悲しみと、友人と、そして復活。
【フィルモア城・客間】
禍々しい転移魔法陣に匠が吸い込まれ、完全に消えるまで見守っていた華奈は、必死に涙をこらえ執務室を後にした。
足の感覚はとうにない。ただの操り人形のように廊下を歩き、かつて二人で生活した、思い出深い客間へ戻る。
「すみません、背中を貸してください……」
重苦しい沈黙の後、短くウィラードが「ああ」とだけ静かな声で応じた。
客間の扉が閉まった瞬間、華奈は彼の背中にすがりつくようにして、その場に崩れ落ちた。
「ああぁぁ、ひゃぁぁ、ぁ……っ!!」
喉をかきむしるような、声にならない慟哭。
自ら悪人を演じ、最愛の幼馴染に投げつけた刃のような言葉の数々が、今度はすべて自分自身の胸へと突き刺さっていた。
「最良の判断だった。あとは彼次第だ」
匠の、あの憎悪に染まった目を思い出すたび、呼吸の仕方を忘れるほど胸が締め付けられる。
溢れ出る涙を拭うことすら忘れ、ウィラードの静かな助言を聞いても、彼女はただ、己の裏切りがもたらしたあまりの痛みに、狂ったように泣き叫ぶことしかできなかった。
【翌日・昼前】
「華奈様、お昼になりますがお食事は……」
「――――――」
昨日の昼から何も口にしない華奈は、侍女の問いかけにも反応しない。
やっとの思いで起こされたベッドの上で、ただ微動だにせず佇む姿は、まるで魂の抜け殻――廃人のようだった。
(会えないだけで、こんなに辛いなんて……。けど、タクちゃんは……私のせいで地獄に落とされて、もっと辛い筈……)
自責の念で押し潰されそうな華奈の目の下には、どす黒いクマができており、完全に憔悴しきっていた。
そんな底のない絶望の沼に沈み、立ち直るきっかけすら見失っていた時。
バタン――。
突然、遠慮のない音を立てて寝室の扉が開いた。
「どなた様でしょうか、お名前は――」
「――ちょっと、華奈! 一体どういうことよ!」
寝室に飛び込んできたのは、なんとメアリーだった。
ただならぬ様子を察したのか、侍女はメアリーに促されるようにそそくさと部屋を後にする。
「団長から聞いたわよ、ちゃんと私にも説明しなさい!!」
二人きりになった途端、涙がボロボロと溢れ出し、暗殺、不条理な調略、自分が彼を裏切るフリをして魔界へ逃がした一部始終を、震える声で吐き出した。
話し終えた華奈は、絶望に歪む匠の顔を思い出して胸が締め付けられ、メアリーと正面から向き合えずに顔を背けた。――その瞬間。
――パァンッ!!!
乾いた、激しい破裂音が部屋に響いた。勢いよく叩きつけられたメアリーの平手打ちによって、華奈は力なくベッドに倒れ込む。
「――ッ」
「頭を冷やしなさい、この馬鹿!!」
ベッドに突っ伏したままの華奈の肩を強引に掴み、顔を覗き込むようにして、メアリーは隣の部屋まで聞こえるような大声で怒鳴りつける。
「自分で魔人族領に送り出して、今更被害者ぶって泣いてるんじゃないわよ! 彼が命懸けで地獄を生き延びて戻ってきた時、誰が迎えてあげるのよ!」
「あう……あ、めあ、り……」
痛む頬を押さえながら、華奈は信じられないものを見るようにメアリーを見上げた。
すると、メアリーは荒々しく掴んでいた肩の手を緩め、今度は壊れ物を扱うかのように、華奈の細い身体を力強く抱きしめた。
温かい温もり。少しの間、部屋には二人の静かな呼吸の音だけが流れた。
「メソメソするのはもうお終い。前を向きなさい、華奈。……彼への想いが強いなら前に進むのよ!」
「そ……う……だね……。私、止まってちゃ、いけないんだ……」
華奈の瞳からは、先ほどまでの死人のような虚無は消え、メアリーの放った激しい叱咤と慈愛によって、かすかに「生」の光が灯り始めていた――。
※※※※※
【メルド村】
