旅立ちの日。
【魔王城・客間】
「タクミ様、レオン様がお呼びですわ」
魔王城での生活に少しずつ慣れてきた頃、ついにその呼び出しは入った。
単なる人質の俺に、なぜこれほど手厚い待遇をしてくれるのか。疑問と一抹の不安を抱えたまま、答えを得るべく、俺はシェラの案内に従って城内の静まり返った廊下を進む。
「匠様、目隠しプレイはお好みですかぁ?」
「……シェラ、『居場所を知られたくないから』とちゃんと理由を答えろ、このビッチ」
「ああん! 『ビッチ』いただきましたぁぁ!」
どうやら、以前スケルトンにぶちのめされたあの忌々しい玉座の間ではないらしい。素直に「目隠しをしてください」と言えばいいものを、この変態は隙あらば俺に責められたいのだろう。
これ以上付き合ってもキリがないので、俺はため息まじりに彼女の言葉を無視し、大人しく目隠しを受け入れて部屋へと足を踏み入れた。
【魔王レオンの私室】
フッと奇妙な浮遊感を覚え、次の瞬間、上質な男物の香水の香りが微かに鼻腔をくすぐった。この感覚は転移魔法にそっくりだった。
――魔王城に侵入したが魔王を探しきれないと、フィルモアの文献に明記されていた理由が今になって分かった。だからこその目隠しなのだろう。
そして、促されるままに目隠しを外すと、そこは――ふかふかの高級絨毯が敷き詰められた、魔王レオンの広大で洗練された「私室」だった。
「まあ座れよ、匠、話をしようじゃないか」
衣服を崩したレオンに促され、匠は緊張をはらんだ身体でソファーに腰掛ける。
気づけば案内してきたシェラの姿はなく、いつも影のように控えているあのアビルゲイすらもいない。完全に二人きりの空間。
目の前にいる魔王は、レベル700を超える圧倒的な戦人だ。その気になれば、羽虫を潰すように俺を殺せるだろう。
(……何があっても、俺には死以外の選択肢はない。なら、怯えるだけ損だな)
匠は静かに覚悟を決め、魔王の双眸と真っ向から向き合った。
じっと匠を見つめていたレオンは、ふっと口元を緩めると、突飛な質問を投げかけてくる。
「お前に聞きたい。人間と魔人族、どちらが誠実で、どちらが平和主義だと思う?」
その問いに、匠はこれまでの日々を脳裏に浮かべた。
魔王城の城下町。市場を巡った時、人間である俺を誰も敵視せず、普通に、温かく接してくれた魔人族たちの姿が蘇る。
「……見た目はアレですけど、彼らの中身は凄く平和的です。どちらかと言えば……フィルモアのミラードの方が、よほど血に塗れている。俺はそう思います」
静かに、しかし確信を込めて告げた匠に、レオンは満足そうに目を細めた。そして、爆弾を落とすようにさらりと告げる。
「だろうな。……時に匠、君の能力には『鍵』が掛けられているぞ」
「――え?」
その一言に衝撃が走りそれが引き金になり、今までの多岐にわたる不都合が、パズルのピースがハマるようにすべて紐解けていく。
異常に高い成長指数、頭では完璧に追従できているのに、肝心の身体が全く追いつかないもどかしさ。あの違和感の正体はこれだったのかと、今までの悔しさが走馬灯のように頭を駆け巡った。
「……誰がそんなことを!?何故教える!」
「さてな…」
思わず身を乗り出して問い詰める匠。しかし、レオンはその真意を語ろうとはせず、ただ妖しく微笑むだけだった。代わりに、別の問いを重ねてくる。
「だが、もしその力を取り戻したとしたら――お前は一番最初に何をする?」
「……そんなこと決まっています」
反射的に、声が低くなった。
自分を裏切り、ゴミのように見捨てた華奈。そしてミラード。
「あいつらに詰め寄り、すべての真意を問い質す。……その上で、相応の処罰を下します」
