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とある道場と普通の高校生。

主人公の背景を緻密に描いて見た。

 早春とはいえ、明け方近くは深々とした寒さが周りを取り囲む。港町本牧の埋め立てが進み、お茶の間がプロレスの熱気に包まれていた昭和の時代。開発地を一望する小高い丘に、和装に身を包んだ男の姿があった。さすがに帯に剣は携えていないが、しかし、微動だにせず腕を組んで佇むその風貌には、幕末の時代を抜け出してきた浪人のような、鋭い剣気が漂っていた。


「爺さん、この地であんたの夢を叶える事にしたよ」


幕末に藩士の指南役を務めた祖父の遺言──「出雲無双流を絶対に絶やすな」。

その想いを繋ぐべく父が引き継いだ島根の道場は、まだ多くの門下生で賑わったものの、時代の波には勝てず、流派は衰退の一途を辿ってしまう。この窮地を脱し、新たな顧客を開拓するため、息子の出雲武命(たける)は、この横浜の新天地へとやってきたのだった。


※ ※ ※ ※ ※


【出雲無双流・極鋭館】


長い、長すぎる。本当に長い冬の時代だった。


武命(たける)のおかげで、俺の苦労がやっと実ったよ」


「親父殿。極鋭館はもう私に任せて、どうかゆっくり休んでください」


横浜本牧に道場を構えた当初、周囲の目は冷ややかだった。

「外国人相手の野暮な剣術」と揶揄ゆゆされ、門下生も中々集まらない。出雲無双流・極鋭館は、まさに薄氷を踏むような苦難の連続のなかで、かろうじて息を繋いでいる状態だった。


だが、その窮地を救ったのは、父の背中を見て育ち、すべての剣技を受け継いだ息子の(こま)だ。


世界中の強豪が集う『全世界剣術トーナメント』──。

そこで狛が放ったのは、人知を超えた圧倒的な速度を誇る、至高の一撃。


──『出雲流神速剣』。


彼が世界王者の座を掴み取ると、極鋭館の名は瞬く間に天下へと広まり、かつての衰退が嘘のような黄金期が幕を開けた。


※※※※※※


母親の胎内から取り出された羊水まみれの赤子は、初めて触れる冷たい空気に戸惑いながらも、生きるための産声を必死に上げた。

少し疲れた表情を見せる母親は、生まれてきたばかりの我が子を優しく抱きかかえ、愛おしそうに破顔する。


「あなた、見てください……。ちゃんと、男の子を産みましたわよ」


「おお我が妻よ、本当によくやってくれた、ありがとう。心から礼を言わせてもらう」


大柄な体を震わせ、感極まった声を上げたのは、二代目館長・出雲(こま)だ。

初代武命を凌ぐ『剣聖』と称される彼だったが、今だけは、ただの不器用な父親の姿を隠そうともしなかった。


「名は──(たくみ)だ。この子はきっとお前に似て、見事な美男子になるぞ」


「まぁ、それは嬉しい限りですわ」


妻の佳代はアメリカ人の父親を持つハーフで、深い黒髪とシルバーグレイの瞳を兼ね備えた、日本人離れした美貌の持ち主。彼女の因子を受け継ぐのなら、この子は間違いなく誰もが振り返る美男子に育つはずだった。


極鋭館を存続させるための、待望の後継者──匠。

四角四面の頑固親父である狛は、未来を担う我が子をその逞しい腕に抱きしめ、人前では決して見せない優しい笑顔をこぼしていた。


※※※※※※


──十五年の歳月は、その赤子を恐るべき『剣』へと変えていた。


道場に呼び出された匠の姿は、もはや少年の域を脱している。身長は百七十センチを優に超え、無駄な脂肪を完全に削ぎ落とした肉体は、細身ながらも鋼のようなしなやかさを宿していた。

母・佳代の血を色濃く継いだシルバーグレイの瞳と、彫りの深い端正な美貌は、道場に立つだけで周囲の空気をピリリと凍らせる。その佇まいは、まさに次代の『剣聖』に相応しかった。


