第四十四話
雑貨店で色々買い込んだ翌日も、シーリスは町の散策である。
『いい匂いだわ!』
何やら漂ってくる甘酸っぱくも香ばしい匂いに誘われた。その匂いに引き寄せられるようにふらふらと進めば、屋台が在った。
『おじさん、お一つくださいな』
シーリスが人差し指を立てて言うと、屋台のオヤジは眉根を下げた。言われた言葉が解らない。
「お姉さんはこれが欲しいのか?」
オヤジの言葉が解らなくてシーリスが押し黙る。無言で見つめ合う格好になるシーリスとオヤジだ。
『シーリスざ、待っだりださ!(シーリスさん、待ってください!)』
そこにルセアが追い付いた。
「お姉さん、こっちのお姉さんの連れかい?」
「はい、そうです」
オヤジはあからさまに安堵の表情を浮かべる。
「良かった。お姉さんは言葉が通じるんだな。こっちのお姉さんは何て言ってるんだ?」
『シーリスざ、何だ仰だりだか?(シーリスさん、何て仰ったのですか?)』
『お一つくださいなって』
『だら、わず買だで(それなら、わたしが買いますので)』
『そうね。頼むわ』
ルセアは頷いた。
「おじさん、彼女はどうやらこれを買いたかったみたいです。なので、私の分と二つください」
「あいよ。腕に縒りを掛けて焼いてやるからな」
「お願いします」
オヤジは焼けた鉄板に具材の肉や野菜を広げて軽く焼き、上から何かの粉を溶いたものを掛ける。粉が焼けてある程度固まり、縁取りのような部分が出来たら起こし金で引っ繰り返し、続けて上から起こし金で思い切り押し付ける。すると、じゅわーっと小気味良い音が響く。上面に赤いソースを掛けて満遍なく広げたらまた引っ繰り返す。またじゅわーっと響く小気味良い音。一緒に漂うのが先程シーリスが感じた甘酸っぱくも香ばしい匂いだ。もう一面にもソースを掛けて広げたらまた引っ繰り返して押さえ付ける。もう二度ばかり引っ繰り返して押さえ付けとした後で、串にくるくるっと巻き取ったら出来上がりだ。
「お待たせ」
「ありがとう」
オヤジは左手でルセアから代金を受け取りつつ右手でシーリスへとトングで掴んだ料理を差し出す。
「おう、丁度だな。まいど」
シーリスが受け取ったらもう一つをルセアに渡した。
早速齧り付くシーリス。
『美味しい! これは平和の味ね!』
『だな?(はい?)』
今一つ理解に苦しんだルセアであった。
別の日には観劇に行った。
『劇を観るなんて初めての経験だわ』
『わずもだず(わたしもです)』
シーリスの場合は田舎育ちだったので劇場など無く、後に行った帝都は戦禍によって劇どころではなくなっていたからだ。
一方、ルセアの場合は金銭的な問題が大半だった。チケットがそれなりにお高いので手を出し難いのだ。そして今回、見た後で「もうずっと観なくていいかな」なんて思ってしまった。観たのは有名処の劇団だったが、ルセアにはとても退屈だったのだ。そもそも話の筋すら理解できない代物だった。
そのルセアからは、シーリスも面白そうにしているようには見えなかった。他の観客が泣いたり笑ったりしていても――驚くべきことに、一つのシーンだけを切り取れば少なくない観客がそうするシーンが有った――、泣きもしなければ笑いもしない。ただ、終始眼をキラキラと輝かせてはいたが。
これに限らず、町を散策中のシーリスはいつもご機嫌だ。ルセアから見れば全く見るべきものの無い場所でもそう、町を行き交う人々を眺めるだけでもそうなのである。ご機嫌斜めより良いことは確かだが、ルセアには訳が解らない。
そうこうする内にシーリスの暇な日々も最終日を迎えた。最後に寄ったスイーツ店のカフェテラス。ケーキが運ばれてくるのを待つシーリスは、頬杖を突いて道行く人々を眺め、幸せそうに微笑む。幸せそうでありながら、どこか寂しげだとルセアには感じられた。
ケーキが運ばれて来て、シーリスはそれを一口食べる。
『これは幸せの味よね』
ふふっと小さく笑った。
その姿に、ルセアはなぜか涙が出た。
「あ、あれ? あれ?」
止めようとするのに、どうしたことか溢れ続けるのだ。
『何を泣いてるのよ』
シーリスは呆れつつ、ハンカチを取り出してルセアの涙を拭った。
その翌日からの確認作業は幾つかの訂正をしただけで、滞り無く終わった。
終わった翌日にはもう出立である。
「早すぎませんか!?」
出立を伝えられたルセアが素っ頓狂な声を上げた。ロイエンは冷静に切り返す。
「旅立つと決めてからかなりの日数が経っているだろう」
「いえいえ、それでも心の準備と言うものが……」
「判っていたのに、なぜこれまでの間にしなかった?」
「あー、うー、そうですけどー、そうなんですけどー」
さめざめと泣くルセアであった。
出立当日。帝都の郊外に中型ゴンドラが用意されていた。必要な物資は既に国の手で積み込まれている。シーリス、ルセア、ロイエンが手荷物を片手に乗り込めばいつでも出発可能だ。
シーリスはその大きさに目を瞠る。
『こやつを三人のみにて操らんと申す也や?』
とても三人だけで動かせるとは思えないのだ。シーリスは操作法をこれから憶えなければならないので、実質二人になる。
『ゴンドラはどの大きさのものでも一人で操作できるように出来ているから大丈夫だ。大きければ大きいほど慣れが必要だがな』
『何と!』
シーリスはロイエンの言葉にも目を瞠った。この時代の技術力に感心するばかりである。
ただ、とロイエンは続ける。ゴンドラは大きい方が居住性が高まり、長距離の移動もし易い。しかし、中型ともなれば中に入れる町が殆ど無く、大型になると皆無になる。つまり、町の宿に泊まることも、町の観光もできない。ゴンドラは大きければ良いと言うものでもないのだった。
三人はゴンドラに乗り込んで甲板に出る。ロイエンはそのまま操縦室に入って起動する。ルセアは甲板の縁から見送りに来た人々を見る。出発の式典を行う訳でもないのに宰相も佇んでいる。自ら出発を確かめに来たらしい。
「ルセア! 突然すぎるじゃないの!」
ルセアの友人の叫ぶ声。ルセアは若干顔を引き攣らせる。
「ごめんなさい! 本当に急だったから!」
決まってから三十日ばかりが過ぎているのだから急ではないのだが、ルセアとしては急なのだ。
「帰ってくるんでしょうね!?」
「うん! それは大丈夫!」
ただ、いつになるかは判らない。
浮遊器が起動し、ゴンドラが浮き上がる。ルセアは叫ぶ。
「じゃあ、またね!」
「絶対よ!」
そうしてシーリス、ルシア、ロイエンを乗せたゴンドラは旅立った。
『で、どこに向かう?』
『アルルを探さん』
『は? どうやって?』
『これより考えたる也』
シーリス自身、雲を掴むようなものだと思っている。




