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8/13

第八話 掘った塩は、消えておりません

 翌朝、役所の蔵で三十五の樽(たる)を開けた。


 役所の者と、屋敷(し)から連れてきた者で蓋を起こし、上と底から一粒(つぶ)ずつ取り分けてもらって、私が順に舐(な)めた。舐めるだけなら、三十五でも半日で終わる。


 樽の腹には、焼き印が押(お)してある。詰(つ)めた日だ。私はそれを書き取りながら回った。


 前の日の七つと合わせて、四十二。


 苦かったのは、十九だった。


 焼き印の日で並べると、十九は後ろに固まっていた。先に詰めたぶんには、一つも無い。


 蔵の帳面には、袋(ふくろ)の口を縛っていた印が貼ってある。切ってから貼る決まりだそうで、四十二枚が日付の順に並んでいた。


 どれも同じ印で、破れているものは無かった。


     *


 昼を過ぎてから、私は峠(とうげ)側の坑へ登った。


 坑は、山の腹に横から穴が開いている。入口は木で組まれていて、そこから斜めに下りていく。降りる前に、坑の頭が板を持ってきて、私の名を書き込(こ)んだ。


「奥(おく)方様。お名前を頂きます」

「名を、ですの」

「降りた者を数えます。上がってきた者と、数が合わないと困りますので」


 合わないと困る、という言い方だった。


「毎日、書いておられますの」

「毎日です。二十年、一日も抜(ぬ)けておりません」


 私は名を書いた。ハンナも書いた。


 ギースラーは、坑口で外套(がいとう)の襟を立てた。


「私はここで待ちます」

「降りられませんの」

「坑は冷えますので。……検分は、上がってきたものを見れば足ります」


 塩税監(えんぜいかん)は、そう言って背を向けた。従者が鞄(かばん)を抱(かか)えて、その隣に立った。


     *


 坑の中は、明るかった。


 壁(かべ)が白い。手燭の火をひとつ持っただけで、光が壁から返ってくる。天井の低いところをくぐって、板の敷かれた斜面を下りていく。息は白くならないのに、手燭を持つ手だけが冷えた。


