第九十三話
気付いたのは魔法力に感受性の強い二人だった。
「エミリーさん! お気付きになりまして!?」
「おう! とんでもねぇ化けもんが近付いて来やがる! オリエ! 聞こえたな!? ゴンドラに引き上げるぞ!」
「了解だ!」
そして直ぐに遺跡の探索を切り上げ、リリナ、エミリー、オリエの三人はゴンドラへと急ぐ。ここで漸くオリエが疑問を口にする。
「何が来る?」
「判らねぇ。とにかくあたし達が纏めて一捻りされそうな化けもんとしか言いようがねぇ」
「嫌な感じがしないから、刺激しなければ大丈夫だと思いたいですわね」
「ああ。何とかやり過ごさなきゃな!」
「ゴンドラで逃げられないのか?」
「無理だ! 向こうが速すぎる。空に上がったら隠れることもできねぇ」
「ふふっ。いつものエミリーさんならヒャッハーしそうなところですのに」
「あたしだって時と場合を考えてるよ! ノルトの旦那を巻き込めねぇだろ!」
「その通りですわ!」
話をしていても三人の走る速さは変わらない。間も無くゴンドラに到着した。どたどたと足音を響かせながら船室に入る。
「ノルトの旦那! 何かやべぇのが来る。いつでも逃げられる準備をしてくれ!」
ところがノルトはこの遺跡で見付かった資料を読み耽るあまり、声に気付きもしない。
ノルト一行は予定を過ぎた今もログリア帝国の帝都遺跡に滞在していた。予定の根拠だった食料が、エミリー達が持ち込んだ食料と怪鳥を始めとした食用になる魔物の肉とで不自由していないためだ。その魔物の肉もわざわざ狩りに行く必要が無く、襲ってくるものを倒すだけなのでお手軽。魔法結晶もそれらの魔物や周囲の樹木の一部が持っているので事欠かない。それでも食事が日増しに肉に偏って行くのが避けられず、パンも焼けないようになったら引き上げると決めている。それまでの間にできる限りの発掘もする。
ところがその探索と発掘では、肝心のノルトが体力や戦闘力的にうろうろするだけ足手纏いになる。だからそれらは専らリリナ、エミリー、オリエが行い、ノルトは日がな一日発掘済みの資料の研究をしている。何か見付かった時だけ足を運ぶのだ。
一方、クインクトは夜の番をするため、昼間はずっと眠っている。起きるのは魔物が襲って来た時に迎撃する時だけである。
エミリーは反応を示さないノルトに顔を寄せる。相手が近付けば起きるだろうクインクトは後回しだ。
「旦那! ずらかる用意だ!」
「わっ!」
耳元で叫ばれたノルトは飛び跳ねるように仰け反った。
「お、脅かさないでください!」
「脅かすつもりはねぇんだがな……」
エミリーは眉尻を下げるが、直ぐに瞬き一回。目もとを引き締める。
「何か来る。念のために、いつでも走って逃げられるようにしておいてくれ」
「走ってって? この足でですか?」
ノルトは自分のひ弱な足を叩きながら尋ねた。
「勿論、その足だぜ」
「ええ……」
嘆きの声を上げながらもノルトは、エミリーが冗談でこんなことを言う筈がないのだからと、絶対に持ち出さなくてはならない本を一旦カバンに詰め直した。
エミリーとリリナが慌てた原因たるシーリスはゴンドラを空高く駆けさせる。小さな雲に突っ込んで視界が真っ白に染まると、甲板で景色を眺めていたサーシャが「きゃっ」と驚きの声を上げる。そのまま尾を引きながら雲を突き抜けて視界が開けると、サーシャが「わあ」と感嘆の声を上げた。
シーリスにはサーシャがはしゃぐ心の内など判りようもないが、こうして飛んでいるのを心地好く思うのは恐らく一緒だ。
『高く飛ぶは心地好きもの也』
『本当に!』
サーシャはシーリスを振り返る。
『シーリス様、ありがとうございます。このゴンドラから見た景色は一生の思い出になります』
