匠。
本編に入る前の人物紹介に近いお話です。
【翌日・水蘭高校】
入学式翌日のスケジュールは、身体検査にオリエンテーションと、退屈な行事の詰め合わせだった。学業が本格始動するのは週明けからになる。ようやく解放された新入生たちは、最後に部活動紹介を見学しつつ下校するのがこの学校の習わしだ。
「ここからは運動系の部活だ。身体を動かすのが好きな奴は見て帰ってくれ」
上下ジャージ姿の、絵に描いたような体育顧問のオッサンが雑に前方を指差す。
正門へと続く道の両脇には、部活名が示された幟が林立していた。演劇などの屋内系はすでに校舎内で説明を終えており、運動系は帰りながら適当に決めろ、ということらしい。オッサンは義務を果たしたと言わんばかりに、さっさとどこかへ消えていった。
「全国大会常連のサッカー部に入部しませんか〜」
「甲子園出場経験のある野球部にぜひ入部してくださーい」
この学校――水蘭高校は野球とサッカーに並々ならぬ力を入れている。そのため部員数も多く、勧誘にかける熱量は半端ではない。すでにお目当ての新入生を囲んで人だかりができるほどの盛況ぶりだ。有名校のレギュラーの座を掴み、あわよくばプロへの道を――。そんな野望を抱く新入生たちが、やる気に満ちた瞳を輝かせていた。
「女子にモテたきゃバスケっしょ! 入りな入りな!」
人気種目に人が群がるのは世の常だが、実績が伴わなければ話は別だ。バスケ部は決して部員不足ではないものの、地区大会での成績が振るわない。そのため、「女にモテる」という最強の謳い文句を武器に必死の勧誘を行っている。
「うちのテニス部のユニフォーム、可愛いって評判ですよ〜」
一方、成績に関係なく個人技が映えるテニスの人気は不動だった。矢面に立って声を張り上げるショートカットの女子生徒は、この部のエースらしい。日焼けした引き締まった肌に、真っ白なユニフォームが実によく映えていた。
「球技はモテるから魅力的だけど……仕方ない、親父の顔を立てるか」
それぞれの思惑が交錯する喧騒の中、匠は一歩引いたところを品定めするように歩いていた。
運動神経抜群の彼がもし球技を選べば、たちまち結果を出し主役になって女子から黄色い歓声を浴びることは間違いない。そんな輝かしい部活生活に未練を残しつつも、匠は必死の勧誘を横目に、断腸の思いで剣道部へと足を向けた。
「文武両道を目指すのであれば、剣道がお勧めですよー」
剣道部もご多分に漏れず、看板娘を表に立たせていた。これまたショートカットのよく似合う、愛嬌のある可愛らしい女の子が声を張り上げている。彼女自身、それなりに名の知れた剣士ということもあって、その周囲にはすでに女子生徒を中心とした人だかりができていた。
「あの子、確か中学の地区大会で優勝した山神愛莉だよな」
地方大会とはいえ、そこで頂点に立った実力者だ。面識はなくとも、剣道に関わる者なら顔と名前くらいチェックしていて当然だろう。
だが、それは逆もまた然りだった。佇む匠の姿を捉えた瞬間、愛莉の瞳に、ひときわ強烈な羨望の光が宿る。
「――君は、あの出雲匠くんだよね!? もちろん、剣道部に入ってくれるんだよねっ!」
中学時代、怒涛の勢いで全国大会三連覇を成し遂げた『剣道の申し子』
その頂を極めようとする者で、出雲匠の名を知らない者など存在しない。まるで伝説の宝物を見つけたかのように顔を輝かせる愛莉。彼女のその言葉が呼び水となり、その場にいた部員たちが色めき立った。
『全国制覇』
常人では絶対に成し得ない果てしない夢が、いま目の前の男によって現実味を帯びる――そう確信した彼らは、一斉に目を輝かせて匠の周囲を取り囲んだ。