現在のメルド村は、軍の資金を得た事で大きく発展を遂げている。三階建ての騎士団の宿舎は元より、飛竜の飼育場、食料備蓄庫など既に村の範疇を超えようとする勢いだ。
そして突然、ほぼメアリー様専用魔法陣が輝き出し、ふたつの人影が光の束から姿を現わした。
「ここが、私が経営している村だよ。あの手この手を使って、今はみんなで助け合って暮らしてるんだ」
「へえ……メアリーってやっぱすごいよね」
メアリーに激しい叱咤――カツを入れられた華奈は、強制的に飯を食わされ、少しずつ生気を取り戻していた。だが、ちょっと目を離せば、また匠を裏切った自責の念に押し潰されそうになる。
メアリーが華奈をこのメルド村に招待したのは、自分の居場所を見せることで、彼女に以前の元気を取り戻し、前を向くきっかけにして欲しかったからだ。
「これが資金源のワイバーン達よ、私がテイムしてここで飼い慣らして出荷するのよ。これねあっちで見たやつなんだよ」
メアリーの言葉に誘われるようにして華奈が視線を向けると、そこには「村」の規模を遥かに超えた壮大な飛竜の飼育場が広がっていた。
「おお、日本で知った飼育を取り入れたのね。再出発の場所としては、悪くないじゃない」
「でしょ、無駄に時間があったから調べたのよ」
頑丈な柵で区切られた広大な敷地。そこでは数頭のワイバーンたちが大きな翼を折り畳み、のんびりと身を休めている。
どうやらメアリーは、練習中で不在の愛梨からスマホを拝借して、飼育関連の動画や記事を検索して知識を身につけていたらしい。
――納得した。だってこの光景、見た目が完全に日本の野外の養鶏場を巨大化したそのものなのだ。
「ほら、お利口にしてるでしょ?」
メアリーが柵に近づくと、一頭のワイバーンが嬉しそうに喉を鳴らし、巨体に似合わない甘えた仕草で大きな頭を彼女の手にすり寄せた。
危険生物である飛竜を、完全に『ちょっと大きな鶏』として扱っている。メアリーのテイム能力と図太さがあってこそ成せる業だ。
「相変わらずの強かさね、けど、これに私も乗らなくちゃ駄目なのかな」
「乗るのは……気合らしいよ」
「うふふ、そうかもね」
穏やかな時間が、彼女の傷ついた心を少しだけ癒やしていく。
――だが、その平穏は、あまりにも不躾な予期せぬ侵入者によって無残に踏み荒らされた。
「おいおい、何だこの薄汚い場所は。盗賊の村と聞いて様子見に来てみれば……フン、どいつもこいつも碌な面をしていないな。やはり塵は一掃すべきだな」
転移魔法陣の輝きが霧散した直後だった。村の広場に響き渡る傲慢極まりない声。その主は、華美な装飾に身を包み、緻密な細工を施された大剣を携えていた。
――剣聖クライド・シャルペ・フィルモア。
元近衛騎士団団長の彼は『リミットブレイク』を果たしたのち、近衛の指南役となり、今は悠々自適な自由人のように、我が物顔をして過ごしている存在だ。
「ギャハハ! お前ら元盗賊なんだから、殺されても文句は言えないよなァ!」
クライドに付き従う手下は、品の悪い盗賊のような風体の連中だった。彼らは足を洗って懸命に生きている村人たちをあからさまに見下し、無礼な態度で威張り散らしている。
「おお、女の質だけは上物を取り揃えているんだな。ようお前、俺の情人になれよ」
「な、何ですって……!? 誰に向かってそんな口を利いているのよ!」
最初に激怒したのは、他でもないメアリーだった。
この村が自分にとって、そして村人たちにとってどれほど大切な場所かを知っているからこそ、クライドの前に真っ直ぐ詰め寄る。
「私は名誉貴族のメアリー・アスター・フィルモアよ! 数々の暴言を今すぐ撤回しなさい!!」
「黙れ、女。男の会話にしゃしゃり出るな」
――パァンッ!!!
