試練と恨み。
【魔王城・玉座の間】
玉座の間は、魔導照明で眩く照らされるフィルモア城とは対照的に、松明だけが揺らめく薄暗い空間だった。
その玉座の真正面に、ポツンと小さな光の粒が突如として現れる。
――ヒィィィィ――。
甲高い、耳障りな音が静寂の空間に鳴り響くと、どこからともなく魔法の杖を携えた黒いローブ姿の人影が、その光を取り囲むようにして並び立った。
「アビルゲイ様、ご帰還でございます」
玉座の傍らに控える、紫色のローブを纏ったフードの中から、艶やかな女性の声が漏れ、フィルモアからの帰還を告げる。
床から浮かび上がった魔法陣が眩く輝き、やがて光が収まると二人の人影が現れた。
「魔王レオン様。ご所望の人間を連れて参りました」
軽やかなステップで魔王の前に進み出た、ピエロのような風貌のアビルゲイ。彼は全身を大きく使い、大ぶりな所作で深く頭を垂れて膝をつき、絶対的な服従の姿勢を示した。
「……」
一方の匠は、あまりの急展開に強い困惑を覚えていた。
しかし、そのシルバーグレイの瞳は、薄暗い城内を射抜くように、ぎらぎらとした不屈の精神を燃やし尽くさんばかりに輝いている。
(歓迎はされないだろうが、敵意は感じないな)
周囲に衛兵の姿はなく、魔法による拘束すらされていない。あの玉座に座るレオンという男は、一体自分をどうしたいのだろうか。
困惑の奥で、匠の怒りだけは少しも消えていなかった。
「おやおや……アビー、これが例の匠という奴か? 随分と貧相な顔をしているな」
初対面には相応しくない、張り詰めた雰囲気をまったく気にすることなく初見を述べる一人の男。
――魔王レオン。
吐き出された言葉に殺意はない。だからこそ匠は、この男の真意が読めなかった。
「ほう、匠。まずは挨拶くらいしろ」
サーペントから「神に届く器」と聞かされていたレオンは、その真価を見極めようと冷たく笑った。
「……初めまして魔王レオン様、出雲匠と申します」
ゆっくりとした動きで魔王レオンの前に進み出た匠は、二振りの剣を携えたまま、跪くことなく仁王立ちのままで軽く頭を下げた。
従属などしない。そんな確固たるプライドを示す態度。それは、レベル1.0の男がその場で取れる、最大限の反抗だった。
「君は剣士なんだろう。歓迎の意味を込めて、俺の目の前で戦ってみせろ」
「弱い者虐めがすきなのか」
「まさか、力量を測るだけだ。……それはアビーに預けろ」
「ああ、わかった」
あのピエロのような男が、今度は一転して至って真面目な、音もない軽快な足取りで近づいてくる。
匠から二振りの剣を受け取ると、アビルゲイはまた同じように、静かに玉座の傍らへと下がっていった。
「――我が僕のスケルトンよ、この場にいざなえ」
魔王に召喚されたスケルトン一体が、匠の背後に現れる。取り急ぎ現出しただけで、時折カタカタと骨の歯を鳴らしながら、主人の命令をじっと待っているようだ。
すると、今度は木剣を二振り手にした、仕立ての良いスーツ姿の初老の男が現れた。その隙のない佇まいは、まるでどこかの高貴な執事のようでもある。
「受け取りなさい」
一瞬、人間に見えたが、よく見れば額に小さな突起――要するに角だ。彼は間違いなく魔族だった。
(レベル1.0の俺を試して何になる。……だが、ぶっ倒れるまで戦ってやる!)
男から木剣を受け取った匠は、一見すると脆そうなスケルトンと対峙することになった。
――だが、甘かった。
奴の動きは型こそ滅茶苦茶だが、容赦なく隙を突く一撃は、的確に匠の急所を狙い澄ましてくる。
相手には筋肉がない。予備動作が読めず、辛うじて避けるのが精一杯だった。何より――己の肉体が、脳の命令にまったく反応してくれない。
「グハァ……クッソ!」
――もどかしい。あまりにも、もどかしい。
地球での研鑽のおかげで、相手の攻撃の軌道は完全に見切れている。それなのに、肉体が鉛のように重く、追従を拒むのだ。致命傷を負う頭部への攻撃は禁じられているのだろうが、動きを限定されてなお、身体が追いつかずに何度も直撃を喰らってしまう。
ズン!
