解呪。
順風満帆とはいきません!
【ウィシュランド魔法公国・デゥエンディの執務室】
数日後――。
匠とメアリーは転移魔法でウィシュランドに入ると、そのままデゥエンディの元へと向かった。
今回は事前に連絡を入れていたため、執事に邪魔されることもなく、すんなりと執務室へ通された。
「ほう、すべての素材を揃えたのだな。だが『眷属の鱗』はどうした? そう早々に会える相手でもなかろうに」
「ふん! 初めから持っていましたよ! 何よその顔、『俺はすべて知っているぞ』みたいな顔しちゃって!」
「チッ……! まあいい。呪いを解けば、約束通り契約魔法《口封じ》を結んでやる」
悔しそうな顔をするデゥエンディを見る限り、本当はすぐには解呪の手順を教えず、メアリーを弄って楽しむつもりだったらしい。
「ほんと、エルフって陰険で融通が利かないよねー」
「まあ、我が陰険なのは認める。……それと、この前の件は悪いと思っているぞ」
二人の不毛なやり取りを少し離れて生暖かい目で見ていた匠は、デゥエンディが珍しく素直に謝る姿を見て、
(よほど困った事態になったんだな)
と思わず口角を上げた。
「あら、痛い目に遭って反省しているわけ?」
「そう言うな。めちゃくちゃ面倒臭かったんだよ」
デゥエンディはそう毒づきながらも、床に巨大な解呪の魔法陣を描いている。
その芸術品のように緻密で繊細な陣は、並大抵の魔導師では描けないものだ。
(おっちゃん、自分の体裁がかかってると頑張るタイプなんだねー)
さすがは貴族、メアリーの分析は的を射ている。
腹の中でそんな批評をされているとは知らないデゥエンディは、手のひらを見せて「さっさと素材を出せ」と無言で促した。
「さて、準備は終わった。メアリー、ここに立ちなさい」
魔法陣の中心にメアリーを立たせ、集めた素材が彼女を取り囲むように配置される。
あとは詠唱すれば終わりだ。
デゥエンディが静かに呪文を紡ぎ出す。
「古の契約に基づき、神の言霊に囚われた者に祝福を与え、解放の時とする――」
まばゆい光が室内を満たし、メアリーの体を包み込んでいた見えない呪縛が霧散していく。
「我ながら完璧な出来だ」
解呪の儀式は、無事に成功した。
光が収まると、デゥエンディは改めてメアリーに向き直った。
「メアリー、この前の非礼、心から詫びる」
「あら、さっきも謝ってくださいましたよね。王様自ら何度も頭を下げるなんて、一体どうしたんですか?」
「俺は好色で傲慢だ。自分でも分かっている。……だが、今回の件で思い知った。欲は人を狂わせる。王であっても例外ではない」
今回の狼藉は各国へ伝わり、友好国の王や有力貴族たちから「一国の王としてあるまじき振る舞いだ」と厳しく糾弾された。
デゥエンディは幾度となく頭を下げ、ようやく騒動は収束へ向かう。
それは、王位すら揺らぎかねない失態だった。
「デゥエンディ様は……ミラード国王とは違うのですね」
「ああ。以前の彼は、もっと慎重な男だった――」
最強勇者という切り札を手にした瞬間、あれほど慎重だった男が、欲望の怪物のようになってしまったと語る。
その破滅へ向かう姿を見ていたからこそ、デゥエンディにとっても今回の件は、我が身を振り返る良い薬になったのだろう。
「欲か……強さも同じなんだよな」
匠は、自身に秘められた神をも凌駕する力について、デゥエンディと同じように自重するべきなのだろうかと考えていた。
ふと、そのように考えていると――。
「メアリーを解呪していて気付いた。君の魂には、神代術式が幾重にも刻まれている。ここまでの術は見たことがないな」
「なんとなく分かってはいたが、やはりそうなんだな……」
「あれは封印ではない。力を抑えるためだけに組まれた神代の術式だ。俺では手も足も出ん」
デゥエンディの言葉によって、匠に施された術式の正体が明らかになる。
それは能力を封じるためだけの単純な封印ではなく、神すら畏れた力を制御するためだけに編まれた、神代の制御術式だった――。
(神に勝る力なら、そうせざるを得なかったのか――だが!)
