華奈の日常と不穏な影。
【フィルモア王国・近衛騎士団修練場】
「ま、参りましたぁぁぁ、華奈様ぁ……ッ!」
木剣による勝負は、立ち合いからほぼ瞬殺だった。
相手の渾身の一撃を軽く片手でいなし、首元にぴたりと木剣を這わせる。しかし、勝った華奈の表情は優れない。
逆に、手も足も出なかった団員の目には、自分たちの鍛錬がよほど足りないのだと映ったのか、その顔は恐怖で引きつっていた。
「――刃を落とした実剣で再戦しましょう」
「は、華奈殿!? それでは怪我人が出てしまいます! せめて、大型の木剣で――」
慌ててウィラードが割って入る。団員では華奈の相手は務まらず、実剣で打ち合えば怪我人は避けられない。大量のポーションを消費する未来が脳裏をよぎり、必死に止めに入った。
「私のヒールで怪我はすぐに治しますので、ご心配無用ですわ」
「あっ……」
その一言で、ウィラードはようやく思い出した。
『これからパパ・ヤーガ様の所に向かいますの』
それは、魔法研究所に足繁く通う華菜の姿だった――。
この世界の剣士は身体強化が主流で、治癒や攻撃魔法はほとんど扱えない。
だが華奈だけは、蘇生魔法を除くあらゆる魔法を極めていた。
「私は魔法士でもあるのですよ」
「そうでした、そういうことでしたら……」
彼は彼女のチートぶりに圧倒されつつも、そこまで言うならと、渋々実剣での模擬戦を認めるのだった。
(重量があるロングソードの対応に日本刀ではいささか無理がある)
実は華奈には一つ懸念があった。
この世界の騎士が使う両手剣は、日本刀の三~四倍も重い。切れ味では勝っても、真正面からの打ち合いではいつか押し負けるかもしれない。
しかも、この王国に玉鋼はない。折れれば修復も不可能だ。その現実が、華奈の胸に重くのしかかっていた。
「私も、重量のある剣の衝撃に慣れておかないと、と思いまして」
「なるほど、そのようなお考えとは知らず失礼いたしました」
そして、実剣を用いての激しい練習が再開される。
キィィィン! ガギィン!!
鋭い金属音が修練場に響き渡り、やがて――。
「……参りました、華奈様」
「付き合ってくれてありがとう」
無事に試合は終わった華奈は、自分の手のひらをじっと見つめる。
(やっぱりスピードが遅くなるし、キックバックが凄い)
激しく打ち合った結果、スピードも打撃力もとりあえずは負けはしなかった。
ただ、思うような斬撃に至らず。これが長時間におよぶ実戦になれば、いつか競り負けるかもしれない――そう思わずにはいられなかった。
「姫騎士華奈様ー! お茶にしましょ、お茶に!」
近衛騎士団の指南役になってから、華奈の環境は激変していた。
それは、念願だった「気を許せる知り合い」――立場こそ上司と部下ではあるが、気兼ねなくお喋りするのも難しい貴族令嬢ではなく、ざっくばらんに話せる《《平》》《《民》》の女友達ができたことだ。
「うん、ちょうど休憩にしようと思ってたからいいよ」
匠が目の前からいなくなってしまい、心細さに押し潰されそうだった華奈は、彼女たちが自分と同じ「平民の出」ということもあり、すぐに打ち解け、新たな友情を少しずつ紡いでいた。
女子の控え室に向かっていく足取りは、ひどく軽い。その背中は、まるで放課後の女子高生のようだった。
【女子控え室】
「いやいや華奈様、私が淹れますって!!」
いつものことなのだが、誰がお茶を淹れるかでちょっとだけ揉める。前回も前々回も止められた華奈は、持ち前の素早さを発揮して、すでに茶器を用意していた。
「だって私は一番年下なのよ? 先輩にお茶を淹れたくなるのは当然でしょ」
