予期せぬ嘘が、現実に変わる時。
【夜・ウィラードの自宅】
午後、ウィラードが事情聴取のため執務室に現れ、一通り終えると俺たちを食事に招待したいと言い出した。
話をしたければ彼には立派な執務室がある。なのでわざわざ私的な自宅に招く理由が思い当たらなかった。
「襲撃されここじゃゆっくりと食事など無理だと思う。安全な我が家でゆっくり羽を伸ばしてもらいたい」
何かしらの意図はあるかもしれないと脳裏をよぎるが、単純に息が詰まっていた2人に楽しんでもらいたい趣旨だとわかり、装甲馬車も出すと言われ、彼のまっすぐな善意を無視することもできず、ご相伴に預かることにした。
(……きっと、私を彼の家族──『長男』に引き合わせるためね)
華奈はすぐに勘づく、ウィラードの息子を認識させ、送り出す際の嘘を補完させるためだと。
【夜・ウィラード宅】
「さあ、遠慮せずに召し上がってくれないか、心ばかりのおもてなしだ」
「それでは、遠慮なくいただきます」
訪れたウィラードの家は、絵に描いたような大家族だった。大きなテーブルなのだが、客人である俺たちが座ると少し狭く感じるほどに賑やかだ。
前菜を頂いていると、ほのかに焦げたチーズの香りが漂い始める。
「今、メインのミートグラタンをお持ちしますね」
頃合いを見計らって焼き立てを振る舞うつもりなのだろう。奥様は匂いに気がつくと、徐に席を立ち上がった。
「奥様、私もお手伝いしますね」
「いえいえ、滅相もございません! 華奈様の手を煩わせる訳には……」
「お気になさらず。その方が私も楽しめますから」
焼き上がり間近のグラタンを運ぶため、華奈は自ら進んで奥様と共に席を立った。
エプロンを借りてキッチンへと向かう彼女の後ろ姿を見送りながら、俺も何か手伝えることはないかと立ち上がり、後を追うように食堂の廊下を進む。
──だが、キッチンの入り口に差し掛かった、まさにその時だった。
「……ところで華奈様、頂いたお話しの『あの子』の件ですが──」
「あ、奥様。そのお話は、また後ほど……ね?」
燃え盛る薪をどかしながら、ジュージューと小気味よい音を立てて焼き上がりを知らせるグラタン。
それを慎重にオーブンから取り出している奥様が、妙に親しげな、それでいてどこか秘密めいた声音で、華奈へそんな言葉を投げかけたのだ。
華奈は、パタパタと忙しなく動かす手を一瞬だけ止め、食堂にいる俺のほうをチラリと気にするように視線を走らせると、困ったような、どこか冷淡な微笑を浮かべて話を遮った。
だが、奥様はそんな華奈の態度に優しく微笑みながら、さらに声を潜めて言葉を続ける。
「うふふ、あの子も、華奈様を迎えられることを楽しみにしております」
「……私も、彼のような強くて頼れる方なら、この世界を一緒に歩んでいけると思っていますから」
(伴侶……? 一緒に歩む……?)
扉の陰で二人の密談を盗み聞きしてしまった俺の脳裏に、凄まじい衝撃が走る。
いつの間に、この二人にそんな深い接点があったのだろう。いや、接点どころの話ではない。華奈はこの家の『誰か』と、俺の知らないところで未来の約束を交わしている。
(あの子……? 一体、誰のことなんだ……?)
扉の陰で二人の会話を盗み聞きする形になってしまった俺の胸に、どろりとした腑に落ちない塊が広がっていく。
自分の知らないところで、華奈とウィラードの家族は、すでに何事かを深く共有している──。
だが、その不穏な予感の正体を、今の無力な俺が突き止める術はなかった。
「あ、タクちゃん。わざわざ手伝いに来てくれたの? もう大丈夫、今運ぶところだから席で待ってて?」
キッチンから出てきた華奈は、いつもの、けれどどこか作り物めいた笑顔で俺を食堂へと押し戻す。
その手に握られた、あつあつのグラタン皿から漂う芳醇な香りは、今の俺の鼻には、どうしようもなく苦く感じられたのだった。
「ママ、今日のグラタンは具がいっぱい入っているね」
「ママのグラタンは、やっぱり世界一美味しいよ!」
食卓に戻ると、子供たちが無邪気な声を上げていた。
優しく微笑む奥様、あるいは寡黙な親父──師範の狛とは違い、積極的に家族の団欒に花を咲かせるウィラード。すべてが、あまりにも仲睦まじい。
「わぁ、このミートグラタンお肉がいっぱい入って美味しいわ! 奥様、本当にお上手ですね!」
「うふふ、華奈様ありがとうございます」
「これはな、我が家の自慢料理なんだぞ、筋肉付けるにはこの肉が重要だからな!」
嬉しそうに話に加わるウィラードを見ていると、思わず正反対な狛の姿が脳裏をよぎってしまう。
四角四面で真面目なところは同じだが、人間としての根本的な温かさの違いを感じていた。
(ああ、団欒って……心が休まるな──)
この世界に来てからというもの、殺伐とした事ばかりだった。
久しぶりに肌で感じた暖かな触れ合いは、華奈と俺のすり減った心をじわじわと癒していく。
──だが、一度はリセットされかけたはずの穏やかな心に、さっきの会話がふわりと蘇る。
(……いや、やっぱり気になる。あの子って、誰なんだ……?)
