第九十話
「ラララーラ、ラーララー、ラララーラーラーララー♪」
シーリスは口ずさみながら蒼穹にゴンドラを駆けさせる。ゴンドラはどんな鳥よりも速く飛ぶが、風魔法も併せているため、甲板上にはそよ風が吹くだけだ。
だから音も良く通る。甲板で景色を楽しんでいたサーシャが歌声に耳を留めた。初めて聞く歌だが、歌謡に造詣が深い訳でもないので、当然の如く知らない歌の方が多い。
「シーリス様、その歌は?」
シーリスはサーシャを顧みる。
「昔に流行った恋の歌也」
この時代から見てではなく、シーリスにとってもだ。大崩壊の数年前になる。
「恋の歌ですか? それにしては哀しげに聞こえましたけど……」
「失恋の歌なれば」
その答えに、サーシャが失敗を恥じ入るように目を瞑って顔を赤くする。
「も、申し訳ございません。失礼なことを……」
これにはシーリスが目をパチクリと瞬かせた。ややあってから漸くサーシャの考えただろうことに想像が及ぶ。
「わっしは失恋などしておらぬ也」
「そ、そうでしたか……。それは、その……」
今度は乙女チックな勘違いだったことを、もじもじしながら恥ずかしがるサーシャ。これにはシーリスも微笑ましく思う。
「戦の及ばぬ昔の歌也。この穏やかなる陽気に当てられけりて些か懐かしく思えたる也」
シーリスの生まれ育った町が戦渦に巻き込まれる前の、まだ平和でシーリスも子供だった頃に唄われていた歌。歌詞は冒頭の断片しか憶えていないが、シーリスが憶えているその頃の唯一の歌であった。だから歌の内容には意味が無い。今居る時代の平和さにその頃を思い出さされただけのことである。
すると今度はサーシャが「戦?」と首を傾げる。彼女にはシーリスがどこから来たのかはまだ伝えられていない。
シーリスが飛ばしたことによって、出発してからログリア帝国の帝都跡には半日と掛からずに着いた。クインクトが残していた地図とシーリスの記憶を照らし合わせれば、位置の特定もそれほど難しくなかったのだ。
上空を旋回してみたが、他のゴンドラらしきものは見当たらない。着陸した形跡も見当たらないので、サーシャの捜し人はまだ来ていないのだろうと思われた。
それでも念のための確認をするべく地上に降りる。
まずは遺跡に影響しない場所の上空にゴンドラを留め、シーリスだけが飛び降りる。襲い来る魔物を蹴散らして、次が来るまでに隙が出来たところで地面に手を添える。
『生成!』
シーリスを中心にして広大な範囲で深く地面が抉れ、数多の傀儡が屹立する。根を張る場所を喪った樹木が次々に倒伏し、穿たれた穴に積み重なって行く。シーリス自身はゴーレムの頭の上からその様子を睥睨する。
ゴーレムの生成が終わって直ぐ、穴の一角の樹木を焼き払う。この森の樹木は全て魔物で、倒しておかなければ不測の事態を招きかねない。焼いた一角の樹木が全て灰になったらシーリス自身はそこに移動し、穴の中の残りの樹木を焼き払う。それが全て灰になったら一部のゴーレムを穴の中央部分で解除して残りのゴーレムで地面を均し、搗き固める。
サーシャ達はと言うと、ゴンドラからこれらの作業を口をあんぐりと開けて呆然と見詰めていた。シーリスから離れすぎればその守護が及ばなくなるので時折煙に燻されながらだったが。
作業を終えたシーリスが合図を送り、ロイエンがゴンドラを着陸させる。着陸を見届けたシーリスが移動でゴンドラに戻ると、サーシャが目を輝かせて出迎えた。
「シーリス様! シーリス様は伝説の勇者のようでございますね!」
「……わっしがかや?」
シーリスが苦笑いしながらロイエンを見ると、ロイエンが目配せを返す。シーリスが勇者召喚の儀でこの時代に現れたことは伏せておくのがロイエンの希望だ。偏にしがらみが増えて身動き取れなくなるのを懸念してのことである。
勇者と認めることだけはしてくれるなと、ロイエンが望んでいると踏んでシーリスは返す。
「わっしは勇者に非ず」
これはシーリスの本心。努めて何気ない風に返したが、実感が込められ過ぎて若干声が低くなった。
そのせいか、サーシャがシーリスの機微に触れてしまったと察してしょんぼりする。
「失礼いたしました。不躾なことを……」
「構わぬ」
サーシャの愛らしさに、今度は屈託無く微笑むシーリス。ラインク王国の系譜に繋がるだろうライナーダ王国の王族でも、ラインク王国のような残酷さは無いらしい。
ただ、幾ら微笑ましくとも、このまま話していては事が進まない。
「わっしは帝城を確かめに行く。お主らはここで待たれや」
「あ、あのっ! 私も連れて行っていただけませんか?」
サーシャは願い出た。このままじっと待つのは落ち着かない。
シーリスは考える。サーシャの真剣な目は、自身の目で見なければ納得しないことを訴えるかのようだ。納得しなければこの地から離れないなどと言い出しかねない。それでは少し困る。
