見えたら撃て。相手は子どもじゃない、「攻撃者」だ。ことり、忘れるなよ』
「……それより、教えてほしいことがあるの」
押し黙った「声」に構わず、わたしは言葉を続けた。
「情報知性体って、どういう生物なの?」
『……姿を持たない存在だ。通常はエントロピーの増大を防ぐ現象の中に生息する。これでいいか?』「全然分からない」
開け放たれたドアに意識を集中しながら、わたしは答える。
『エントロピーは知ってるよな?』「ほっといたらエネルギーは拡散していって、宇宙は熱死するという話?」
『まあ、それだ。これに対し、生き物は外部からのエネルギーを取り込み、エントロピーの増大を防ごうとしているだろ? 情報知性体はそういった存在に寄生して生きているんだ。生物に限らず、機械でも、自然の振る舞いでも構わない』
「……わたしにも寄生できるの?」
『まあな。ただ、身体を乗っ取られる訳じゃない』
それだけ言うと、イヤホンの向こうは沈黙した。
代わりに、階段のきしむ音が微かに耳に入ってくる。あと少しで、「攻撃者」が来る。
「もう一つ聞きたいことがあるの」
『時間がないぞ』
「さっき引き出しから取り出したボタン。押すとどうなるのか教えて」
『ことり、お前―――』
絶句する雰囲気が耳に伝わってくる。
わたしは散弾銃を構えたまま、声を促す。
『この台詞、すごく好きだなあ。うん、すごくいいよ』
美咲姉の声と笑顔が脳裏に浮かぶ。
「時間がないの。早く教えて」
『……分かった』
ノイズ混じりの声が耳元に流れる中、わたしは心の中で、大好きだった従姉に呟く。
美咲姉、わたし、頑張るからね。
次の瞬間、部屋の入り口に影が蠢いた。
「―――――――っ!」
散弾銃の引き金を引く。轟音が上がり、開きかけのドアが吹き飛ぶ。
『ことり、次だ!』
わたしは跳ね上がった銃身を入り口に向ける。
その瞬間、視界に「攻撃者」の姿が飛び込んだ。
片足を失い、身体を引きずる少女の姿。
わたしの身体が、わずかに固まる。
いけない。
彼女の片手に握られた拳銃がこちらに向けられた瞬間、わたしは散弾銃の引き金を引く。
乾いた音に続いて轟く銃声。
目の前で、少女がのけぞった。
そして次の瞬間、わたしもまた、胸に突き刺さる衝撃に、後ろへと倒れ込む。撃たれた衝撃に呼吸が詰まり、視界が宙をさまよい、一瞬気が遠くなる。
『ことり、次だ! 急げ!』
耳元でがなり立てる「声」に、わたしは身体を起こそうと腕に力を入れる。半身を起こしたわたしの視界の先で、少女が同じように身を起こそうとしていた。
わたしは窓際にもたれかかったまま、散弾銃の引き金を引いた。
かちり、という乾いた音が響き渡った。
『ことり、早く弾を詰め込むんだ!』
耳元に聞こえる声。
目の前で、少女が構えた銃口。
わたしはポケットへと手を伸ばし、小さな箱を握り締める。
それは爆薬のスイッチだと、さっき「声」が教えてくれた。
美咲姉の家の一室に詰まった、この家を吹き飛ばすほどの爆薬を起動するスイッチ。
『ことり、お前』
呆然としたような声に、わたしは訊ねた。
「引き分けの場合って、どうなるのかな」
かちり、とボタンを押した瞬間。
耳をつんざくような轟音が、世界中に響き渡った。