語る匠の形相は、いつしか凄まじい怨念を孕んだ「鬼」のものへと変わっていた。普段は表に出さないが、その奥底には膨大で、ドス黒い怒りが渦巻いている。
「ほほう、中々の恨みを持っているようだな」
見くびった奴らをいつか必ず見返してやるという、強固な執念。
レオンはその「瞳の光」を確かめるように見つめ、しかし、すべてを知る者でありながら、彼はなぜか華奈が秘めている本当の気持ちを匠に教えることはしなかった。
(今の彼には、広い見識と、それを得るために、世界を自分の目で見て回る努力が必要だ)
シェラやアビルゲイたちからの報告、そして昨晩、放たれた極上の餌を前にしても決して食いつかなかった理性の強さ。
少年の本質をすべて理解しているレオンは、華奈の歪んだ愛を今ここで安易に教えるよりも、その燃え盛る反骨精神を持ったまま世界中を見て周らせるべきだと判断した。自分の糧にして成長すれば、自ずと答えは見えてくる。魔王レオンはそう考えたのだ。
「よかろう。では匠、メアリーを連れて旅に出ろ。自分を磨いてこい」
「は……? メアリーと二人旅、ですか?」
唐突すぎる命令に、匠は戸惑いを隠せない。能力の鍵について明かした直後に、なぜ城の外へ追い出すような真似をするのか、意味が分からなかった。
しかし、すぐに匠の頭に別の解決策が浮かぶ。
(待てよ。この魔王城を出られるのなら……メアリーをフィルモアに、人間の領地へ帰してやれるんじゃないか?)
危険な魔王城から彼女を連れ出せる好機。そう判断した匠は、小さく息を吐き、魔王の提案を受け入れた。
「分かりました。その旅、謹んでお受けします」
「だが、今の君じゃ女の子ひとりすら守り切れんだろ」
「ええ、まぁそれは事実ですから」
諦めた口調で答えると、レオンは複雑な呪文がかかれた指輪を投げてよこした。
「君に掛けられている制限を一時的に開放できる指輪だ」
「えっ、本当なんですか、俺の本来の力が蘇るのですよね」
「十分だけ封印を解除できる。ただし二度目はお前の生命を削る。使いたいときには、指輪に向かって「我が囚われし力を解放する」と念じ唱えよ」
匠の身にかけられているアングィスの封印。その力を一時的に無効化できるという『蘇りの指輪』を、匠は食い入るように見つめた。
一回きりの制限時間はわずか十分。それを超えれば、自身の魂を差し出さねばならない危険極まりない代物だ。恐怖を覚えるかと思いきや――。
「ありがとうございます魔王レオン、これでやっと力を取り戻せる」
絶望の淵に立たされていた匠の心に、どす黒く燃え盛る復讐心が湧き立ち、それと同時に、なぜかとても晴々とした、胸が空くような高揚感で満たされ始める。
――魂を削ろうが命を縮めようが構わない。
見くびった奴らの鼻を明かしてやれるなら、俺はどんな呪いの道具だって使いこなしてやる。
少年の奥底に眠る狂気に満ちた復讐心が、静かに、しかし確実に燃え上がり始めた。
※※※※※
【魔王城・客間】
待ち望んだはずの旅立ちだというのに、隣を歩くメアリーの表情はひどく沈んでいた。どんよりとした空気を隠そうともせず、今にも消えてしまいそうな顔をしている。
「どうしたんだ、メアリー。顔色が悪いぞ」
「……匠様、私……フィルモアには戻れません」
理由を尋ねると、メアリーはついに堪えきれなくなったようにシクシクと涙を流し始めた。
「あのアビルゲイが……私がもしフィルモアに戻れば、その瞬間に『ヒキガエルになる呪い』を掛けたって言うんです……! そんなの、そんなのってないわよぉ……っ!」
「あのアホ、最後の最後まで余計な嫌がらせをしやがって……!」
匠はアビルゲイの姿は見えないが、特大の罵倒を送りつつも、どこか冷静だった。
