第四十三話
シーリスへの聞き取りは多岐に渡る。日常生活や習俗など、シーリスにとっては当たり前すぎて気にも留めていなかったようなことまでだ。気にも留めていなかったから詳しくは知らないものも多い。井戸や馬車の説明を求められても言葉に窮するばかりである。
井戸のことを訊かれ、「穴を掘って湧き出た水を飲み水にする」と説明しても「泥水を飲むのか?」と驚かれる。魔法結晶が許す限り幾らでも水の出る水筒で水を賄っているこの時代の人々には、地面から湧き出る水など精々土木工事の途中で滲み出す印象しか無い。魔法結晶を用いる道具が発明されてからの四百年ほどの間に井戸の概念が失われていたのだ。
また、暮らしていた町がどんな場所かを説明するのに、「隣町まで馬車で一日」と言えば「馬車? 馬車とは何だ?」と首を傾げられる。浮遊器でゴンドラを吊り下げて旅をするこの時代の人々にとって、馬で牽くような荷車は想像の埒外にある。そのためか、構造を訊かれたりするのだが、職人でもなければ整備をするでもないシーリスには「車輪の付いた乗り物」としか答えようが無い。勿論、それでは伝わらない。
他にも幾つかの常識の違いから来る混乱に時間を取られたこともあって、聞き取りに費やした日数は二桁に及んだ。
書き留められた証言を纏めるのにまた二桁に及ぶ日数が費やされる見込みで、その後には纏められた内容の確認がある。
この確認をシーリスは求められていて、同意している。ここ神聖ログリア帝国には衣食住を提供して貰っているのだから、その対価は必要だと考えるのだ。話をするだけ、その話した内容を確認するだけで対価になるなら安いものである。
ロイエンが国の上層部と交渉することで、シーリスの旅立ちも早々に認められた。支度金が支給され、仕度の殆どが国で行われ、旅費も約二年分が支給される。同行するロイエンとルセアの給与も二年分が先払いで支払われると言う。何とも破格の待遇だ。
これは神聖ログリア帝国がシーリスの処遇に窮するからに他ならない。ログリアを標榜し続けるには、召喚魔法の成功によって呼び出されたシーリスを広告塔として前面に押し出しつつ飼い殺しにする方が良さそうなものだが、そうできない事情も有る。召喚に失敗し続けていたから閑職として成り立っていた召喚庁が無駄に権威を持ってしまうことだ。召喚庁は疾うの昔に名声だけが残り、権威は地に落ちていた。だから権威を振るって貰っては困る者をそこに所属させているのである。
証言を纏める間、シーリスは暇だ。ルセアと一緒に旅支度を調えがてら、町の散策である。
まず目を瞠ったのが人々が前を向いて歩き、その表情が明るいこと。シーリスの知る町では誰もが暗い顔をし、下を向いて歩いていた。何か落ちていないかと探すのだ。
それからフローター。聞き取りの途中で話だけは聞いていたが、聞くのと見るのとでは大違いであった。商人などが車輪の無い荷車と言った感じのものを浮かばせるだけでなく、多くの人々がカバンをフローターに吊して歩いている。そのカバンはフローターに吊す前提で作られているようで、多くは縦に渡された持ち手に腕を通して引っ張っている。そうでなければ抱き抱えるようにして押している。人にぶつからないためか、荷物が盗まれないためか。中には腰に紐を結びつけて引いている人も居るので、やはりぶつからないためか。
『足だ疲るだ時で寄り掛かだず(足が疲れた時に寄り掛かるのです)』
もっと単純であった。
まず目指すのは旅用具を数多く揃えた大型の雑貨店。お値段お高めながら大抵の品物が揃っている。お高めだから地元の人々の場合は他の店には無いものを買うくらい。しかし色々な店を回る時間の無い旅人や、田舎から出て来たばかりの人などには便利である。
シーリスはその店の少々派手な看板を見るなり、目を輝かせて走りだした。
『ルセア! 早く、早く!』
『シーリスざ、待っだりださ!(シーリスさん、待ってください!)』
ルセアは慌てて追い掛けるが、どんどん離される。これで行き先が判っていなかったらはぐれるところだ。満面を喜色に染めて看板を見上げるシーリスの許に着いた時には息も絶え絶えである。
『さ! 入りましょ!』
息を整える間も無く、シーリスに腕を引かれて入店するルセアであった。
雑貨店に並ぶ品物はシーリスにとって目新しいものが多い。フォークやスプーン、皿と言ったものは変わらないが、「携帯コンロ? 何それ?」と言った塩梅で、魔法結晶を使う道具類は完全に未知である。ルセアの微妙に伝わらない言葉での説明でも、驚くべき道具だと言うことだけは理解できた。
『凄いわね!』
そんなことを言いつつあれもこれも買おうとするシーリスを、ルセアは止めるのに大変苦労した。




