華奈の逆襲が始まる時。
【王立魔法物理学研究所】
王立魔法物理学研究所は、通称「魔物研」と言われている。
なんだか中二病のような名称なのだが、元が長いので略されるのは仕方ない。
そんな研究所の正面に、白銀色の長い髪の老人が駆け込んできた。
「誰でも良い、魔法……魔法剣を探してくれ、ぜぃぜぃ……!」
場所的に城前広場からさほど離れてはいないが、お年寄りの全力ダッシュには辛い。
ぜぃぜぃと俯き、肩で息をするパパ・ヤーガは、ようやく息を整えて顔を上げた。
「……誰も、おらん?」
――そうなのだ、皆決闘の見物に行っていて、研究所には誰もいなかった。
「この前見せたので、この辺にある筈じゃが……」
それでも諦めるわけにはいかない。薄暗い倉庫の中で、必死に箱をひっくり返し始める。
急げパパ・ヤーガ。早く探し当てて向かわないと華奈が負けてしまう! と応援したくなるくらい、その動作はゆっくりだ。
「これでもない、あれでもない……お、これじゃ!」
背を伸ばし、棚の上の箱を傾けると、グリップだけの魔法剣がひょっこり見えた。あとは箱ごと降ろして取り出せばいいだけだ。
「よっこらしょ――」
――ズドン!
執念で見つけ出した、魔法剣が入る木箱。だがそれは途方もなく重く、棚からずらした瞬間に支えきれず、そのまま落下した。
パパ・ヤーガは背伸びの姿勢から、容赦なく真下へと引っ張られ、強制的に深い前屈姿勢へとへし折られる。
「ぶふぇっ!?」
慌てて反射的に腰をのけ反らせ、上体を起こそうとした――その瞬間。
――ギャ、ギクゥッ……!?
太い針が刺さったようなズキンとした痛みが、ヤーガの腰を直撃する。これはまだ激痛が走る前の序章に過ぎない。そして、起き上がろうとさらに力を入れた瞬間――。
ズン! ズッキーーーン!!
時間差で襲ってきた激痛に、前屈の姿勢のままピキリと固まったパパ・ヤーガは、滝のような脂汗を流した。
「ギャー痛たたたっ! クソ、この大事な時にぎっくり腰じゃとぉぉ!? 」
上にも下にも動かすだけで激痛が走り、前屈姿勢のまま、パパ・ヤーガはバタリと床に倒れ込んでしまった。
【フィルモア城・城前広場】
一方、舞台の上では、華奈がジリジリと追い詰められていた。レベル差があるとはいえ、相手は腐っても剣聖。
そしていつもの神速域に到達しない事で、じわじわと間合いを詰められ、クライドの切っ先が華奈の戦闘服を切り裂き始める。
「あの華奈様が押されている。やはり勝者は剣聖クライドなのか」
「いや、彼女は不利な戦いを強いられている。俺の目には分かる」
副団長は負けそうだと言うが、ウィラードは本来の動きができずに押されている華奈の状況を正しく理解していた。だが、その息を呑む死闘を見守る近衛騎士の面々は、絶望の表情を浮かべ、彼女の敗北を確信し始めていた。
「ククク、俺より強い華奈、なんだその無様な格好は。さっさと俺の女になれば許してやるよ」
満身創痍状態の華奈を確実に仕留めたいクライドは、密かに足元へ卑劣な『土魔法』を放つように、ローブ服の男に目で合図を送る。
「くっ……!? 足が――」
クライドが距離を詰め、反射的に間合いを取ろうとした瞬間、突然隆起した地面に足を取られ、体勢を崩した華奈の胴体へクライドの横殴りの大剣が容赦なく叩き込まれる。
――ドバシィィィン!!