 坑の頭が壁を叩(たた)いた。


「ここが、いま出しているところです」


 粒が大きい。角が立っていて、火を透かすと薄く青みが見える。ひとつ摘んで舌に載(の)せた。塩の味だけがした。後ろに何も残らない。


「これが上の層で」

「下は」

「もう少し下ります。お召し物が汚れますが」


     *


 下の層は、壁の色が違(ちが)った。


 白いのに、白の中に灰色が混じっている。粒も小さい。摘んで舐めると、舌の奥の両側に、あの苦みが立った。


「これは、何と呼んでおられますの」

「捨て塩(すてしお)です」

「捨てる、と」

「食えませんので」


「どれくらい出ますの」

「掘れば出ます。下の層に当たったらその日は上へ戻(もど)りますが、当たるまでに削り取るぶんが出ますので。……外の積み場に、山になっております」


 私は手燭を近くへ寄せた。壁の上のほうと、下のほう。


 境目は、線ではなかった。じわりと混ざっている。


「頭。上の塩と下の塩は、見て分かりますの」

「分かります」

「私には分かりませんわ」


 坑の頭は少し笑って、それから真面目な顔に戻った。


「割れ方が違います。上は角が立つ。下は崩(くず)れる。……ですが、」


 彼は言葉を止めた。


「一度砕いて、粒を揃(そろ)えてしまうと、私にも分かりません」


「掘り下げすぎて、下の層が袋に入ることはございますの」

「ありません」


 坑の頭の声が低くなった。


「境目は、掘っている者がいちばんよく見ています。混ぜて出したことは、二十年、一度もありません」


     *


 坑を上がると、板の名が上から順に消された。残っている名は無かった。


 ギースラーは坑口で立ったままだった。外套の裾に、まだ泥が一つも跳(は)ねていない。


「妃殿下。中はいかがでございました」

「白いところでした」

「それは重畳(たた)」


 私は積み場のほうへ歩いた。坑の外の斜面に、灰色を含んだ白い山があった。雨に叩かれて表が固まっている。


 その山の腹に、掻(か)き出した跡がある。


 崩れた面の色が、まわりより新しい。


     *


 城下へ下りる道に、荷車が二台止まっていた。


 塩を積んだままだ。隊商の者が縄を解いて、また掛(か)け直していた。行くとも行かないとも決まらない荷は、こうして待つしかない。


「奥方様」


 道の脇(わき)から、桶(おけ)屋の女房が出てきた。前掛けで手を拭きながら、少し離(はな)れたところで足を止めた。


「塩は、行くんでしょうか」

「まだ、決まっておりません」

「行かないと、麦が来ないって、うちの人が」


 私は足を止めた。


「決まりましたら、いちばんに触れ(ふれ)を出します」

「……はい」


 それ以上は訊(き)かれなかった。


 道の両側の家から、人が出てきていた。誰(だれ)も何も言わない。私が通るあいだだけ、市の音が小さくなった。


     *


 役所へ下りて、私は書記に袋のことを訊いた。


「袋は、どこで縛りますの」

「恐れながら、坑でございます。縛って、印を掛けて下ろしてまいります。蔵では印を検めまして、口を切って、樽へ空けるだけでございまして」

「切った印は」

「蔵の帳面に貼っておきます。四十二枚、揃っております」

「その印は、どなたのものですの」

「選り分けを預かる者のものでございます。坑の頭の印は帳面のほうに掛かりますので、袋には掛かりません」


 書記は、そこで書類の端(はし)を揃え直した。


「……恐れながら、もう一つ。塩税監様の検分書の控(ひか)えでございますが」

「はい」

「坑に入り上層の塩を検む、と書かれておりまして。……あの日は、蔵の前においででしたので」


 私は貼られた印をもう一度見た。四十二枚。どれも同じ印で、破れているものは無い。


 役所の者が袋を開けたのは、蔵で樽へ空けるときだけだ。それより前に手が入っていれば、印が変わるか、破れるかしている。


 変わっていない。


「では、中身が決まるのは坑でございますね」

「……左様でございます」


 役所は、どこで数を取るのかも訊いた。袋が下りてきたときに重さを量る。粒の数は誰も数えない。坑で袋に詰めた時点の重さは、坑の帳面に残っている。


 二つは、毎年きれいに合っている。


 春に押収した帳面と同じだ。包の数だけを数えていれば、中身が抜かれても数は合う。


「重さで合わせているのなら、掘った塩を抜いて、抜いたぶんだけ捨て塩を足せば、重さは動きません」


     *


 印を持っているのは、坑の塩番だった。


 峠側の村の者だ。春にこの村の樽が疑われたとき、私はこの人たちの側に立った。


 坑の頭ではない、と私は思った。あの人は、樽が開くたびに坑を振(ふ)り返っていた。自分のところから出た塩を疑っている人は、混ぜた人ではない。


 蔵の前で塩番を呼ぶと、縄を持ったまま来た。


「昨日、お答えがございませんでした」

「……へえ」

「苦かった十九を、焼き印の日で並べました。あとの十九でございます。先に詰めたぶんには、一つもございません」


 塩番は縄を握(にぎ)り直した。


「奥方様」

「掘った塩は、消えておりません。どこかにございます」


 塩番は、坑のほうを見た。それから、口を開いた。


「村に」


 声が低かった。


「村に、回しました」


     *


 春に見た差が、頭に浮かんだ。


 去年の掘った塩と、配られた塩が合わない。行き先は、いまも書かれていない。冬の漬け物が薄くなって、酸が立たなくなって、春に城下で六人が倒(たお)れた。


 割り当ては、まだ元に戻っていない。


「秋に漬けます」


 塩番は、そう言った。


「秋に漬けなけりゃ、冬に食うもんがねえ。……去年みてえに薄く漬けて、また誰か倒れるわけにゃいかねえ」

「役所へ申されましたか」

「言った。春に。……代官がいねえ。誰も預からねえ」


 私は帳面を開いた。


 この人の名を、私はまだ一度も書いていない。書かずに済ませられるところまでは、書かずにいた。


 羽根を持って、私はその名を書いた。


 書き終えても、羽根を置く気になれなかった。


「明日の朝、役所へ来てくださいまし」


     *


