第九十二話
「それではシーリス様は過去からいらしたと仰るのですか?
またまたご冗談……、ですわよね?
ええ!?
疑うような振る舞い、失礼いたしました」
ころころと表情を変えたサーシャも最後には恥ずかしそうに俯いた。この間、シーリスは小さく縦か横に首を振るだけで、サーシャが独りで撃沈したのである。この微笑ましさにはシーリスもにっこり。マリアンに至っては鼻血を垂らして興奮している。
「構わぬ。わっしも未だ信じられぬ故」
これにはサーシャが「当人が信じられないなんて」と目を丸くする。その様子が少々コミカルで、シーリスがクスッと笑った。
そんな傍らには、何を盛り上がっているのかをロイエンに必死に解説を求め、それを聞き終わった時には完全に出おくれていたことに涙するルセアの姿も在る。ルセアには悪いと思いながらも、どこか楽しげに感じられるシーリスである。
前置きとして自らの身の上を語ったシーリスは、友から贈られた方の頑丈な箱を開く。中には一つの色鮮やかな魔法結晶。
「前にも似たものを見たことがあるのですが、魔法結晶とはそれほど貴重だったのですか?」
サーシャは疑問を感じた。何かを遺すのは、何かを伝えるためだと考える。しかし魔法結晶で伝わるものが有るとは思えず、可能性として想像できるのは財産としての価値くらいのものだ。
「左様。魔法結晶は貴重也」
サーシャの想像はひとまずシーリスによって肯定された。しかし続きが有る。
「なれど、ここに在るは記憶結晶と称す也」
「記憶……ですか?」
「見るが早かろう」
シーリスは箱を横に向け、全員を箱の正面が見える位置に移動させると、箱の隅の方に指を置いて魔力を流し始めた。
魔法結晶から光が立ち上る。光は箱の上に小さな人影を形作る。女性だ。そして箱から声が流れ出す。
『シーリス! 驚いた? 驚いたでしょ? ああ、貴女の驚いた様子が見られないのが残念だわ。
それでね。貴女にはもう一つの記憶結晶のことを頼みたいの。わたしが彼女に何かしてあげられればいいのだけど、それはきっと無理だから。時が、人の思いまで風化するほどの時が過ぎたら可能かも知れない。だからお願い。詳しいことはもう一つの記憶結晶と、その箱の引き出しに入っているものを見れば判ると思うから。
それとね。手紙だけで済ませられるのにわざわざ記憶結晶にしたのを不思議に思ってるでしょ? それは貴女が最後に見るわたしが今のわたしであって欲しかったから。きっと未来のわたしは酷い有り様になってる。そんな姿を最後の記憶にして欲しくないの。他のみんなは無理だけど、シーリスはきっと大丈夫だから。お願いね』
聞き終えた時、シーリスは静かに涙を溢れさせながら微笑んでいた。
ロイエン、サーシャ、マリアンの三人は、記憶結晶の中の女性がログリア語を話していたために話が理解できず、ただ記憶結晶の存在に驚いただけだ。しかしルセアだけは話を大まかにであれ理解していた。シーリスを気遣わしげに見て、ハンカチを差し出す。
「かたじけない」
シーリスは素直にハンカチを受け取って、涙を拭う。
ここで漸くサーシャもシーリスの異変にに気付いた。
「どのようなお話だったのでしょう?」
しかし、答えようとしたシーリスは声を詰まらせ、ただ苦笑を返すだけだ。
これには横で成り行きを見守っていたロイエンも致し方なしとばかりに、ルセアに尋ねる。そのルセアは一瞬だけ答えるのを躊躇った。かなり個人的な内容だったからだ。しかし、話してはいけないようなことならシーリスも皆に見せようとはしなかった筈だと考え、ロイエンの問いに答えた。
『ソウダッタノデスカ……』
相槌を入れたのはロイエンではなくサーシャ。サーシャとマリアンはカタコトになってしまうものの、プローゼン語を話せないこともない。しかし日頃話すはライナーダ語ばかりだ。これは母国語だからと言うだけではなく、シーリスの居る場所ではシーリスが判る言葉だけを使おうとしていることによる。シーリスに依存している身であれば、シーリスに不審を抱かれたくはないのだ。ただ、記憶結晶とシーリスが流す涙の衝撃は、これら意識が飛んでしまうのに十分だった。
「大まかな内容はルセア様から伺いました。少し休憩いたしましょう」
個人的な小さな失態を取り繕いつつサーシャは提案した。誰かが異議を唱える筈もなく、マリアンがサイドテーブルにお茶を用意し、シーリスを除いた面々はサイドテーブルでシーリスが落ち着くのを待つ。
少なからぬ沈黙の時間が流れた後、落ち着きを取り戻したシーリスがサーシャに向かって頭を下げる。
「かたじけない。お主のお陰で友の姿に見えたるを得し也」
記憶結晶を見つけられたのはサーシャが居ればこそなのだ。恐らくシーリス独りだけだったら見逃していた。あの友のことだから全てを見通してあんな仕掛けにしていたのだろうと思いはしても、それで感謝の念が薄れるものでもない。
「そんな! 頭をお上げください」
サーシャは慌てて言うが、直後に眉尻を下げる。
「いけませんね。シーリス様のお役に立てたことを嬉しく思うよりも安堵している私を情けなく思います」
「安堵とな?」
「ええ。引け目を……、その……、感じていたもので……。それが少し減ったようなと言いますか……」
サーシャは恥ずかしそうに俯いた。
シーリスは「左様か」と頷きつつも微笑む。サーシャがノルトと言う人物に早く会いたいのを我慢しているのは知っている。不平を言うのも我慢していて、それを今回のことで少しの我が儘なら言っても良いのではないかと思ったのだろう。それでいてそう思ったことを恥じているのだ。いや、馬鹿正直に告白してしまったことを恥じているのか。
「明日には帝都に向かう也」
脈絡も無く放たれたシーリスの言葉に、きょとんと目を瞬かせたサーシャは、次の瞬間「はいっ」と笑顔で返した。
その後、もう一つの記憶結晶の再生を行った。
浮かび上がったのは女性の姿。そのメッセージは、ただハニャトと言う人物の幸せを願っていた。
女性は失念していたのか名乗っていない。だが、シーリスは「見つけた」と直感した。
箱の引き出しに入っていたのは古いログリア語で書かれた日付の無い日記のようなものだった。その文字を読めるのがシーリスだけだったため、シーリスが読み、後で皆に内容を伝えることにした。
書かれていたのは些細なことばかりであった。各地を転々としていたのが読み取れる以外、「道端に咲いていた花が綺麗だった」「買い物でおまけして貰った」と言った小さな小さな幸せばかりが書き綴られていた。
そこに在ったのは確かに幸せだ。しかし、シーリスは何故か酷く心が痛かった。