「グハァァ――」
凄まじい衝撃とともに、華奈の身体が舞台の端まで吹き飛ばされた。それを猛追するクライドは剣を振り被り、もはや勝負あり――誰もがそう思った瞬間。
ザシュ!ガキィィィィン――
「……クッソ!卑劣過ぎる」
意識が遠のく中、匠への強い想いを抱く華奈の根性は折れていなかった。我に返り持ち前の驚異的な反応速度で、剣を地面に突き刺し、どうにかトドメの一撃を間一髪で回避する。そしてよろめきながらも剣を構え直した。
「公式の試合で反則魔法まで使うなんて……。そんなに汚いやり方をしてまで、勝ちたいわけ!?」
ブチ切れた華奈の全身から、凄まじいオーラが立ち上る。限界値――リミットブレイクを超えた者だけが到達できる絶対の固有スキル。
「――《完》《全》《防》《御》!!」
まばゆい光が華奈の身体を包み込み、クライドの追撃をすべて完璧に弾き返し、試合の流れは一瞬にして振り出しへと戻った。
だが、その無敵のスキルには『時間制限』という致命的な足枷があった。
やがて時間切れを迎え、華奈を包んでいた聖なる光が儚く霧散する。
「剣聖のこの私と勇者華奈が結ばれれば、生まれし子供たちは皆、親の血統を色濃く受け継いだ最強の剣士になるであろう! これこそがフィルモアに永遠の繁栄をもたらし、諸侯の方々も栄光の日々を安心して送れるというもの! いわば、この婚姻は国策であり、至高の義務なのだ!」
満身創痍の華奈をみて勝ちを確信したクライドは、下劣な笑みを浮かべ、あろうことか大声で今回の婚姻の正当性を周囲の貴族へ語り始め、勝利宣言に移ろうとした。
「諦めなよ八雲華奈! これでお前は俺の女になるんだから。その自慢の剣技も、すべて俺のためにだけ捧げるといい」
「あんたなんかに娶られるくらいなら死んだ方がマシよ」
傲慢で好色のクライドに寒気を感じた華奈は、講釈を垂れている間に距離を取る。少しでも体力を回復させるのが狙いだ。
同時に、内心では(ああもう!遅い、遅すぎるわよパパ・ヤーガ! 早く魔法剣を持ってきて、早く!)と、必死に毒づいていた。
「待たせたのう華奈!これで本気で戦えるじゃろ」
――まだ右も左も分からなかった私に、呆れながらも懇切丁寧に戦い方を教えてくれた、魔法の師。満身創痍の華奈の耳に、聞き馴染んだその懐かしい声が真っ直ぐに届いた。視線を走らせれば、そこには宙を浮く魔法の絨毯の上で腰を押さえ、ボロボロになって脂汗を流しているパパ・ヤーガの姿があった。
「残念ね、あなたが負けるのは今ここで決まったのよ」
お世辞にも格好良いとは言えない。けれど、その必死な姿が何よりも嬉しかった。その脇では、ラインハルトが託された魔法剣を力強く握り締め、真っ直ぐに彼女を見つめていた。
「華奈様ァァァッ! 受け取ってくださぁぁい!!」
ラインハルトの手から放たれた物体が、空中でブレることなく、一直線に飛んでくる。それはまるで砲弾のようだ。華奈はそれを正確に右手でキャッチし――その瞬間、不敵に口角を釣り上げた。
「――さて、これから貴方の犯した罪を断罪する時間よ!」
「なんだその筒は、それで勝つつもりなのか? 笑わせるな!」
この期に及んでも、クライドは華奈が右手に持つ『細い管』の意味を全く理解していない。だが、彼が背中に突き刺さるような未知の恐怖を味わうまでに、一秒の猶予も必要なかった。
――ブゥゥゥンッビィィィィン!!
空気を震わせる、耳障りな超高音の駆動音が響き渡る。次の瞬間、眩い光と共に伸びた刃は、華奈の怒りを体現するかのような鮮烈な焔色を纏った。
「チッ、魔法剣だと!? 馬鹿な……まだ完成していないはずだ! そんな物は公式戦では認められん!」
「あら、残念ですね。これ、ちゃんとした『標準品』なんですよぉぉお!」
嫌味たらしく標準品ですと語る華奈は、おもむろに左手に持つ重たい実剣を愛でるようになぞった。すると、超高温に晒された刃は見る見る真っ赤に染まり――。
――パァン!