『大仰也』
『大袈裟ではありません。シーリス様でなければ実現し得ない景色です。最後の旅でこれほどの貴重な体験をさせていただいて、感謝しかございません』
『異なことを申す。旅など幾らでもできよう?』
サーシャは小さく頭を振る。
『いいえ。今回ばかりは我ながら無茶が過ぎました。父上もお怒りのことと思います。恐らくこの旅を終えた後には直ぐに誰かに輿入れさせられて、屋敷から出ることもままならなくなることでしょう』
貴族女性にとっての世界は、得てして自宅と、王宮や他の貴族の屋敷で催されるパーティ会場だけである。そこに加わるとしたら、宝飾店などの馴染みの店、ピクニックで行く湖などに加え、そこまでの道中に眺めるゴンドラからの景色。良くてそんな普通の生活が待っているとサーシャは予想する。悪ければ自宅に軟禁されるような生活だろう。しかし、この旅に出なかったとしてもそんな生活が早まるだけとも考える。最後の機会に最後の旅に出られたことがこの上なく嬉しい。
シーリスは小首を傾げて空目する。サーシャを連れ帰ろうと捜していた騎士ドレッドと話した印象からは、未来に待ち受けるだろうサーシャの扱いが異なって見える。しかし人生は自分の思う通りにできるとは限らない。他人がとやかく言ってどうなるものでもないのだ。だから首を戻して小さく頷く。
『左様か。されど、案外、思いも寄らぬ機会に恵まれるやも知れぬ』
『はい。そうなると良いと思います』
サーシャは屈託無く笑った。
そんな話をしている間にもログリア帝国帝都の遺跡上空に達する。見下ろせば、前に来た時とは様子が違う。シーリスが焼いた部分以外にも焼け跡が見える。細く道のようになっている。
『誰ぞ参りたり』
サーシャが瞳を輝かす。
『それではノルトが!?』
『左様であらんや』
酔狂にもこんな場所にやって来るのはサーシャの捜し人であるノルトくらいのものだろう。魔の森はダンジョン内とは違って瘴気が留まることなく拡散して薄まるため、ある程度奥まった場所から奥では出没する魔物も、その強さも大差無くなる。魔物の角、皮、肉の収集を行うとしても、奥まで行く意味が薄い訳だ。輸送を考えればできるだけ近場が良い。
前回焼いた跡にまたゴンドラを降ろし、少し離れた場所で傀儡を生成してゴンドラの守りに就かせたら、サーシャに向かって手を伸ばす。
『行きたり』
『はい』
サーシャはシーリスの手に手を重ねる。その瞬間、身体がふわっと浮き上がる。そのままわたわたしている間に引き寄せられ、シーリスの腕に抱かれる。飛び立つ時にはもうドキドキだ。胸の高鳴りが止まらない。『もしかして女の人に恋? いえいえそんな筈は……。でもこの気持ちは……』などと、シーリスの首にしがみ付きながらぼそぼそと口から零す。少し錯乱しているらしい。ノルトに会える期待と会えなかったらの不安、飛んでいる間は全てシーリス頼みで自分では何もできない不安が折り重なって何だか良く判らなくなっているのが実態である。
シーリスはサーシャの反応に「何なの? この娘!?」と若干引きながらも宙を駆け、索敵魔法を放つ。強い反応は四つ。固まっている。もしもこれが魔物であれば、探し人は居ないか殺された後だろう。迷わずそちらへと向かう。
果たして、その先にゴンドラが有った。甲板上に人影も見える。加えて大きな鳥籠のようなもの。近付くにつれ、少々顔を引き攣らせながら口をあんぐりと開けている様子も見えてくる。
『クインクト! クインクトではありませんか!?』
立ち並ぶ中を一人を見て、サーシャが弾んだ声を上げた。
『姫さん!? 姫さんなのか!?』
クインクトは心底驚いた表情と声音で応えた。