クライドは一切の躊躇なく、激昂したメアリーの頬をひっぱたいた。
男尊女卑を地で行くようなその傲慢な態度は、相手が貴族だろうがお構いなしだ。
「――ッ」
そして――自分を絶望から救ってくれた、大切な友人を傷つけられた、その瞬間。華奈の脳内で堪忍袋の緒が切れた。
「――あんた、余りにも無礼が過ぎるよ」
地を這うような、冷徹な声。
そこから溢れ出たのは、神をも脅かす「勇者」としての圧倒的な威圧感だった。あまりの凄まじい気迫に、クライドの手下たちがガタガタと一歩後ずさる。
「おいおい、何だその目つきは……。たかが田舎女剣士の分際で、この俺に逆らう気か?」
「貴方、剣士だよね。そっちがその気なら私にも考えがある。……決闘を申し込みます」
「ハッ、面白い! 俺は女相手だろうが手加減はせんぞ!」
完全に華奈をなめてかかっていたクライドが、嘲笑しながら大剣を引き抜く。
だが、それが彼の人生最大の過ちだったと、数秒後に思い知ることになる。
「では、参ります」
「なんだその細身の剣は、そんなんじゃ――」
スン!
刹那――。
華奈の手が業物の柄に触れた瞬間、一閃の光が爆ぜた。
かつてあのテイマーを屠った時と同じ、鼓膜に音すら残さないほどの、軽やかで絶対的な神速――。
「――ぎゃあああああああッ!!!!!?????」
広場に響き渡る、文字通りの絶叫。
クライドの右腕が、肘のあたりから綺麗に切断されて血飛沫をあげた。切り落とされた腕と大剣は、無惨にもゴロン、ガラーンと不気味な音を立てて地面へと転がり落ちていく。
これは出雲無双流の居合――出雲神速剣・六の形『瞬断』だ。
今の華奈にとって、レベル667程度の相手など、もはや敵ですらなかったのだ。
「あ、貴様……その神速、まさか……勇者、華奈……!?」
腕を切り落とされて初めて、クライドは眼前の少女が本物の「勇者」であることに気がつき、みるみる血の気が引いてゆく。相手にしてはいけない絶対的な強者だと悟ったのか、その歯がカタカタと激しく震え始めた。
「も、申し訳ありません、勇者様! 私の不徳の致すところです! 謝ります、謝りますから……ッ!」
「……この村は平和を願う場所だから。嫌だけど、右腕の治療を施します」
この村ではこれ以上無駄な血を流さない方がいいと判断した華奈は、パパ・ヤーガから教わった治癒魔法を使うため、クライドの右腕をものすごく嫌そうな顔で見つめると、怯える手下に向かって顎で「手伝え」と冷酷に指図した。
慌てて転がる腕を拾い上げ、切断面に押し当てる手下たち。華奈はそこにそっと手をかざした。
「――力の根源たる我が命ずる。失われし肉体を原初の形へと再構築せよ。《レストア・ヒール》」
眩い緑光が弾け、切断されていた肉と骨が瞬く間に繋がっていく。
激痛から解放され、完全に繋がった己の右腕をさすりながら、クライドは信じられないといった様子で歓喜の声をあげた。
「お、おお……! 本当に直してくれたのだな! 素晴らしい……それほどの腕前と美貌を持つ貴女だ。ぜひ、俺の女に――」
「――まだ口が動くんだね」
反省の色など微塵もない、あまりにも醜悪な暴言。それを平然と吐き出す男の傲慢さに、華奈の瞳から完全に光が消えた。
「――ぎゃあああああッ!!!???」
クライドが治癒魔法で繋ぎ直したばかりの右腕を、華奈は一切の容赦なく、再び根元から切り落とす。
――本日二度目となる絶叫が村中に響き渡った。
華奈は、まるで汚物を見るような冷たい視線をクライドへ向けていた。




