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届かない心の距離。

ラブコメ風です

早春とはいえ、明け方近くは深々とした寒さが周りを取り囲む。ふと寝返りを打つと、ひんやりとした冷気が布団の中の温かさを盗むように滑り込んできた。

薄く目を開けた華奈の視界に、すぐ目の前で自分を見つめている匠の姿が飛び込んでくる。


(――っ、近いよ近い……! そっか、一緒に寝たんだっけ……)


あり得ないほどの至近距離に困惑しつつ、昨晩の出来事を反芻する。これが自分が招いた状況だと理解した瞬間、「このまま抱きしめてほしい」という甘い願望が脳裏をかすめた。

同時に、じっと見つめられる理由が不安になり、「私、寝言で『タクちゃん大好き』なんて、とんでもないこと言ってないよね!?」と変な妄想まで暴走し始める。


「華奈……素敵な目覚めだね」


いつもより少し低い、男らしい声。

初めて送られた「素敵」という言葉は、寝顔を見られて恥ずかしい気持ちを置き去りにして、それ以上に彼が自分を真っ直ぐに見てくれたという喜びで、ただただ胸をいっぱいにさせた。


「えっ、タクちゃん駄目……。ちゃんと付き合ってないから、キスはまだよ」


焦る華奈を嘲笑うかのように、じわりと距離を詰めてくる。抱きしめてくれる視線ではなく、匠は目を瞑り、確実に彼女の唇を奪おうとする動きだった――。


「……ッ、夢、だったの……?」


――ハッと目覚めると、茶室の障子窓に木々の影が揺れていた。


朝の僅かな時間だけに見られる稀有な景色。それはまるで、優美な自然の影芝居。隙間から溢れる柔らかな光が、華奈の気持ちを自然と落ち着かせてくれる。


「もう、私ったらはしたない」


おぼつかない視界のなか、すぐ傍らで静かに寝息を立てる匠の横顔が映る。先ほどの甘美な夢(願望)を思い出し、華奈の顔は急激に熱くなった。自分の深層意識が、どれほど彼を欲しているかを自覚せずにはいられない。


「……覚えてないでしょうけど。随分前だけどさ。私のファーストキスは、もう貴方に捧げたんだよ」


朝の光に照らされた匠の唇を見つめながら、華奈は、幼馴染という檻の中に閉じめた秘密をぽつりと零すのだった。


「――っ、おはよう……って、ええっ!?」


「おはよ」


「ちょ、ちょちょちょ!?」


爽やかな覚醒と共に、匠は声を上げる前に顔を真っ赤に染めた。それもそのはず、右腕に伝わる柔らかで弾力のある――。


『強烈に気持ちがいい違和感』。


――いや、もはや確信。健全な男子高校生として絶対に口に出せないその部位が、ぴったりと隙間なく密着していたからだ。

匠のパニックをすべて見透かしたように、華奈は悪戯っ子のような笑みを浮かべ、どこか艶然とはにかんだ。


「どう? タクちゃんの知らない間に、Cに成長したんだよ?」


「いや、ほら、こら! もう離れてってば!」


今すぐ飛び起きれば済む話なのだ。だが、あいにく男の朝には不可抗力な『諸事情』というものがあり、直ぐには動けない。華奈がそんな男心をどこまで理解しているのかは判然としないが、焦り狂う匠の姿をクスクスと楽しげに眺めている。

とりあえず、色んな意味で肝を冷やしたことで、ようやく『元気』が治まった匠は、傷だらけのプライドのまま布団から這い出た。


「……顔を洗って、道場に行くわ」


「いってらっしゃい。私もあとから行くね」


一歩先に、大人になっていた。

それが目覚めた匠の率直な感想だ。一晩のうちに、華奈は何かを吹っ切ったような、そんな変化を遂げていた。


(うーん、確かに好きだけど……恋人じゃないんだよな)


自分の気持ちを必死に誤魔化しながら、匠は背中に感じる心地よくも恐ろしい視線を振り払う。まずは寝汗を流すべく厠へと向かい、そして――高鳴る心中を穏やかにするために、道場へと足を向けた。


※※※※※


【母屋・食堂】


「あらあら、今朝はこっ酷くやられたのね」


「ほら、大人しくして。スプレーしてあげるから」


稽古ゆえに本気で打ち込んではこないものの、名手の切先が掠めればそれなりに痛む。引き締まった匠の脇や肩の辺りには、小ぶりの赤い痣が点々と浮かんでいた。鎮痛スプレーを片手にした華奈は、容赦のない手つきでそこへ冷却ガスを吹きつける。


「――ッ!! ……俺のせいではないんだが、理不尽すぎる」


道場に足を踏み入れた瞬間、すでに渋い顔で待ち構えていた狛の傍らには、二振りの木刀が「容赦しない」と言わんばかりに並べられていた。その時点で、匠は察した。これは間違いなく、昨夜の『華奈のお泊まり』に対する直球の報復だと。


『――さて、今朝は居合だ』


狛が最も得意とする居合。苦手意識はないが、これまで一度として勝てた試しがない。


(あの狸親父、これを見越して確信犯でお泊まりを許したな……)


狛としては、娘同然の華奈が鬼龍の推薦枠を何故か《《蹴って》》白郷高校へ、あるいは息子は実力で水蘭へ進んだ寂しさもあり悔しくもあり、なおかつ(誤解はあるものの)匠と寝床を共にして手懐けられたような形になっているのが、とにかく面白くないのだろう。


「軟派な奴」


要はそうレッテルを貼り、荒治療で精神を鍛え直す――それが親父の大義名分なのは明白だった。

だが、匠にしてみればたまったものではない。とはいえ、同じ布団で朝を迎えた事実は覆らず、「無理にでも姉貴の部屋に押し込めばよかった」と冷や汗混じりの反省を抱えながら、静寂の中にただならぬ威圧を感じたまま、木刀を構えるしかなかったのだ――。