激しい衝撃と共に木剣を弾かれ、無防備になった鳩尾へ容赦のない突きを喰らう。
「……がはっ! 嘘、だろ……。ふざけるな、俺は、まだ……まだやれ――」
肺の空気をすべて絞り出された匠の視界は、瞬く間に真っ暗闇へと染まっていった。
文字通りの――完全敗北。
それでも、閉じかけたシルバーグレイの瞳に再び火が灯る。
「落ちたらお終いだ……!」
気を失いかけた匠は、心の中でそう歯を食いしばる。そして大きく息を吸う。
「さあ、かかってきやがれ、骸骨野郎……!」
全くと言っていいほど、匠の心は折れていなかった。裏切った華奈、あの胸糞悪いミラード――薄れゆく脳裏に奴らの顔が走馬灯のように映った瞬間、激しい怒りが爆発した。
「クッソ、クッソ、沈め沈め!!」
体の反応が悪ければ、もっと早く動けばいい。そう考えた匠の動きが変わる。スケルトンの木剣をギリギリでかわし、渾身の突きを繰り出す。だが――。
バキィ!
コアがあるであろう心臓に突き刺し、沈むと思った。だが、貫くことができず、逆にスケルトンの容赦ない反撃が首近くに入ってしまう。
「……がはっ! 駄目だ……力が足りなさ、すぎる……」
そもそも、肉体の限界はとうに超えていた。精神力だけで耐えていたものの、首に入った一撃は脳を揺さぶり、大きなダメージとなって容赦なく匠の意識を奪う。
スケルトンに預けられるようにして膝から崩れた匠は、そのまま冷たい床へと沈んでいった。
「……凄まじいな。あれほどの負けん気の強さは、一体何処から湧くのだ……」
レベルが低いとはいえ、並の者なら、とっくに戦意を失い意識を手放している。
何度も容赦ない攻撃を浴びながら、匠は強靭な精神力で耐えてみせた。
レオンは、彼を突き動かすのが「恨み」から来るものだと感じつつも、出どころが気になり不敵に笑う。
「……フフ、アビー、ことの顛末を話してくれ」
「御意、アングィス様にもお聞きになられたほうが良きかと」
レオンは、妖しく輝く祭壇へとゆっくり視線を向けた。そして、今度は「真意を聞くためにアングィスに会いたい」と、まるで呪歌のように低く不気味な声で、何度も囁くのだった。
※※※※※
【フィルモア城・国王執務室】
「お前は華奈にボロ負けしたんだってなクライド。剣聖の名が廃るぞ」
「ぐっ……不意をつかれただけだ。俺は負けてはいない」
おめおめと城に戻ってきたクライドは、メンツを潰されてどうしても仕返しをしたいのだろう。すでに剣士とは言えないその愚行に、ミラードも頭を抱えていた。
クライドは有頂天になり、研鑽も碌にせず傲慢さだけを成長させていた。華奈にコテンパンにやられても、そんな歪んだ性格が早々に治るはずもない。
「負けは負けだ。もう一度やりたいなら構わんが、今度負けたら家に戻って仕事をしなさい」
ミラードにとって、甥であるクライドの頼みは無碍にできないのだろう。交渉の場で見せた傲慢な表情とは打って変わり、困ったような表情を浮かべる。
だが、その甘さが、さらに彼の傲慢さを助長させることになるとは――。
「ミラード陛下!! どうか、どうか私と勇者・華奈の婚姻をお認めください!!」
「はっ? まぁ、棚上げにはしていたが……だが、歳が20以上も違うぞ」
クライドは、これまで決めかねていた婚姻相手の話を強引に切り出し、華奈を娶ると言い出した。
女遊びに明け暮れ、結婚する気など毛頭なかったはずだが、腕で敵わないなら権力で押さえ込む――ということだろう。
そうでもしなければ気が晴れないほど、へし折られたプライドが彼を突き動かしていた。
「既にウィラードの息子と婚約を結ばせることになっている。だが、お前が勝負に勝てば、そんな約束はどうとでもなる」
「ありがとうございます、ミラード陛下!」
「ただし、これ以上勇者華奈を怒らせるな。慎重に事を進めよ」
頑なに華奈を我が物にしようと懇願するクライド。その歪んだ執着を前に、それまで困り顔をしていたミラード王の唇が、いやらしい笑みへと歪んでいく。
王にとって、異世界から召喚した華奈など、強き遺伝子を残す「剣士を産ませる道具」くらいにしか思っていなかったのだから。




