真意を知る時。
【飛空艇・内部】
飛空艇が安定飛行へ移ると、キャビン内は落ち着きを取り戻していた。
だが、一人だけ怒りを押し殺す男がいた――。
(華奈のあの悲しげな表情だけが、どうしても頭から離れない。俺が哀れまれたというのか――)
消えゆく飛空艇を見送りながら、久しぶりに華奈の姿を目にしたことで、鎮まっていた怒りは再び燃え上がり、匠は拳を強く握り締めた。
(フィルモアの飛空艇……あの様子じゃ華奈さんを見ちゃったんだ)
匠の視線は、なおも遠ざかる飛空艇を追っていた。
その背中から溢れる怒りが、何よりの答えだった。
そろり、そろり――。
この後、間違いなく華奈について聞かれるだろう。
怒り心頭のまま問いただされると、秘密にしていたあのことに勘づいてしまうかもしれない。
そう考えたメアリーは匠には頭を冷やす時間が必要だと瞬時に判断して、客室に向かいゆっくりと移動を始める。
だが――。
「ひゃん!」
「ちょっと待てメアリー、聞きたいことが山のようにある」
音を立てぬよう客室へ逃げ込もうとしたが、許されなかった。
肩を掴まれ耳元で低く唸るような囁きを聞き、全身が凍り付くように強張ってしまう。
「お答えできる事があれば是非、ヒャ!」
メアリーは必死に平静を装い、恐る恐る振り返る――。そこには鬼のような形相の匠が立っていた。
背筋が凍る感覚に見舞われ、心の中で「ああ終わった」と呟く。
「昨日、あんなに慌てていたのは、俺と華奈を会わせないためだったんだろ」
匠の突き刺さるような目を見て、メアリーは観念したように肩を落とした。適当に誤魔化そうとも思ったが、今さら通じる相手ではない。
メアリーは昨日、水着売り場で遭遇して以降、経緯を包み隠さず話す。
そして最後に――。
「呪いが解けない限り、フィルモアへ戻れませんから会わないようにしたのです」
匠は黙って聞いていた。しかし、その瞳にはまだ納得しきれない色が残っていた。
「メアリー、君は俺に何か重大なことを隠しているだろ」
「――ッ」
少なくとも華奈の性格ならメアリーを保護して、然るべき解決策を与えるはずだ。
藁にも縋るメアリーがその話に乗らない訳はない。客観的に考えれば、匠より華奈を頼る方がよほど確実だ――。
そう考えると、見かけただけで話もせず逃げ出したことに強い違和感を覚えていた。
(魔王との約束だって言えないよ)
理由を言えず押し黙っていたメアリーは、その場にいてもたってもいられなくなり、離れようとするが、匠は行手を阻む。
言えないことは絶対に言えない。キッと睨み返したメアリーの表情は、切羽詰まっていた――。
「そこまでにしておけ、匠君、少し俺に付き合ってくれ」
穏やかな声と共に、ヨハネが二人の間へ割って入ると和かな笑顔を向け、匠の肩を軽く叩き、別室へと連れていく――。
※※※※※※
【貴賓室】
個室へ入るなり、ヨハネは棚から一本の酒瓶を取り出し、琥珀色の酒を静かにグラスへ注いだ。
「まあ一杯やって、落ち着きなさい。腹を割って話そうじゃないか」
国家元首まで上り詰めた男だ。多少の荒事では眉一つ動かさない。匠の若さゆえの青臭さが微笑ましく思えるのか、苦笑しながらグラスを差し出した。
「昼間から酒ですか――」
匠は渋い顔のままグラスを受け取る。為政者どころか、これほど年の離れた男と酒を酌み交わした経験など一度もない。場違いなところへ迷い込んだような居心地の悪さを覚えた。
それでも、ヨハネが何を語ろうとしているのか――それだけは逃げずに聞いてみようと思った。
「女の子を問い詰めるものじゃない。それは男として野暮ってものだ」
男らしいこだわりを吐いたヨハネは酒を一口含み、柔らかな口調で続けた。
「わしはお前達が異世界人だということも、メアリーの活躍も、魔眼のことも、すべて知っておる」
「そして、お前が勇者・華奈に強いわだかまりを抱いていることもな」
匠は思わず眉をひそめた。図星だった。
だが、それ以上に疑問が湧く。武器や魔人族との繋がりを考えれば、レオンとヨハネは裏で通じている――そう考えるのが自然だった。
しかし、ヨハネ本人はそんな視線など気にも留めず、静かに酒を口へ運ぶ。
琥珀色の酒がよほど舌に合ったのか、「フフッ」と小さく笑ってもう一口含む。
そして――。
「恨む気持ちは分かる。だが、一度冷静になって、華奈の立場で考えてみたことはあるか?」
「そしてもう一つ。魔王レオンが、何故お前たちを人質ではなく、旅人として送り出したのか。その理由を考えれば、おのずと答えは見えてくる」
「……どういう意味ですか?」