秘かに刻まれていた魔法陣が破壊され、乾いた音が響き渡る。衆目の前で見せつければ、もう誤魔化すことなど出来はしない。それを補強するかのように、パパ・ヤーガが大きな声で叫んだ。
「その破壊された術式は加重付与じゃぞ!その剣は最初から細工されておった!」
「「!!!!」」
パパ・ヤーガが断言したことにより、クライドの顔が醜く歪み、ウィラードは軽蔑の眼差しを向けた。もうこれで言い逃れなど出来はしない。
満身創痍だったはずの華奈は、その言霊から英気をもらったのか、凛とした表情に変わると、みるみる顔に生気が戻ってきた。
「――さあ、八百長試合を終わらせてあげるわ」
いたずらっぽく微笑んだ彼女は、左手の真っ赤に焼けた実剣を投げ捨て、右手には超軽量の魔法剣を構える。これで彼女を縛る枷は無くなり、華奈本来の力が発揮される瞬間が、今ここに復活を遂げた。そして――。
――ドン!
爆発的な踏み込みを見せると同時に、誰も目視すらできない神速の華奈がクライドの目の前に姿を現した。
「なっ――!?」
――バキン!
咄嗟に防御したクライドの大剣が見る見る真っ赤に染め上がる。ジリジリと焼けるような熱は、華奈の怒りの熱量として、彼に恐怖を呼び起こすには十分すぎた。
「うふふ、その程度なんですね」
「クッソ!」
華奈が仕返しとして遊んでいるのは丸わかりだった。冷たく笑う彼女の瞳の奥、絶対に許さないという鈍い眼光がそう教えてくれる。
咄嗟にバックステップで間合いを取ったクライドは、「何か手を打たなければ負ける」と本能で察したのか、またローブ姿の魔法士を一瞬睨みつけた。
「稚拙極まりないのう。男の嫉妬は見苦しいわい。――アンチマジック!」
口上こそ威厳のある響きだ。しかし、魔法の絨毯の上で腰の痛みに耐える姿のせいで説得力は半減である。パパ・ヤーガはクライド側が魔法による妨害を企むことを見抜き、情けない格好のまま魔法の杖を振り上げ、アンチマジックを発動させた。
「貴方に選択肢を与えるわ。今ここで跪いて許しを請うか、それとも斬られて荼毘に付されるか――選びなさい」
「こ、小娘の分際で……っ! 王家に逆らう気か……!」
一切の猶予を与えない断罪は、クライドにとってどちらも選びたくない問題だろう。追い詰められ醜く歪んだその顔は、何としてでもこの窮地を逃れたい、という風にしか読めなかった。そしてその意味を汲んだミラードが突然立ち上がる。
「両――」
窮地を助けようと国王ミラードが自ら声を上げた瞬間を狙っていたかのように、先ほどの焔ではなく、今度は青白い帯を引きずりながら言い終える前に――。
――出雲神速剣・三の形『散切』
乱れ撃つ神聖魔法を纏った魔法剣は、クライドの大剣を何枚もの鉄片へと変え、それでも勢いは止まらず、彼の腕の付け根へと襲いかかった。
「ぎやぁぁぁぁぁぁ!!」
骨付き肉の塊を無造作に切り落とすように、ざく切りにされた腕がポロポロと地面に落ちて行く。だが、それだけでは終わらなかった――。
命は奪わない代わりに――辛うじて繋がっているだけの、絶妙な手加減で、その肢体をズタズタに切り刻んでいく。
やがて操り人形の糸が切れるが如く、クライドの身体は力なく崩れ落ちた――。
「凄い、神業だ……」
血だまりの中に横たわる剣聖クライドを前に、観客は誰一人として声を発することができなかった。
「しょ、しょ、勝者……勇者・八雲華奈!」
「やったー、勇者さまぁぁぁ!」
――本物の剣聖が見せた、神聖魔法を纏った剣技に、誰も異議を唱える者はいない。
広場は割れんばかりの歓声に包まれた――。
「よくやった、華奈……」
「……」
ウィラードは囁くように華奈を称えた。
対照的に、思惑を打ち砕かれたミラードは、玉座の肘掛けを軋ませるほど強く拳を握り締めていた。