「お前には将来、この道場を継いでもらう。まずは剣術の名門を目指せ」


眉間に深い皺を刻んだ狛が、重々しく宣告した。

初代武命が築き、自身が世界に轟かせた極鋭館の看板。その跡取りとして、匠はこれ以上ない最高の逸材だった。


「ああ、元からそのつもりだ」


父の期待に応えるべく、匠は幼少から己を過酷に追い込み、今や剣道全国大会優勝という絶対的な実績まで手に入れていた。


「今の時代、商売をするなら大卒は当たり前だ。剣術だけでは、道場は守れん」


狛は、自らの『後悔』を匠に重ねていた。

高校中退という自身の学歴が、道場運営の局面でどれほど足を引っ張ったか。経済学を知らぬ者が、どうして門下生の人生を背負えるのか。

最低でも日東駒専レベルの大学。それが、父親として、そして師としての厳命だった。


だが。手元の木刀を見つめる匠の双眸には、父の計画とは異なる、静かな熱が宿っていた。


「──親父には悪いが、一旦、剣術の道から離れようと考えている。学生の間くらいは、違う世界を見てみたいんだ」


物心ついたときからすべてを剣に捧げ、並外れた腕前を持つ匠だったが、本音を言えば過酷な練習漬けの毎日にすっかり嫌気がさしていた。

高校生活くらいは自由気ままに謳歌したい。要するに、華麗なる『高校デビュー』を果たしたいのだ。

十五歳の少年ならば、彼女を作りたい、お洒落を楽しみたいと願うのは当然の権利。だが、二代目館長たる狛は、息子が色気づいて伸ばし始めた髪形から、その軟弱な野望をとうに察知していた。


「自由に遊びたければ、鬼龍より上の高校に入りさえすれば許す。ただし、日々の鍛錬だけは忘れるな」


「えっ……鬼龍の偏差値って五十九超えだろ!? それだって親父のコネじゃねえか!」


現時点での匠の偏差値は五十一、二。ごく平凡な頭脳の持ち主が、残りわずか半年で偏差値六十超えの進学校を狙うなど、冷静に考えて無理ゲーだった。狛はそれを百も承知の上で、極上の意地悪な条件を突きつけているのだ。


だが、出雲無双流の血は、こんな理不尽で折れるほど安っぽくはない。

匠の胸に湧き上がった反骨の怒りは、即座に合格への凄まじい闘志へと変換され、その全身から目に見えんばかりのオーラが吹き荒れた。


(──決めたぞ。俺は自分の自由を、この手でむしり取ってやる……!)


不純すぎる欲望を叶えるため、自ら最強のやる気スイッチを入れた匠。

この日から、若き天才剣士による、地獄の猛勉強の日々が幕を開けるのだった。


※※※※※※


【数ヶ月後・水蘭高校入学式】


「フフフ……ついにやったぞ。これからの三年間、俺はバラ色の学園生活に没頭するんだ!」


春の陽光を浴び、満開の桜の下を大股で闊歩しながら、匠は心の中で勝利の雄叫びを上げていた。

地獄の受験勉強に明け暮れた半年間。寝る間を惜しんで机にかじりついた執念が実を結び、見事、県内屈指の名門・水蘭高校の門をくぐる切符を手にしたのだ。今日の匠は心の底から喜び、まもなく始まる薔薇色の学園生活に期待を膨らませて、鼻息が荒い。


「少しくらいは遊んでもいいけど……お父さんのメンツもあるんだから、部活はちゃんと剣道を選んでちょうだいね」


そんな息子の野望を、鈴の鳴るような声が優しく打ち砕いた。

浮き足立つ匠を軽やかにいなすのは、母の佳代だ。あの頑固一徹を絵に描いたような親父に、なぜこれほどの美人が寄り添っているのか、匠には到底理解できない。とはいえ、溢れる慈愛で文武ともに献身的に自分を支えてくれた母親にだけは、どうしても頭が上がらなかった。


「……まったく、母さんには敵わないな」


苦笑いをもらした匠は、降参だと言わんばかりに肩をすくめ、前を歩く母の横顔に視線を戻した。


ーー


【夕方・横浜駅西口】


横浜駅西口の近くにある『niigo広場』は、白郷高校の生徒たちで埋め尽くされていた。入学式当日ということも相まって、帰り道が近いクラスメイト同士が、友達探しを兼ねて集まっているのだ。


「なぁ、あのボブカットの子、桁違いに可愛くないか?」


「ああ……凄い、あれは群を抜いてるな」


賑わう女子生徒たちの中で、一際まばゆいオーラを放つ少女がいた。

チェックのスカートに紺色のブレザーを羽織り、小顔に映える愛くるしい瞳と、絶妙な長さのボブカットがこれ以上ないほどよく似合っている。彼女が時折見せる屈託のない笑顔の破壊力は抜群で、男子たちのハートをまたたく間に撃ち抜いていった。


「あの美人さん、確か八雲華奈ちゃんって言うんだっけ。早くお近づきになりたいな……」


入学式早々、「とんでもないお嬢様が現れた」と学校中で噂になっていた彼女の名は、八雲華奈。

白郷高校の制服は特にスカートが可愛いと評判で、入学早々にミニスカへとアレンジするのが女子の鉄則であり、男子の目当てでもあった。しかし、華奈にとってそんな流行はどうでもいいらしい。ひざ丈ほどに整えられた、至って普通の長さ。だが、それが逆に彼女の健全な慎ましさを引き立てる形となり、結果としてその人気にさらなる追い打ちをかけていた。


