第九十五話
ノルトとクインクトはソファの横に置いている角椅子に腰を落ち着けた。日頃は食事時にエミリーやオリエが座る椅子だ。
『姫様、お連れの方を紹介して戴けるでしょうか?』
知人が見知らぬ人を連れていれば、その正体が気になるものだ。ノルトも例外に含まれない。ただ、気になったままで終わらせるか追及するかは当事者と時と場合による。今のノルトにとっては「場合」の比重が極めて高くなっている。来る筈のない人が、来る筈のない場所に現れたのだから。
『この方はシーリス様とおっしゃいまして……』
サーシャは途中で言葉を詰まらせた。シーリスとの出会いを正直に話してしまえば、いくらノルトでも怒り出すだろう。女二人旅の危険性は解っていたつもりだったが、悪意は想像を超えて押し込んで来てしまった。シーリスに見つけて貰えていなければ少なくとも貞操を喪い、命までも失っていたかも知れない。知らず俯いて沈黙する。
『姫様?』
ノルトは俯いたままのサーシャに怪訝な瞳を向ける。
紹介途中で放り出された格好のシーリスは小さく溜め息を吐いてサーシャを見やる。彼女の躊躇いが判らないでもない。無謀とも言えることをした相手が大切ならきっと心配し、叱るだろう。終わったことを心配しても意味は無いのに心配してしまう。彼女としてそんな無意味な心配をされることも、叱られることも避けたいに違いない。しかし、もっと怖れ、避けたいのはそんな態度をノルトが少しも見せない場合か。危険を押して捜した相手から何とも思われていないと感じれば、酷く傷付いてしまう。だからと言って、このまま黙ったままでいられるものでもない。
「見たら判ると思うけど、彼女は褒められたものじゃないわね。できれば、あまり叱らないであげて欲しいけど」
「それはどう言う……」
ノルトはいきなりの言葉に戸惑った。サーシャは叱らなければならないようなことをしたのかと。そして気付く。サーシャを叱るべき人物、彼女の元々の護衛、ドレッドがここに居ないことを。ここに居るのはどうしてドレッドではなくシーリスなのか。シーリスがドレッドより強いらしいことは判る。クインクトの評価ではそれぞれがドレッドに勝てなくても負けないだろうエミリー達が端から逃げを選択し、敵ではないと判ったらあからさまにホッとした表情を見せたのだ。それでも、そんな相手であってもドレッドが容易くサーシャの護衛を他人に委ねるとは思えない。そうなるためには決定的な何かが必要だ。
「いえ、貴女がそう仰るならそうしますが、それよりドレッドさんはどうされたのですか?」
「ドレッド?」
シーリスは誰のことだったかと、小首を傾げる。思い至ったのは、ややあってからのことだ。シーリスの印象としては、旅立った後に話で聞いたドレッドの人柄やノルトとの確執についてよりも自らの目で見た印象の方が強い。
「あー、あの純情騎士のことね」
「純情?」
ノルトの問い直す語尾は殆ど裏返っていた。シーリスの見解がノルトのそれから大きく外れていたためだ。ノルトから見たドレッドは腕力にものを言わせる、ただ傲慢なだけの人物である。
しかし、クインクトの認識はノルトとはまた違っているようだ。
「純情ねぇ。そう見えなくもないな」
「クインクトもそう思うんですか!?」
「姫さんだって好き勝手ふらふらできる立場でもないのに黙って見ているだけだからな」
「そう言われれば、そうですが……」
「あら? 違ったのかしら?」
シーリスは目を瞬かせる。
「だけど、誰でも一緒ね。この娘の連れはマリアンだけだから。他にはわたしの連れが二人だけよ」
「そうなんですか……。何があったんでしょう?」
「わたしも詳しく聞いた訳じゃないから、気になるならこの娘に直接聞いてね」
「はあ……」
気にならないと言えば嘘になるが、ドレッドのことを根掘り葉掘り聞く気にもならないノルトである。
一方、サーシャはシーリス達の会話に懊悩よりも疑問が勝ったらしい。
『シーリス様もノルトも先程から何を話しているのですか?』
「え? あ……」
シーリスは「聞こえていなかったのだろうか」と疑問を覚えたが、直後に理由に思い至り、少々バツが悪そうにする。ここに来て最初に話して通じたのがログリア語――この時代で言うナペーラ語――だったため、話し易い母国語であるログリア語をうっかり使ってしまったのだ。
『姫様はナペーラ語を話せなかったのでしたね……』
ノルト自身は古ログリア語を解読するために酷似するナペーラ語を学び、クインクトもそのノルトに付き合う形で学んでいた上、ここ暫く使っていたのがナペーラ語ばかりだったことから、シーリスの言葉に疑問を覚えなかった。
しかしサーシャにはナペーラ語もシーリスのログリア語も解らないので違和感しか無かったのだ。
そしてもう一人が溜め息を吐く。
「なあ、どこの言葉かしらねぇが、そっちの嬢ちゃんの言葉があたしには解らねぇんだ。旦那はそっちの嬢ちゃんと話をするんだろうから、あたしは席を外すぜ」
言葉が解らないのに聞いていても無駄だと、エミリーは立ち上がり、つかつかとキッチンの方へ行く。その途中、ソファーを指しながらノルトとクインクトに言う。
「そっちに座んなよ」
「すいません」
「気にすんな」
しかし、何を話しているか解らないサーシャは気にした。
『あ、あの、何かあの方の気を悪くしてしまったのでしょうか?』
『いえ、彼女はライナーダ語が話せないので、ボクと姫様が話している間が退屈なようです』
ノルトは何でもないように答えたが、サーシャの気は晴れない。頻りにエミリーの様子を覗う。その様子を見るノルトは別のことで頭を悩ませる。
『姫様とエミリーさん達が直接話ができないのは由々しき問題ですね……』
『多少の不便は甘受すべかりし』
『そうでしょうか?』
『まるで通じぬでなし』
通訳できる人が居るのだから、全く意思疎通できないものではない。
『それもそうですね。彼に比べれば……』
ノルトが思い浮かべたのはログリア帝国の宮廷魔法士ヘライトスが遺した記録にある少年だ。この世界に召喚された少年は、この世界の言葉を憶えるまで誰一人言葉を交わせる人が居なかったのだ。
そんな取り留めもない話をしている間にエミリーがお茶を入れて戻って来た。「お茶だ」と言いながら四人分のお茶をテーブルに置き、自分の分のお茶を持って椅子に座る。
『ありがとうございます』
「お、おう」
サーシャが晴れやかな微笑みと共に返した感謝の言葉は、何となくエミリーにも伝わったらしい。
『そうだ』
お茶を一口飲んだ瞬間、サーシャは閃いた。
『シーリス様、もうお昼ですし、お近づきの印に皆さんをシーリス様のゴンドラに招待しても宜しいでしょうか?』
友好を深めるには一緒に食事をするのが良いのでは、と言う。何も狭い場所で空腹を抱えて話し合わなければならないようなものでもないのだ。問われたシーリスにも特に異論は無い。
『構わぬ』
『そう言うことですから、ノルト、お話は昼食をご一緒してからにしましょう』
そう提案したものの、リリナとオリエを改めて見た時にまたも『破廉恥な!』と取り乱すサーシャであった。