「「「絶対やめてぇぇぇー!」」」
先手を打った華奈が勝ち誇ったように宣言すると、先輩騎士たちは声を揃えて拒否した。
そりゃあ王国最強の指南役姫騎士に給仕させるわけにはいかないし、どんな表情でお茶を嗜めるのか想像もつかないのだ。しかし、そんな気取らない華奈のことが皆大好きなのだろう。笑いながら茶菓子をつまみつつ、ひと時の安らぎを楽しむ。
「華奈様、ウィラード団長様の子息、ラインハルト様との婚約話が進んでいるらしいじゃない!」
「羨ましいわぁ! イケメンで優しくて、次期団長確実の超優良物件!羨ましいかぎりです!!」
パイセンたちに他意はない。ただ、彼女たちは華奈と匠との深い関係を知らないので致し方ない。
救いなのは悔しいやら羨ましいやら、嫌味のないさっぱりとした口調で、恋バナを咲かせているだけだった。
「私は望んでないけどね。いっそ独身を貫こうかしら」
「もう、我儘姫騎士は贅沢言わないの!」
「そうよそうよ、勿体なさすぎるわ!」
華奈は本心から相手に会いたくもないし会う気もないが、それは周囲には関係のないこと。悪気がない言葉だからこそ、逆に鋭い刃となって彼女の心にグサグサとダメージを刻んでいく。
(リミットは一年か……)
時間は有限だ。匠の復活を心待ちにしているが、以前のようにただ絶望して落ち込むことはなくなった。それでも、迫りくるタイムリミットに、日に日に困惑の表情が顔に出てしまっていた。
※※※※※
【華奈の執務室】
指南役に就いたことで、クライドの旧執務室をあてがわれた華奈は、そこで事務作業をこなしていた。しかし、その部屋の広さが問題だった。
「なんか広すぎて落ち着かない部屋ね。もっと狭いところでいいんだけど……」
秘書と侍女を入れても三人しかいない部屋には広すぎた。だからこそ現実逃避気味に修練場へ足繁く通うのだが、そうなれば必然的に、後から処理すべき決済書類が溜まっていく。
黙々とサインを重ねていると、不意にコンコンとノック音が響いた。
「華奈様、ラインハルト様との顔見せの日取りが決まりました」
文官の男が華奈にとっては悪い知らせを持ってくる。彼は王付きなので無表情で対応しつつ、部屋を出た途端小さくため息を漏らす。
「はぁ~……逃げ出したいわ、本当に……」
王命による縁談を、ウィラード家が断る理由などない。奥方は狂喜乱舞して歓迎していると聞く。以前、私邸で嬉々としてグラタンを振る舞ってくれた姿まで思い出してしまった。
華奈自身は断った。だが、「形だけでも」と頼まれ、恩義のあるウィラード団長の顔を潰すこともできず、結局は渋々承諾してしまった。
――いっそのこと、逃げてしまえば良いじゃないか。
そんな考えは浮かぶ。だが現実は残酷だった。魔人族領へ向かっても門前払いされれば終わりだ。各国から追われ、居場所を失う。
それに華奈は、野営すら苦手な都会育ちの元女子高生である。防御魔法を極めた理由が「虫が嫌だから」という筋金入りの虫嫌い。森で生活などできるはずもない。
結局、彼女には政治の激流に身を任せるしかなかった――。
※ ※ ※ ※ ※
【数日後・迎賓館】
普通の貴族同士の顔見せなら、自宅に招くか高級レストランを貸し切って行うものだ。しかし、いまや華奈は国賓級の扱い。そのため、場内でも最高格である豪華な貴賓室がある、迎賓館がその舞台となった。
「華奈殿、お迎えに参りました」
慣れない忌々しいあの部屋でドレスで着飾った華奈は、ウィラードにエスコートされ、重い足取りで指定された場所へ向かっていた。