俺は思わず聞き返した。だがヨハネは、すぐ答えを教えるつもりはないらしい。もしかして彼は困惑している俺にヒントを与え導きたいのか――。
「レオンは客でもあり昔からの知り合いでもある。……そんな仲だからこそ、お前を預かるよう頼まれた」
と、あまりにもあっさりとした口調で、信じられない事実を吐露した。
途端に匠の頭の中が真っ白になる。歴史書では、魔王と対立し、軍備を整えて人類を守る大国――それがツヴェルク帝国だった。
その国家元首が「魔王は昔からの知り合い」と言っている。匠の頭は完全に混乱していた。
(レオンは俺のために旅へ出ろと命じたのか……。上辺ではなく、その真意を見抜けということか)
そして、その言葉をきっかけに、匠の中で散らばっていた記憶が少しずつ繋がり始める。
――ウィラードが剣を差し出した時の、どこか苦しそうな、何か言いたげだったあの顔。
あの剣は謝罪だったのではないか――。
立場上すべてを語れない。だからこそ、自分なりの誠意として剣を託した。
そう考えれば辻褄が合う。
――あの時見た、冷たく大人びた華奈の表情。あれこそ、自分を犠牲にすると決めた者の顔だった。
「ならば華奈は……」
自分を遠ざけたのは、本当に嫌いになったからなのか。
「いや、違う」
暗殺の危険から引き離し、自分に恨まれることで、生き延びさせようとしたのではないか。
(俺がフィルモアに残れば、華奈の立場では俺を守り切れない……だから切り捨てるしかなかったのか)
あまりにも不器用な愛情――それでも、その行動の根底にあったのは、紛れもない匠への愛情だった。
最後に飛空艇の窓越しに見えた、華奈の寂しげな横顔が脳裏に浮かぶ。
あの表情こそ、俺を守るための究極の選択だったのではないか――。
「……そういうことだったのか」
匠は静かに目を閉じた――。
右も左も分からぬ未開の地へ送り出す。生き延びるためなら、自分に恨まれてもいい。
彼女は、自分に憎まれることさえ選んだ。
ただ、俺を生かすために。
散らばっていたすべての記憶が、今ようやく一つへと繋がった。
「……だが、分かったところでどうにもなりません……俺は人質として魔族領へ送られた身です。戻ることなんて出来ない」
杯を置き、匠は力なく笑って肩を落とす。
そんな匠を見て、ヨハネは酒を飲み干すと笑った。
「ならば、今は忘れろ。答えを急ぐ必要はない。何かに打ち込んでいれば、いずれ見えてくる」
「まぁ、それはそうだが……」
ヨハネは匠の戸惑いをニヤリと笑って一蹴した。
「最高の玉鋼でも作ってみせろ。無の境地にこそ、真意が見えてくるというものだ」
そう言って匠の肩を軽く叩く。
俺は思わず苦笑した。
「……それも悪くないですね」
※※※※※
【ツヴェルク帝国・ヨハネの執務室】
数十時間後、帝国に戻った匠たちは、そのままヨハネの執務室に集まっている。
今後の予定についての相談と、メアリーのとある要望を聞くためだった。
それは手紙だ――。
「メルド村には届けられるのですよね」
行方不明のままだと心配するし、村の経営に支障が出てしまう。なので手紙をしたためようとヨハネに相談していたのだ。
「ああ、検閲があるがこの内容なら問題なく届くだろう」
この大陸では国外からの手紙は調略を防ぐために検閲がある。なので内容に関して制限が出てしまう。
ヨハネはメアリーの書いた手紙を一瞥すると、「安否報告と村の経営に関する内容なら問題ない」と頷いた。その言葉にメアリーはほっと胸を撫で下ろす。
だが、宛先が勇者宛だとそう簡単ではない。
「となれば華奈には届きませんよね」
「ああ、王族、勇者宛ての手紙などは最優先で検閲される。怪しいと判断されれば破棄され、届くことはまずない」
「……そうですか」
匠は小さく諦めの息を吐いた。
華奈にも事情があったのではないかと思い始めたが、それはこっちの勝手な思い込みかも知れないので、確認を取らなければ意味はない。だが今の匠にはそれを知る術がなく、目線を落とす。
(これじゃ、華奈に真意を確かめることもできないな)
その表情を見たメアリーは腕を組み、少し経つと何か思いついたのか、ヨハネに目を向ける。
「メルド村経由で華奈宛は無理ですよね〜」
「元盗賊の村なら尚更無理だな。そもそも村長は無理をしないだろう」
「ああ、なるほど……それなら」
そして何か閃いたメアリーは、手紙の最後に一文だけ書き加えた。
『たくさんの人が心配していると思いますが、私《《も》》元気です。』
誰に向けた言葉なのかは、あえて書かない。
ネスレなら、この「も」に込めた意味を汲み取ってくれるはずだ。そして、心配している者たちへ安否くらいは伝えてくれるだろう――そんな小さな期待を込めていた