「承知」
「ありがとうございます!」
サーシャは満面の笑みだ。
シーリスは内心で溜め息を吐く。愛らしい女子供のお願いは苦手なのだ。何でも手を貸したくなってしまう。これがもし小汚い爺が相手だったら手を貸してやりたくなるかと言うと、否と答えるしかない。自らの俗物ぶりを見せ付けられる思いがするのである。
「行きたり」
シーリスは声を掛けると同時に自身とサーシャにムービングを掛ける。
「あっ、わっ」
浮遊器を使う時のような頼りにする物が無く、宙を泳ぐかのようにわたわたと狼狽えるサーシャ。シーリスが小さく肩を竦め、サーシャを抱きかかえると、サーシャの腕がシーリスの首にしがみつくように回った。
「も、申し訳ございません……」
「構わぬ」
慣れなければそんなものだろうと思うシーリスである。
ゴンドラの警護をゴーレムに任せ、シーリスは森を飛び越える。時折怪鳥に襲われるが、森の中を突っ切って周り中の樹木に襲われるよりも対処は容易い。ほんの片手間だ。それでもサーシャには恐怖の体験で、襲われる度に「ひゃあ」と悲鳴を上げた。
帝城跡には間もなく着き、大きく抉れて底の方に水が溜まっている様子に目を瞠る。
「深い恨みでも有ったのでしょうか……」
サーシャはポツリと呟いた。それを耳にしたシーリスがどう言う意味かを尋ねると、サーシャが慌てたように言い直す。
「そ、その、他に幾つか見た遺跡では、このように抉れてはいなかったのです。ここだけがこれ程抉れているのには特別な意味が有るのかと……」
「左様か……」
ここだけを見たなら、破壊された広さと抉られた深さに違和感は無い。しかし、他の町が地表だけを焼かれているのであれば話が違ってくる。人を滅ぼすだけなら地面を抉る必要など無いに等しく、地表だけを焼いた方が結果も目視しやすい筈だ。この帝城だけが抉られていることには何らかの意味が有り、それが恨みだとの想像は的を突いているように思われた。
そしてシーリスにはその心当たりが有る。その心当たりが正しければ、もう一箇所深く抉れた場所が在る筈である。
「ラインクの王都も抉れてはおらぬや?」
「ラインクのですか?」
サーシャは記憶を辿るが、それらしき場所に覚えは無い。
「ライナーダの王都はラインクの王都だったと言われる場所に在りますが、特に凹んだ場所はありません」
シーリスはまた考える。シーリスとその仲間に魔王討伐の命令を出したのはラインク王国だ。ログリア帝国の帝都だった町はその前線基地としての役割と、ラインク王国の一地方の領都としての役割を兼ねたものでしか無くなっていた。シーリスにはそう言ったことを魔王に捕まった後で魔王に向けて口走った覚えも有る。ラインク王国よりログリア帝国の方が恨みが深いと言うのは何とも据わりが悪い。
「王都の近隣に凹みは無きや?」
「近くですか……。凹みと言えるかどうか判りませんが、湖なら在ります」
サーシャは空目する。
「私は試したことがありませんが、一番深い所でも足が着くとか……」
「左様か」
シーリスが憶えている限り、王都の近くに湖は無かった。ただ、全ては見ていないので確信からは遠い。
「あの、もしかして、その湖がラインク王国の王都だった場所とお考えですか?」
「左様」
シーリスには朧気ながら魔王に捕まったまま山脈を越えた記憶が有る。だからラインク王国の王都が滅ぼされなかったなどとは考えにくく、その湖がラインク王国の王都跡と考えて間違いないと考えるのだ。ただ、広さは有っても深さが目の前の帝城より浅いらしいところが今一つ釈然としない。深さが恨みの深さに比例すると仮定するならラインクの王都こそ深く抉れてそうなものなのである。
「わっしは少し思い違いをしておるやも知れぬ」
「はい?」
シーリスが考えていることが判る筈もないサーシャはシーリスの言葉の意味が見えずに首を傾げるが、それに応えるシーリスは小さく肩を竦めるだけだった。
それから帝城跡をぐるっと一回りしたが、人影も誰かの痕跡も見当たらない。
「お主の捜し人はまだ来てはおらぬよう也」
「はい……」
「故、わっしは先に行かんとする地が有りたる也」
「……承知しました」
シーリスの目的はノルトを捜すことではないが、先に会えば利が有ると考えてサーシャの希望を優先したのだ。だからノルトに会えなければシーリスの目的を叶えられそうな場所に行く。
二人はこのままゴンドラに戻った。
翌日。シーリスは次に来る時の邪魔にならないよう、均した地面の端、凹んだままの場所にゴーレムを移動させ、そこで解除した。そしてゴンドラを飛び立たせる。
目指すのは大崩壊の数年前に魔王が初めて現れたとされる町。アルルの手掛かりが有る可能性が最も高い町だ。