これまで過ごしてきた日々を思い返しつつ、力に制限をかけたことに理解はできる。
だが、納得はできなかった。
そして、その制限をかけたのはアングィスしかいないと、確信を得ていた――。
※※※※※
【デゥエンディお勧めの宿】
無事に解呪の儀式を終えたメアリーは、これまでの緊張から解放されたように、はじけるような笑顔でデゥエンディの執務室を後にした。
「あー、すっきりした! これでやっとカエルにならずに済むのね!」
嬉しさ満点のメアリーは、弾んだ足取りで匠を振り返る。
「ねえ匠、せっかく呪いが解けたんだもの。今日は思いっきり贅沢したいわ!」
「はは、いいよ。メアリーは大変な思いをしたからね。今日は美味いものでも食べて、ゆっくり休もう」
匠は少しだけ口元を緩め、メアリーの提案に乗ることにした。
紹介された宿は、さすが魔法公国の王が勧めるだけあって、一歩足を踏み入れただけで、王侯貴族が利用するに相応しい、別世界のような豪華さだった。
「んまぁぁぁ、これ美味すぎでしょ!」
柔らかく仕上げられた極上の肉料理に、思わず声が漏れる。
匠とメアリーは、料理の感想を言い合いながら、久しぶりに肩の力を抜いた時間を過ごしていた。
そして、次に向かったのは遊技場だ。
「よし! 当たった!! 掛け金総取りだ――!」
ルーレットの玉が、まさかの狙った数字へ吸い込まれる。
子供のようにはしゃぐメアリーにつられ、匠も思わず笑ってしまう。
勝敗などどうでもよかった。
ただ、こうして何も考えずに笑える時間が、ひどく懐かしかった。
その後も併設された遊戯場で夜遅くまで遊び、二人の笑い声が途切れることはなかった。
これまでの旅の疲れを洗い流すような、最高に贅沢で心地よい時間が流れていく。
その夜、匠は久しぶりに何の不安もない眠りについた。
――まさか、それが二人で過ごす最後の穏やかな夜になるとは知らずに。
【翌朝】
部屋のドアの下に差し込まれていた朝刊――。
何気なくそれを手に取った匠の身体が、見出しを見た瞬間に凍りついた。
『勇者・華奈、近衛騎士団長ウィラードの嫡男ラインハルトと電撃挙式!』
紙面を大きく飾っていたのは、華々しい結婚式を伝える大見出し。
そして、その中央には、世界中で最も幸せそうに、愛おしげに唇を重ね合う二人の写真が、残酷なほど鮮明に印刷されていた。
「――っ、なんだよ……これ……!」
匠の脳内が真っ白に染まる。
心臓が早鐘を打ち、ドクドクと不快な脈動が耳の奥でうるさく響いた。
「匠……? どうしたの、そんな怖い顔して――って、あッ!?」
異変に気づいたメアリーが手を伸ばすより早く、匠は新聞をクシャクシャに引きちぎり、床に投げ捨てた。
激しい怒りと絶望が、彼の理性を一瞬で焼き尽くす。
「匠! 待ちなさい、どこへ行くの!?」
「うるさいっ! 話しかけるな!! もう終わったんだよ!」
メアリーの制止の声に耳を貸さず、匠は部屋を飛び出した。
まるで何かから逃げるように、あるいは何かをぶち壊すように、全力で街の外へと走り出す。
匠が向かったのは、魔物が跋扈する荒野だった――。
「うおおぁぁぁぁッ!!」
抜刀した匠は、目の前に現れた魔物へ向かって、文字通り我を忘れて突っ込んでいく。
だが、今のレベルでは小さな魔物相手でも苦戦するのは目に見えている。
当然、剣は掠りもしない。
逆に反撃をくらい、腕を噛まれ、服を引き裂かれた。
「くそっ、クソがぁぁぁッ!!」
怒りに我を忘れた匠は、痛みすら気持ちよく感じるのか、ただひたすら鬱憤を晴らすためだけに、剣を無心に振るっている。