賑やかな笑い声に包まれながらも、心の奥底でモヤモヤとした冷たい感覚が、確実に湧き上がっていく。
もちろん、この和やかな席で問い詰めることなどできるはずもない。
俺は必死にいつもの表情を取り繕いながら、華奈に気づかれないよう、胸の内でそっと機会を伺うことにしたのだった。
ーー
「奥様の手料理、本当に美味しかったです。ごちそうさまでした」
「ありがとう。後で妻に伝えておくよ」
食後のデザートを平らげ、今は応接間に移りお茶をいただいている。
ここからが、きっと本番だ。何はともあれ、お茶を一口すすったところで――三人ともほぼ同時に、目が座った。
「無音に沈め。静寂の幕――【サイレント・フィールド】」
ウィラードが短く呟くと、周囲の雑音が完璧に遮断された。
先ほどまでの温かい家族の気配が嘘のように消え去り、冷徹な軍人の顔に戻ったウィラードが、匠を真っ直ぐに見据える。
「前置きは抜きだ。匠殿……単刀直入に言う。明日の朝、魔人族との休戦協定の交渉が行われる。君には、華奈殿の従者としてその場に同行してもらう」
「俺が……ですか?」
匠が眉をひそめる。レベル1.0の自分を、わざわざ魔族との重要な交渉の席に連れていく理由が見当たらない。
内心を知ってか知らずしてか゚ウィラードは静かに首を振った。
「いま、君の暗殺計画が水面下で完全に固まった」
「えっ?」
「もはや貴族の動きは止められん。華奈殿と離れた途端『事故』として処理されるだろう」
「っ……!」
匠の隣で、華奈の身体がびくりと強張る。
今朝、修練場で華奈が心を閉ざし、決意した最悪の未来が、まさに現実のカウントダウンとして突きつけられたのだ。
(私が裏切り者になって、タクちゃんを突き放す。その舞台は、明日──)
華奈はじっと拳を握りしめ、俯いている。彼女の瞳には、すでに悲壮な決意が宿っていた。
「分かりました。ウィラード団長。明日、同行します」
匠の静かな返答が、静寂の結界のなかに響いた。
【フィルモア城・客間】
ウィラードの自宅から装甲馬車で城へと送り届けられ、客間に戻った直後のことだった。
道中、護衛としてウィラードが同行したため、ずっと押し黙っていた匠は、意を決して、寝室へと向かおうとする華奈の細い腕を掴んだ。
「……あのさ、盗み聞きして悪いんだけど。キッチンで奥様と話してた『あの子』って、一体誰のことだよ」
ずっと胸の奥でどろりと燻っていた疑問を、ストレートにぶつける。
「伴侶」、「一緒に歩む」、「我が家に来てくれて嬉しい」──あの時耳にした不穏な言葉の数々が、匠の心を焦燥感で満たしていた。
尋ねられた華奈の背中が、一瞬だけピクリと硬直する。
だが、ゆっくりと振り返った彼女の顔からは、先ほどまで食卓で見せていたような温かい笑みは、完全に消え失せていた。
「──明日になれば、全てが分かるわ」
ゾッとするほど冷たい表情に変化した華奈は、匠の視線を真っ向から拒絶するように目を細める。
「私にだって、色々と言えない隠し事くらいあるの。その時が来たら話すから、今はもう放して」
冷淡な声音と共に、華奈は匠の手を強く振り解いた。
掴んでいた手のひらに、拒絶の冷たさだけが寂しく残る。
華奈はそのまま一度も振り返ることなく、自分の寝室へと逃げ込むように消えていき、パタンと冷たい音を立てて扉が閉まった。
「華奈……」
ぽつんとリビングに取り残された匠は、静まり返った室内で、ただ自らの無力な拳を強く握りしめることしかできなかった。
明日になれば、華奈は自分の手の届かない場所へ行ってしまう――。
根拠など何一つない。それでも、その不吉な予感だけが胸から離れなかった。