――


「あなた、いくら何でも悪戯が過ぎますわよ」


「――ん」


休日の朝の食卓を囲むのは、二人の姉、狛、佳代、華奈、 そして匠の六人。親父は食事の時は決まって寡黙だ。妻の苦言にも生返事で応じ、いつものようにムロ鯵の硬干しを、頭からバリバリと無言で喰らいついている。


長女「お父様ったら、子供っぽいところがあるんだから」

次女「顔が厳ついだけで、要するにツンデレなんでしょ」


一番上の姉は大学四年、次女は一年生。二人とも日体大で猛威を振るう現役の女剣士だ。ちなみに華奈は、手の内を知り尽くした匠とは普段稽古を組めず、この最強のふたりの姉たちと鍛錬を積んでいた。


「んー、まあ、ぶっちゃけ『男の嫉妬』だよね」


「華奈、お前がそれを言うな……!」


「あらあら。夫婦喧嘩は犬も食わないって言うわよ?」


「あー、もう!」


母の佳代まで面白がって参戦してくる。女が四人も集まれば、完全に多勢に無勢。箸を動かす手も、容赦ないお喋りも止まらず、彼女たちはただただこの状況を楽しんでいる。

この忙しない食卓の上座で、黙々と顎を動かす寡黙な親父の気持ちが、匠にはほんの少しだけ分かった気がした。


(外が駄目なら内堀から埋めるってか……いやマジで勘弁してくれ)


華奈がいることで、いつも以上に賑やかな会話の花が咲き乱れる我が家。しかし、一晩を経て色んな意味で居ても立ってもいられない匠は、ガサガサと朝飯を強引に腹に詰め込むと、逃げるように足早に自室へと向かった。


【匠の部屋】


「なあ華奈、この槍を構えてみてよ」


「んっ……一見重そうだけど、芯が吸い付く感じだね」


愛莉から譲り受けたその槍を、華奈へと手渡す。並の男たちが「重い、重い」と愚痴をこぼしていた代物だが、日頃から武を練る華奈は、匠と同じく軽快にその「間合い」を測ってみせた。


「けど、なんだか禍々しいな。違和感しか無いよ」


「それな。俺もそう思った。……一度、祓いにでも出すか」


「じゃあ、まずはその前に清めだね」


埃を被ったその得物は、よく見れば刃の輝きも鈍く、残念なほどに死んでいる。テキパキと雑巾を濡らしてきた華奈は、汚れを拭うのは貴方にお任せ、とばかりに匠へそれを差し出した。


「じゃ、とりあえず掃除したら、油でも引くか」


まずは丹念に(つか)の埃を取り除いていく。ずいぶん風呂に入っていないホームレスの如く、雑巾はみるみるうちに黒ずんでいった。

さすがに二枚目が必要だな、と匠が顔を上げると、華奈は最初の一拭きの時点で察していたのか、「はいどうぞ」とタイミングよく新しい雑巾を差し出してきた。


「ありがとう」


当たり前に礼を言った、その瞬間だった。昨晩からの数々の出来事が、邪念のように脳裏へ追従してくる。言い終えた直後、いつもとは違う妙な恥ずかしさが匠を襲った。

だが、そんな雑念は慌てて思考の片隅へと追いやる。柄の掃除を終え、次は刃の工程だ。油が切れて完全にくすんでいるため、まずは打粉(うちこ)内曇(うちぐもり)砥石の粉をまぶし、慎重に刃に当て、次は磨く作業だ。


コン、コン、と静かに粉を叩いた、その時だった――。


――ひゃぁぁぁ……っ!


「えっ?」


「はっ? ……聞こえたよな、今」


「うん。ひゃーって聞こえたよタクちゃん、間違いないわ……」


脳裏を直接打つ、強烈なメッセージ。それは少女の悲鳴に似た、切実な叫びだった。

見つめ合った二人は、次に成すべきことを直感的に理解し、同時に腰を上げる。


(お祓いなら本牧神社ね)

(確か今日、お焚き上げの刻限のはずだ)


長年を共にした幼馴染だからこそ、目だけで次の行動を予測し合える。華奈は徐にカバーを匠に手渡し、二人は張り詰めた緊迫感を身にまとったまま、静まり返った匠の部屋を後にした。


※※※※※


異変を感じた二人が必死に神社へと駆け出している、まさにその最中。匠が手にする槍の『中』――外界とは隔絶された漆黒の異空間では、当事者たちによる極めて緊張感のない対話が繰り広げられていた。


『どうしよう、どうしよう、ねぇアングィス様、どうしよう』


『なぜあれしきのことで、メアリーは思念を飛ばすのだ。我はくすぐったいのも我慢したぞ』


『だって! 感じるところを突かれたら、声が出ちゃうの!』


『お前は乙女ゆえ、もしや敏感なのか?』


『いやん、神様はエッチね!』


このくだらない会話の状況を補足するならば。

暗闇の中に浮かぶ黒板に、キラキラとしたお嬢様風の愛くるしい瞳(メアリー)と、輩のそれとは違う、しかし確実に人を(ほふ)ってきた者の特有の鋭い眼光(アングィス)が描かれ、それがパタパタと明滅しながら会話している――と想像していただくと、非常に分かりやすい。


そう、外界の二人がどれほど肝を冷やしていようとも、槍の中の住人(?)たちにとっては、打粉を叩かれた衝撃など「ちょっとくすぐったいハプニング」に過ぎなかったのだ。


何も知らずに全力で走る、匠と華奈。

目的地である神社で、彼らを待ち受けるものとは――。

間も無く怪異が現れます

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