「お付き合いいただき、本当に申し訳ありません……」
「いいえ、ウィラード様が謝ることじゃありません。お気になさらず」
扉の取っ手へ手を伸ばしたまま、一瞬だけ動きが止まる。
その横顔は息子の晴れ舞台を前にした父親というより、国に仕える騎士としての苦悩だけが浮かんでいた。
「それと……ミラード陛下もお越しになっています……」
「……また碌でもないことを企んでるわね」
「申し訳ない、穏便にお願いします」
王命に逆らえないウィラードは、華奈に問い詰められた途端、顔色が悪くなり始めた。
もう、どう考えても、扉の向こうに悪意が待っているとしか考えられない。
「それでは参ります――」
そして重く重厚な扉が開くと――。
「これはこれはお美しい、お久しぶりです」
その聞き覚えのある鼻につく声に、華奈の眉がぴくりと動く。視線の先に立っていたのは――。
――元剣聖のクライドだった。
きらびやかな夜会の中心で不敵に笑う男の姿に、華奈の眉間が一瞬で跳ね上がる。
「ハァ〜、どうしてこの国の中枢は腐っているのかしら……」
「そう落胆するなよ八雲華奈。この婚姻、私は《王》の許しを得て異議を唱えにきたのだ」
クライドは下卑た笑みを浮かべ、自身の地位と権力を利用してウィラード家の縁談に強引に割り込んできたのだ。
まさにゲスの極みと言うべき行いだが、ここは冷徹な階級社会。割り込まれたウィラード団長は、腸が煮えくり返るような思いを必死に堪えるしかなかった。
その証拠に、彼の顔は怒りで真っ赤に染まり、溢れ出しそうな怒りを必死に押し殺すように、握り締めた拳が微かに震えていた。
「ふーん……。そんなくだらない貴族のお遊びに付き合ってる暇はないわ。いっそ今から魔人族領にでも行こうかしら」
とうとう華奈がガチギレした。
自分の命よりも大切な匠を、あんな形で魔人族領に送り出す羽目になったというのに――負けを認められないクライドは、権力を傘に着て、ほぼ脅迫に近い言葉で華奈を我が物にしようと言い出したのだ。そんな男は一刀両断したい思いに溢れ始める。
「華奈殿、どうか落ち着いて判断していただけますか! 相手は陛下、そして王族の方々です。ここで事を荒立ててはなりません……!」
隣に控えるウィラードが、悲痛な声で宥めてくる。彼は華奈がここまで激昂するとは思いもよらなかったのだろう。
だが、玉座に座る国王ミラードと、その傍らに立つクライドはこれが想定内だったらしく、揃って不敵な笑みを浮かべていた。
「勇者華奈よ、ならば機会を与えよう。この男――クライドと立ち合い、勝てばお前の望む道を選ぶがよい。」
「おい、このクソたぬき。いい加減にしろよ」
華奈の冷え切った声が、豪華な貴賓室に響く。
「クライドを二度と立ち上がれないくらい叩きのめした後は、お前の命令なんて二度と聞かないからな」
一瞬にして、会場の空気が文字通り凍りついた。
一国の王に対して、一切の敬称を排したタメ口。それどころか「クソたぬき」という痛烈な罵倒。周囲の貴族たちは恐怖のあまり顔を真っ白にし、ウィラードは絶望の表情で頭を抱えている。
だが、この傲慢な態度すら予期していたのか、クライドはさらに口角を吊り上げた。
「いいだろう華奈、俺と勝負しろ。今度こそどちらが上か、はっきりと決着をつけようじゃないか」
「ええ、望むところよ。その生意気なツラ、叩き割ってあげる」
厳かな雰囲気で執り行われるはずだった顔見せの儀は、かつてない不敬と、哀れな元剣聖の浅はかな策略によって、静かにその役割を終える。
――こうして、新旧剣聖による決着の時が、再び訪れようとしていた。