途中でメアリーをフィルモアに返して一件落着――そんな簡単なことを、あの底意地の悪い魔族たちが許すはずがない。何かしらの仕掛けをしてくるだろうと予想はしていたが、ヒキガエルとは恐れ入る。
「……まあ、そう泣くな。その呪いを解く方法も旅の途中で見つかるかもしれない。少しの間、俺の旅に付き合ってくれ」
優しく宥める匠の言葉に、ヒンヒンと泣くメアリーは涙目を拭いながら、小さくコクンと頷いた。
しかし彼女には他にも枷がはめられていた――。
【アビルゲイに呼び出されたメアリー】
「ひどいよ酷いよ、フィルモアに入っただげで、こんな美少女がヒキガエルにするなんてー」
フィルモアへ戻った途端、ヒキガエルに変えるという。極悪な呪術を掛けられた後の話である――。
「イヒィィ、レオン様からの言伝ですイヒィィ」
「そんなのいらなーい」
最悪の状況で渡された書簡など、ろくな内容ではない。そう直感したメアリーは、全力で受け取りを拒否した。
「ちゃんと読まないと巨大ヒキガエルにしちゃうのよーイヒィィ」
「もう!」
そして渋々書簡を手に取り、嫌々目を通す。
<華奈の秘密を知るお前は、旅に同行して匠を支えろ。もし逃げたら村は無くなる。だが完遂すればメルド村は攻撃する前にお触れを出す>
自由を認める代わりに、レオンは条件を突き付けてきた。書簡にしたのは、その場で反論や交渉をさせないためだろう。
「これ、どう見ても命令じゃないの。やっぱ魔王って腹黒いわー」
メアリーを捕虜として扱うにせよ、貴族の身分持ちなので、一応無下には扱ってはいない。
だが貴族は強かで強欲と理解しているのでこのように、術を掛けた直後に妥協案を出してきたのだろう。
「レオンって、本当に強かな奴ね……」
と、メアリーは毒づいた。
「レオン様は嘘は言いません。ご安心下さいまし」
「えぇぇっ!? マジですかぁ!?」
要するに、旅の間は逃げずに匠を支えろ――それが魔王レオンの命令だった。
※※※※※
【魔王城・玉座の間】
出発の間際、匠は再びレオンに呼ばれ、旅の資金として十分すぎるほどの路銀を直々に手渡され、匠は素直に頭を下げる。
「ありがとうございます、レオン様。大切に使わせていただきます」
「気にするな。……時に匠、お前が携えているその剣を、少し俺に見せてみろ」
レオンの急な要求に、匠は疑問を抱きつつも、腰の剣を引き抜いて手渡した。それは、フィルモアを離れる際にウィラードから貰い受けた大切な剣だった。
「ふむ……」
レオンは剣を抜き、鋭い刃をじっくりと眺める。そして、柄に刻まれたウィラードの家の家紋に目を留めた瞬間、その口角をニィと不敵に釣り上げた。
「ククク……お前は、人望が厚いのだな」
「は? どういう意味ですか?」
「そのままの意味さ」
いいか匠、お前たちがこれから向かう、ドワーフの国『ツヴェルク』。そこにいるヨハネという男に、この二振りの剣を見せてみろ。……面白いことが起きるぞ」
面白いこと、と言われても匠には見当もつかない。ただ、魔王の目が「楽しそうな悪巧み」に輝いていることだけは確かだった。
「……はぁ。分かりました。機会があれば、そうしてみます」
「ああ、期待しているぞ。……それとな、匠」
レオンは最後に、声を潜めて楽しげに笑った。
「エルフの王、デゥエンディには――決してそのメアリーの姿を見せるなよ?」
「……どういう意味です?」
「その時になれば分かる」
それが、魔王レオンとの最後の別れの言葉だった。
数々の謎と、不穏な警告だけを残して、匠とメアリーの二人はついに魔王城の重厚な門をくぐり、未知なる世界へと一歩を踏み出すのだった。