「おおっ、噂の即《》《《キ》》の匠くんじゃないですか!」
「おい、エロい略し方で呼ぶな! 俺は『神速の匠』だ!」
脱兎の如く勝ち上がる匠は、ベスト8にたどり着くまで全ての試合を三十秒以内に瞬殺してきた。その圧倒的な速さゆえについた不名誉な二つ名、それが『即イキの匠』である。
本人は父親譲りの『神速』を自称しているのだが、男子の悪ノリとは恐ろしいもの。より面白い響きへと面白おかしく改変されてしまうのは、悲しいかな世の常だった。
「ごめんごめん! うちの男子は馬鹿ばっかりだから許してよ。――それで、やっぱり入部してくれるよね?」
桁外れな実力を知る者にとって、出雲匠は喉から手が出るほど欲しい逸材だ。おまけにこのビジュアル推し。彼を広告塔として部の看板に据えれば、女子部員が激増すること間違いなし――愛莉の脳内にはそんな確信があった。
期待に満ちた瞳でジッと見つめてくる愛莉。だが、その瞳の奥に透けて見える「広告塔としてのコスパは最高」「女子部員絶対ゲット!」という強欲なメッセージを、匠の鋭い勘が見逃すはずもなかった。匠は露骨に渋い顔を浮かべ、じりりと一歩後ろへ下がる。
「ま、待ってよ、匠くん!」
「悪いけどさ。俺、高校では一旦、剣から離れようかと思ってるんだよね」
普通に入部すれば、一年生にして間違いなく部内最強。全国制覇はともかく、確実な実績を残すのは明白だった。しかし、初日から浴びせられる有り余るほどの羨望の眼差しに、匠は早くも嫌気がさしてしまったらしい。
母との約束などどこへやら。今日の匠は、自らの自由のために、先ほどの信念をあっさりと覆すのだった。
「あなたほどの実力者が入部しないなんて嘘でしょ……!? 嘘だと言ってよ!」
「――まあ、鍛錬そのものを止めるつもりは無い。色々あってさ、剣道部に籍を置くだけ《》なら、考えても良いけど?」
全国制覇を成し遂げたレジェンドからの、まさかすぎる回答。愛莉は信じられないと言わんばかりに目を丸くし、呆然と立ち尽くす。
一度は断ったものの、さすがに母親との約束を完全に破るわけにはいかない。そう考えた匠は、入部こそすれど最低限の活動しか行わないという、彼なりの妥協案を提示してみたのだ。
「とりあえず、それでもいい! ほら、これあげるからとにかく入って!」
(とりあえず籍さえ置かせてしまえば、あとはいくらでも外堀を埋めていける――!)
10代とは思えない腹黒い算段が働いたのか、勧誘に必死な愛莉は、剣道部のシンボルとして竹刀と共に厳重に陳列されていた『一本の槍』を、これみよがしにもったいぶるような手つきで匠に手渡すのだった。
「槍は扱えるには扱えるけどさ……。いや待て、これ凄く手に馴染むな」
手渡されたのは、長めの穂を持つ『千鳥十文字槍』だった。
燻銀色の鈍い輝きを放つ柄は、日本の伝統的な木製の槍とは一味違う重厚感がある。とりあえず構えてみると、その重量を全く感じさせないどころか、バランスが最高だった。
手に伝わるのは、まるで意志を持つ生き物のような感触。「もっと振ってくれ」と語りかけてくるかのようだ。
「ええっ!? それ信じられないくらい重いんだよ!? 匠くんって、顔が良いだけの残念脳筋なの!?」
「おい、なんてこと言うんだ。やっぱ入部やめまーす」
ただの棒切れのように難なく槍を振り回す姿に、愛莉は驚愕の表情を浮かべる。
それは男子の上級生ですら持て余す業物らしく、周囲の男子部員も完全にドン引きしていた。残念脳筋と言われて怒った匠は、ジト目になりつつ愛莉に槍を突き戻す。