「あの子はさすがに高嶺の花すぎ。俺らじゃ無理だって。それより、あっちのロングの子に声かけようぜ」


少しでも女子と仲良くなりたい男子(モブ)たちは、互いを牽制しながらゾロゾロと彼女の後を追い回す。その中心にいる華奈は、やはり別格の注目を集めていた。


「このボーナタイムは最初の数日だけだぞ。誰も行かないなら、俺があの子に声を掛ける!」


「あ、ずるい! 俺も行く! せめてお友達、いや……やっぱライン交換!」


互いのことを何も知らない入学直後は、最も警戒心のハードルが低く、簡単にアプローチできる『奇跡の数日』と言われている。己のスペックはさておき、集まった烏合(モブ)の衆は、お手軽に仲良くなって薔薇色の学園生活を送る妄想に胸を膨らませていた。


しかし――。

間もなく彼女が、最愛の響きを込めて呼ぶ『名』(愛称)によって、男たちの”あおはる”の夢が無慈悲に打ち砕かれることを、彼らはまだ知らない。


「あっ、タクちゃん来た! ねぇ、タクちゃ〜ん、一緒に帰ろうっ!」


大きく手を振り、ぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねる。その屈託のない笑顔は、嫌でも周囲の注目をかっさらっていった。

甘く艶のあるトーンで連呼される異性の愛称。二人が特別な関係であると理解するのは容易く、周囲の男子(モブ)たちはパラライズ(硬直)の魔法をかけられたように、一瞬でその場に凍りついた。


「なんだよ……もう既に彼氏持ちかよ、ちくしょう……!」


「おまけに高身長イケメンって、わかっちゃいるけど神様不公平すぎだろ(号泣)」


特別な愛称、そして自分たちとは違う制服。それが中学時代からの深い繋がりを意味していることは、誰の目にも明らかだった。さらに、高い背にハーフを思わせる整った顔立ちを拝まされては、脳裏に『完全敗北』の四文字がよぎり、一気に奈落の底へと突き落とされる。

だが、モブたちの受難はこれだけでは終わらない。格差という名の容赦のない追撃が、さらなる屈辱となって彼らを襲う。


「おい、見ろよあいつの制服……嘘だろ、超進学校の、あの水蘭高校だぞ(汗)」


言っちゃ悪いが、偏差値がギリギリ50の白郷高校と、学力階層(スクールカースト)最上位の水蘭高校とでは、文字通り天と地ほどの差がある。その襟のエンブレムを網膜が視認した瞬間、声を出すよりも早く脳内を激しく揺さぶられ、彼らは二度目の敗北を味わうことになった。

完膚なきまでに打ちのめされた男子(モブ)たちは、心の中で恨み節を炸裂させ、無力な自分自身を慰めるのが精一杯だった。


「爆発して死にやがれ……」


「トラックに轢かれて地獄へ堕ちてくれ!」


「通り魔さんお願い、サクッと異世界に送ってえええ!」


もはやただの八つ当たりだが、烏合(モブ)の衆が逆立ちしたところで、匠という絶対的強者には敵わない。そんな殺伐とした空気に、さらに拍車をかける現象が起きてしまう。


「キャー! 華奈のお知り合いの方ですか!? 失礼ですけどお名前は?」


「もしかしてもしかして~、華奈ちゃんの彼氏さんですかぁ!?」


あろうことか多くの女子たちが、黄色い歓声を上げながら匠の周りを取り囲み、興味津々に質問攻めを始めてしまったのだ。高学歴、高身長、超イケメン。誰しもがお近づきになりたいと目を輝かせるのは、悲しいかなこれが世の常だ。


(うわ、モブの殺気がガチすぎる。おまけに軽い女ばっかだな……。おい華奈、後で覚えてろよ)


迫り来る女子たちの猛勢は留まることを知らない。取り囲まれた匠は、ぐいぐい迫る女子たちに少しの苛立ちと気恥ずかしさを覚え、同時に男子生徒からの異様なまでの嫉妬の視線による波状攻撃に耐えかねて、居ても立ってもいられなくなる。


現状を打破しようと、匠は無言で人混みをかき分け、驚く華奈の前に回り込むと、その小さな手を男らしく引っ張り、駅の改札へと向かって足早に歩き始めた。


「高校に入ったんだからひとりで帰れよ華奈。まったくもう、仕方ない奴だな」


「そんなこと言わないの! タクちゃん、中学の時と同じようにふたりで帰ろうよ~」


呆れ顔の匠の隣で、華奈が甘えるように微笑む。

物心ついたときからの幼馴染であり、自分にとっては妹のような存在だ。とはいえ、小学校の頃からの慣習で、二人の手は自然と繋がれている。今の状況を他人が見れば、どうあがいても仲睦まじい恋人同士にしか見えないだろう。


「ああんもう、ごちそうさま♡」


それを最高の惚気(ごちそう)と受け取った女子生徒たちからは生温かい視線を送られ、逆に彼氏だと確信した男子生徒たちからは、本日出力最大の痛烈な殺気を浴びせられる。

匠はそんな視線の嵐に晒されながら、逃げるように地下鉄のホームへと足早に急いだのだった。

少し読み進めると、話が急展開すること間違いなし!

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