媚薬と眼福。
【その日の夜・匠の寝室】
「ヒャンッ!」
匠の寝室の扉が唐突に開き、何者かによって『それ』は乱暴に放り込まれた。
「ブッブー!? ――ッ!? な、なんだぁっ!?」
突如として薄暗い部屋に現れたそれを見て、匠は口に含んでいたお茶を思わず盛大に吹き出しそうになった。
そりゃそうだ。スケスケのレースで揃えられた下着姿は、ほぼ裸体も同然。そんなあられもない姿で床に転がったのは、昼間、路上でバッタリ遭遇したあのメアリーだった。
「あ、あん……匠、さまぁ……っ」
「メアリー!? おい、どうしたんだその格好!」
慌てて駆け寄る匠だったが、すぐにメアリーの様子が明らかにおかしいことに気づく。
話す言葉はうわの空。焦点の合わない瞳は虚空を切り、はぁはあと荒く熱い息を漏らしながら、吸い寄せられるように匠の身体へとすがりついてくる。
「様子が変だな……おい、メアリーしっかりしろ!」
「なぁぁんですぅかぁぁぁ……んぅ」
何よりおかしいのは、昼間あれだけ猛犬のように吠えていたシェラが忽然と姿を消した。そして部屋の中には甘い吐息と、淫らな熱だけが満ち満ちているということだ。
「メアリー、しっかりしろ! おいっ!」
「ふぁあ……あぁぁ、もう、好きにしてぇぇ……っ♥」
迫りくるメアリーの肩に触れる。ただそれだけで、彼女はとろけるような表情を浮かべた。
この異常な反応を見れば原因は一つしかない。それは――。
――媚薬だ。
(間違いない……これ、あの《《アホ》》か《《変態》》に一服盛られたな……!)
夕方、メアリーがアビルゲイに引きずられるようにして、怪しい薬屋に入っていく姿が、匠の脳裏をよぎる。
この状況なら、間違いなくその媚薬の効果だと想像がついた。しかし、原因が分かったところで対処法がない。
(もうこうなったら、とりあえず無理矢理にでも寝かすしかない――!)
治癒魔法が使えれば一気に解決するのだろうが、生憎今の匠には使えない。ベッドに寝かせて様子を見るしかなかった。とにかく彼女を落ち着かせようと、その豊かな身体を抱え上げ、ボフンとベッドに投げ出した。
「ヒャンッ!」
さあ、ここからが本当の大変さの始まりだった。
相手はか弱い女の子だ。ヘッドロックをして力ずくで落とすわけにもいかない。
匠は少し考えた末、ベッドのシーツをメアリーの身体にぐるぐると巻きつけ、身動きを封じた上で後ろから抱きしめる形をとった。
(薬のせいで、今のこの状態は全身の神経が過敏になっているはずだ。――なら、これを試すか)
意を決した匠は、メアリーの耳たぶを優しく甘噛みした——。薬で過敏になっていた神経は、その刺激だけで限界を迎える。
「ひゃぅあぁっ!? んんっ!?」
最も敏感な場所を不意に弄られた途端、茹で上がったタコのように顔面を真っ赤に染め上げたメアリーは、白目を剥いてその場にバタリと気絶してしまった。
「……ふぅ、どうにか一線を超えずに済んだな(大汗)」
なんとか最悪の事態だけは回避し、収拾を図った匠だったが、ここ数日の度重なるハプニングの疲れが一気に押し寄せてきた。
彼は、隣で泥のように眠るメアリーとともに、そのまま一緒に意識を失うように深い眠りへと落ちていくのだった。
※※※※※
【そして、迎えた朝……】
「んっ……、んん……ッ」
メアリーは、じわじわと頭を包み込む不快な気だるさの中で目を覚ました。
しかし、まだ媚薬の効果が完全に抜けていないのか、妙な高揚感というか、身体の芯が恐ろしく熱い。
(確か……食後にお茶を飲んでから、急に意識が遠くなったのよね? ――って、ンンン!? 私、なんで裸同然で寝ちゃってるのぉぉぉっ!?)