「ひゃーっ! ごめんね、ごめんなさい! これ、お土産に持って帰っていいから!(汗)」
「仕方ない。じゃあ、頂いていくわ」
重すぎて誰も扱えない代物に手を焼いていたのが丸わかりだ。
ぺコンペコンとお辞儀をして詫びる愛莉を横目に、匠がスラスラと入部届にサインをすると、彼女は途端に満面の笑みを浮かべた。
なんだかんだで、この厨二病的なデザインの槍にどことなく惹かれてしまった匠は、カバーを貰い受けると、静かに帰路に就くのだった。
※※※※※
【極鋭館と母屋】
極鋭館の威容と地続きに構えられた、出雲家の母屋。白漆喰の壁と焼杉板の組み合わせは、重厚な日本建築の伝統を現代に伝えている。敷石が整然と敷き詰められた広大な庭は、職人たちの精緻な技によって、静寂を湛えた極上の日本式庭園へと昇華されていた。
【庭の離れ・匠の部屋】
その庭園の奥深く、木々の合間に佇む数寄屋造りの茶室。
元々は一線を退いた武命が茶を点てるために築いた風流な空間だったが、年月の経過とともに使われなくなっていった。独自の個室を熱望していた匠がそこに目を付け、内装の意匠を一切崩さないことを条件に武命から使用許可を取り付け、今では匠だけの特等席となっている。
「はぁ、今日は色々疲れたわ」
自室に戻るなり、背の低い椅子へだらりと腰掛けた匠は、入部を巡る一悶着のせいで少々お疲れのご様子だった。
「お邪魔しまーす。お疲れならお茶淹れるね~」
一緒に帰ってきた華奈は、長年の習慣通りに部屋へと上がり込み、熟練の侍女のように手際よく茶器を並べ、洋風コタツを模したテーブルの上で急須を回す。
「華奈、お前の学校のモブはどうにかならんのか。待ち合わせるたびに殺気が凄すぎるよ」
「ふふ、タクちゃんのおかげで、変な虫が付かないから本当に感謝してまーす(笑)」
入学初日に匠と下校したことで、「あの美少女には水蘭のイケメン彼氏がいる」という噂は瞬く間に白郷高校を駆け巡り、アプローチを狙っていた男たちの心を折るには十分すぎる防壁だ。しかし、その陰で、待ち合わせの度に呪いの呪文のような恨み節と、行き場のない殺気に晒され続けている匠の心労は計り知れなかった。
「お前さ、性格はアレだけど見た目は良いんだから、彼氏の一人くらい作ればいいじゃん」
資産家のお嬢様である華奈は、厳格な淑女教育の影響で行儀が良く、初見の者には慈愛に満ちたお淑やかな少女に映る。
しかし実際の彼女は、並外れて負けん気が強く、竹を割ったように潔い気性の持ち主だ。それを一言で例えるなら・・。
『美少女姫騎士』
生半可な男では、彼女の隣に立つことすら力不足なのは明白だった。まぁ腕力も男並みなので取り扱いには最新の注意が必要だ(笑
「ないない。あらゆる面で、タクちゃん以上の男の人なら考えても良いかな(笑)」
悪戯っぽく微笑む華奈だったが、その言葉の節々には、確かな想いが乗せられている。
物静かで冷静沈着、瞬時に物事の本質を捉える知性を持ちながら、内には熱血漢の魂を秘める匠。客観的に見れば、二人の相性はこれ以上なく抜群だった。しかし、匠の側には未だ恋愛感情らしきものは見受けられず、華奈の一途な好意は幼馴染という関係性に閉ざされたままだった。
「見た目と違って華奈は脳筋だからな。となれば、相手は年上確定じゃね?」
「まぁ、必然的にそうなるかな」
本当の気持ちを気付かせないよう、どこまでも明るく振る舞う華奈。
彼女の胸に、この消えない灯火が宿ったのは――去年の夏の夜に起きた、ある事件がきっかけだった。
次は華奈のお話になります。