「グギャ……」
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
気付けば周囲には、無数の魔物の死骸だけが転がっていた。
息が切れ、腕は震え、服は血と泥に染まっている。
それでも、心の痛みだけは何一つ薄れてはいなかった。
(俺は何を期待していたんだ……。幸せそうな写真を見せられて、それでも信じろっていうのか……)
匠はようやく冷静になったのか、ボロボロの体を引きずるように歩き始める。
「匠様…………!」
ウィシュランドの正門前まで来ると、心配そうな顔で立ち尽くしているメアリーの姿があった。
「格好悪いな。心配掛けて済まなかった」
あの写真を見せられれば、誰だって理性を失う。
メアリーは傷だらけになった匠を、そっと抱きしめた。
「ううん、いいの。無事だったらいいの」
華奈の本心を伝えたい。
けれど、それを覆すほどの情報は持ち合わせていない。
今の匠に「信じても大丈夫だよ」とは、到底言えない。
優しく抱きしめたメアリーは、語るのをやめた。
「気にするな。結果がすべてだ。メアリーが気を揉む必要はないよ」
「お願い……今だけは華奈を信じるのをやめないで」
「……」
さっきまで怒りで我を忘れていた匠は、メアリーに抱きしめられ、少しずつ落ち着きを取り戻す。
「色々迷ったけど、自分の目で確かめるまでは、考えないようにするよ」
「それがいいよ。そうして」
少しだけ――ほんの少しだけだが、匠が信じる気持ちを持ち始めたことで、メアリーは安堵の表情を浮かべた。
だが、これから自分だけフィルモアに戻るには、あまりにも無責任に思えた。
しかし――。
「俺、魔人族領に戻るよ。今までありがとな」
「ちょっと、待ってよ! 何言ってるの!? そんな状態で――」
「じゃ、一緒に来るか? また、カエルの術を掛けられるぞ」
打ちひしがれ、今にも消えてしまいそうな匠を、メアリーはどうしても放っておけない。
今帰せば、闇落ちするかもしれない。
それほど、匠は憔悴していた。
「今の貴方を放っておけない。一人だなんて無理でしょ」
「そうなのか。俺の女になれば来てもいいよ。……俺は魔人族領に居つくつもりだ」
それは、傷ついた心が吐き出した、あまりにも身勝手で無理な要望だった。
しかしこれは、メアリーを突き放すための悪辣な言葉だった。
だが、メアリーは一瞬だけ目を見開いたあと、真っ直ぐに匠を見つめ返した。
「……いいわよ。匠をこんな目に遭わせた責任は、私にもある。それに、今のあなたを一人にはできない」
覚悟の決まった、揺るぎない声だった。
メアリーのその言葉を聞いた瞬間。
匠の表情から、先ほどまでの昏い陰が嘘のように消え去った。
フッと、いつもの悪戯っぽくて晴れやかな笑みが、その顔に浮かぶ。
「なーんてね。俺は大丈夫だ。人の幸せまで奪うほど落ちぶれちゃいない」
匠は肩を竦めて笑った。
「匠様……」
「メアリーには俺なんかより、もっと大事に想ってる人がいるんだろ。……だからフィルモアへ帰れ」
「――ッ、知っているのね!」
「さぁな――」
匠は、それ以上何も答えなかった。
その去り行く背中は、すべて吹っ切れたように軽かった。
けれど、メアリーには分かっていた。
あれは強さではない。
大切なものを失った者だけが背負う、痛々しい覚悟だった。
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