シーツの隙間から覗く自分のスケスケな肢体を見て、メアリーの脳内に最悪の不安がよぎる。冷静に今の状況を鑑みれば――。
一服盛られた――!
といや応なしに理解できる。そして生暖かな人の温もりというか、熱を感じる方向を盗み見れば――そこには、すやすやと無防備な寝息を立てている男。魔王から命令され、情人になれと言われたあの出雲匠の姿があったのだ。
(まさか私……匠様に、美味しく食べられちゃったんじゃなぁぁぁああい!?)
早朝の魔王城の寝室に、令嬢の心の中の悲鳴が木霊する。
「ん……ふわぁ。あ、メアリー、気がついたか?」
盛大な勘違いを起こしたメアリーは、ベッドの中で一人悶々と絶望のどん底に叩き落され、そこへ、隣の匠が眠そうに目をこすりながら起き上がれば、状況証拠は完全に出揃った。
「う、うわあああん! 匠様の鬼畜! 破廉恥! もう私、貴方の女になってしまいましたぁぁぁ!」
「はあ!? 何を言って――」
いきなり大号泣し始めたメアリーに、匠は完全に置いてけぼりを食らう。
手が付けられなくなり本気で困り果てていた、その時だった。
バァァァン!! と、寝室の重厚な扉が文字通り叩き割らんばかりの勢いで開き、猪突猛進の如くシェラが突入してきた!
「タクミ様ぁぁ! 初夜の証の確認に参りましたわぁぁ!」
目を血走らせたシェラは、凄まじい手際でシーツを強制的に引っぺくり、ベッドの上の惨状を凝視する。しかし、そこに『決定的な証拠(血痕など)』がないのを見るや否や、一瞬でつまらなさそうな顔になった。
「なーんだ。未遂ですのね。残念でーす。じゃ引き続きお楽しみ下さいませ」
それだけ捨て台詞を残すと、シェラは嵐のように去っていった。
「…………え?」
静寂が戻った部屋で、メアリーの涙がピタッと止まる。
一服盛られ、シーツの跡。シェラのセリフ。匠の困惑した表情。
ガチガチとパズルが噛み合い、自分が何もされていない、ただの勘違いだったことを冷静に理解したメアリーの顔が、今度は恥ずかしさでトマトのように真っ赤に染まっていく。
「……匠、様」
「ん? だから何もしてないって――」
パシィィィンッ!!
乾いた音が響き、匠の頬が激しくのけぞった。
「ぶはっ!? 痛っ! 何するんだよ、俺は本当に何もしてないのに酷いだろ!」
「うるさいわね! 何もしなかったとしても、私の裸体を見たことには変わりないでしょう!? 見た責任を取りなさいよぉ!」
「見てない! ベッドに寝かせる時だって目を逸らしてた! 朝もシーツにくるまってただろ!」
「見た」「見てない」の水掛け論が始まり、部屋の中は完全に膠着状態に陥ってしまう。
これ以上不毛な言い合いを続けてもどうしようもないと判断した匠は、頬を押さえながらため息をつき、話題を切り替えることにした。
「……あのなぁ、そもそも、なんでお前が魔王城にいるんだよ。メルド村に戻ったんじゃなかったのか」
「あ゛!」
その問いに、メアリーはハッと小さく肩を揺らした。
そして空を飛び、湖に落下、魔王城に連れてこられ逃亡が阻止されたこと、アビルゲイに脅されて情人としての準備をさせられていたことなど、これまでの情けない経緯をポツリポツリと恥ずかしそうに語り始める。
「と、言うわけなんです……。フィルモアの、メルド村に帰りたいよぉぉぉ(泣)」
心の中の不安や愚痴をすべて吐露したことで、メアリーの肩からようやく余計な力が抜け、本来の落ち着きを取り戻していく。
「安心しろ。帰る方法は俺が探す」
「うん、ありがとう。匠さまぁぁぁ」
堪えていた涙が、また溢れ出す――。匠は何も言わず、メアリーを優しく抱きしめた。