 ハンナが、蔵の柱の陰(かげ)に立っていた。


 いつからそこに居たのかは訊かなかった。


「奥方様」

「はい」

「……また、うちの村ですか」

「ハンナ」

「春も、うちの村でした。あのときは、違うって言ってくださいました」


 この娘は、そこで一度息を継いだ。


「……おばあちゃん、知ってました」


 声が、いつもの半分の大きさだった。


「夏に、村へ帰ったとき。塩がありました。去年より、ずっとありました。うちの村に、あんなに塩があるはずないんです」

「お訊きになりましたの」

「訊きました。『どこの塩』って」


 ハンナは袖(そで)を握った。


「『数えるのは、来年からだろう』って」


     *


 来年の塩は私が数えます、と私は言った。今年のことは言わなかった。


 ハンナが村で話したのだろう。あの方は、それを知っていた。


「おばあちゃんは、悪くないです」

「ハンナ」

「村のみんなが冬に食えるようにしたんです。誰も倒れないようにしたんです。……悪くないです」


 この娘は、泣かなかった。泣かずに言うほうが、こちらには重い。


「ハンナ。村は罰しません」


 ハンナが息を吸った。


「回された塩を使ったのは、村じゅうでございます。お婆様も、漬けた人も、食べた人も。……そこまで数えたら、村が無くなります」

「じゃあ」

「けれど、抜いた人は罰します」


 ハンナの顔が、止まった。


「あの人は、村の人です。うちの隣です」

「はい」

「村のために、やったんです」

「はい」


「村を罰さないぶんを、あの人お一人に負わせます。……それが軽いことだとは、思っておりません」


 ハンナは何も言わなかった。


「ハンナ。春に私は、あなたの村を庇いました」


 言いながら、自分の声が硬くなっていくのが聞こえた。


「あれは、村が正しかったからです。……今年は」


 そこから先は、明日あの人に言うことだった。


     *


 夕方、ギースラーが役所へ来た。


 外套を脱いで、椅子(いす)に腰を下ろして、従者から鞄を受け取った。革の留め具を外す音が、広くもない部屋に響いた。


「妃殿下。お調べは進みましたか」

「進みました」

「それは何よりでございます。……ところで、私からお預かりしたものがございまして」


 鞄から出てきたのは、紙の束だった。糸で綴(つづ)じてある。


「王都から、妃殿下の身元照会が回っております」

「身元、と申しますと」

「妃殿下は、ご自分の舌で献上(けんじょう)の塩をお止めになりました。……その舌が信に足るかどうかを、王都は見ております。形ばかりのものでございますが」


 彼は、その束を机に置いた。置いてから、こちらへ滑らせた。


「五年分でございます」


 私は、束の端に触れた。


 紙が新しい。五年前の紙ではない。写しだ。


 項目は、私が書いていたものと同じだった。日付。症状(しょうじょう)。毒の種類。同席した者。そのときの状況(じょうきょう)。


 どれも、私の字ではなかった。


「毒見の日誌でございます。ご存じでございましょう」

「日誌は、王宮にございます」

「はい。王宮にございます。……ですので、これは写しでございます」


 私は頁(ページ)を繰った。


 三年目の秋のところで、余白に一行、また別の手が書き込みを入れていた。


 ――この日、ミレーユ嬢は在らず。


 その下に、もう一行。


 ――同様、この日を含めて十一箇所(かしょ)。


 私は指を止めた。


「……そんな日は、ございません」

「妃殿下」

「三十二回。そのすべてに、あの方はいらっしゃいました。同じ席に、同じ椅子に。私はそれを、日誌に書きました」


 ギースラーは、何も言わなかった。


「これを書いた方は、日誌をお持ちなのですね」

「照会に回っている紙の出どころを、私が申し上げる立場ではございません」


 彼は立ち上がって、外套を取った。


「納めまで、あと六日でございます」


     *


 束は、机に置いたままだった。


 ミレーユ様の裁定は、貴族令嬢に対する三十二件のほかに、王妃殿下に一件、王太子殿下に一件。王太子殿下の一件は、あの大広間で小鳥が落ちるのを、居合わせた者が全員見ている。余白に何を書いても、あれは消えない。


 消せるのは、私の書いた三十二のほうだ。


 十一箇所が「在らず」なら、私の日誌は当てにならない紙になる。当てにならない紙を五年書いていた女の舌は、当てにならない。


 ――献上の塩を止めた、その舌が。


 塩と同じだった。重ささえ合っていれば、中身は問われない。


     *


 屋敷へ戻ると、夫が食堂にいた。皿はまだ出ていなかった。


「村の者を、役所へ呼びました」

「そうか」

「春に、私が庇った村でございます」


 黒衣は、こちらを見なかった。


「呼ばずに済ませる道は」

「ございません」

「なら、呼べ」


 それから、短く。


「明日は、俺も役所にいる」


 私は頭を下げた。


     *


 その夜、私は塩の帳面のほうへ戻った。


 納めまで六日ある。十九を詰め直して、坑から上の塩を出させて、重さを合わせて、封(ふう)をする。それだけでも足りない。


 塩番を罰すれば、選り分けのできる手が一つ減る。


 罰さなければ、混ぜたことを領が呑(の)んだ形になる。呑んだ形のまま王都へ着けば、止めた意味が消える。


 どちらにしても、塩税監は困らない。


 それから、もう一つ。


 春から夏にかけて、村の割り当ての帳面を握っていたのは私だ。数え直すと言って、数えていた。細らせたままだと分かる場所に、私はいた。


 私は羽根を置いた。


 ――あの方は、坑口から一歩も動かなかった。


 降りていない人が、降りたと書いている。


 明日、坑の頭に頼(たよ)んで、二十年ぶんの板を役所へ運んでもらう。


 それから、宿駅にも人をやる。駅は継ぎの用向きを短く書かせると、書記が言っていた。あの方が城下に着いてから、何を、いつ王都へ出したか。


 ハンナは、明日も役所へ来るだろう。来るとは言わなかった。言わないから、来る。

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