第四十一話
シーリスは目先の心許なさから開放された。忘れる時にはあっさり忘れても、気になる時はとことん気になることが世の中には有るものだ。靴も履いて準備万端整えたら、侍女の案内で用意された部屋へと向かう。ロイエンとルセアも付き添っている。
部屋は宮殿の離れに在る。母屋には泊めたくないが、丁重に扱わなければならない客を泊める部屋だ。母屋に泊めるような客でも、客の希望があるなら使われないこともない。周囲の警備も客が宿泊中なら通常よりも厳重になる。それが果たして宿泊客が何者かに狙われるのを警戒しているのか、宿泊客を警戒しているのかは定かでない。
内部には多くの寝室を備えるものの、特別の事情が無い限りは一組の客だけで使う。他国の王族ともなれば多くの従者を引き連れているので、その従者の泊まる部屋も必要と言う訳だ。
調度品こそ最小限に抑えられている。その一方で内装は随所に彫刻が施されるなどして極めて華やか。シーリスが通されたのはその中でも最も立派な部屋だ。侍女が五人も控えていた。シーリスにとっての二年前にはラインク王国の王都で同様の離れに泊まったが、その時は最も狭い部屋だった。当然、侍女も付いていない。扱いが雲泥の差だ。ただ、困ったことに、シーリスは部屋が立派過ぎても落ち着かない。侍女に世話をされるのもまた然りだ。
『わっしには絢爛に過ぐ也。些かばかり狭き部屋を所望す也』
『今後、こんな部屋に泊まる機会が有るとは限らない。経験しておくのもいいだろう』
ロイエンがそんな風に答え、何となく尤もだと思ってしまったシーリスは、結局その部屋に泊まることになった。
『詳しい話は明日から聞かせて貰う。今日のところはゆっくり休むといい』
『承知』
『私はこれで失礼する。そこの彼女を置いて行くから今日この後は通訳はそっちに頼んでくれ。ではまた明日だ』
ロイエンはさっさと踵を返す。何を思ったか、ルセアがそれに続く。
「なぜ付いて来る?」
ロイエンは足を止めてルセアに尋ねた。
「私もお役御免かと……」
「ルセアと言ったか?」
「はい」
「あんたが通訳してやらなくて誰がする?」
「それはロイエン様が……」
「俺に若いご婦人と同衾しろとでも言うのか?」
「ま、まままま、まさかそんなことは申しません!」
「それはそうだろう。だが、あまりに遅くまでここに居たとしたら、人の目にはどう映る?」
「そ、それは……」
ルセアは口籠もった。碌でもない噂になるのが関の山なのだ。
「で、でも! 配属先に顔を出さなければクビになってしまいます!」
「ん、ああ……」
ロイエンは少しだけ考え込む。そしてルセアを手招きし、ひそひそ話を始める。
「そのことだが、あんたはここを辞めた方がいいだろう」
「ええ! どうしてですか!?」
「声が大きい」
ロイエンは口に人差し指を当てながらシッとルセアを咎める。
「あんたは第三皇子殿下達に無礼討ちされそうになったんだろう? 殿下達は遠からず釈放される。まあ、探し出してまでどうこうするほどの執念深さは無いらしいが、たまたま行き合ったらどうだろうな?」
「ええー」
ルセアは思いっきり嫌な顔をした。
「そんなに危険ならずっと閉じ込めておいてくれればいいのに」
「それは無理だ。結果的に誰かが傷付けられた訳じゃない。重い罪には問えんさ」
「傷付いていたら問えるんですか?」
「そうだな。あんたが殺されでもしていたら、一生幽閉されることになったかも知れんな」
「ええー。死んじゃってたら私には手遅れじゃないですか」
「ああ、手遅れだな」
「それに、皇子殿下でも罪に問われるんですか? 私はてっきり好き放題なのかと……」
「ん? ああ。それは危害を加えられそうだったから反撃したことにするとか、人を雇ってやらせるとか……」
「それって、好き放題じゃないですか……」
「……そうとも言うな」
「もし今度のことで私が危ないのでしたら、ロイエン様も危なくないですか?」
「ん?」
ロイエンは暫し首を捻る。よくよく考えれば、拘束されたままの第三皇子を助けようともしなかったのを恨まれても仕方のない状況だ。連行されて行く時に何かその関係を叫んでいたような憶えも有る。
「危ないかも知れないな……」
「駄目じゃないですか」
「ああ、駄目だな」
ロイエンは「どうしてこうなった」と、暗澹たる気分になった。
『何を申し合いたるや? わっしに関わりたりや?』
シーリスがここで過ごすには頼らざるを得ない二人が何やらひそひそと話し込んでいるのだから気にもなりもする。
『そうだな……、関わると言えば関わるし、関わらないと言えば関わらない』
ロイエンは漠然とした前置きをしてから、今し方の話の内容を掻い摘んでシーリスに説明した。
聞き終わったシーリスは暫し考える。二人が出奔するようなことになれば、代わりの通訳が宛がわれるだろうし、自分だけなら問題の騎士に襲われても簡単に撃退できる。だからここで暮らすことはできるだろう。だけどもそれで良いのかだ。それを知るには自分がどうしてここに居るのかから知らなければならない。
『問う。わっしは何故に呼ばれたるや?』
『勇者召喚の儀で呼び出されたのだから、名目上は勇者として魔王を討伐して貰うためと言うことになるな』
魔王の実在は確認されていないから名目上なのだ。誤魔化してもしょうがないので誤魔化さない。
ただ、名目であってもシーリスには特別な意味を持っている。
『魔王……』
シーリスは暫し瞑目する。運命とは何と残酷なのかと。一度目はしくじった。その時は自身が勇者なのではなく、勇者に付き従っていただけだ。しかし全ての責任をその勇者に押し付ける訳には行かない。二度目の今度は自身が勇者だと言う。一度目のしくじりを運命が取り戻させようとしているのだろうか。しかしそれは零れたミルクを掬い上げるようなもの。元の形に戻ることはあり得ない。それでも、そう、それでもだ。掬い上げなければこの先を生きて行くのが難しいように思えるのだ。
『なれば、わっしは魔王を捜しに行きたり』
『は?』
『二人には手助け願いたる也』
言葉が通じなければにっちもさっちも行かないためだ。
これにはロイエンも暫し言葉を失くした。
「ロイエン様、どんなお話をされているのですか?」
ルセアはどこか深刻な様子に、話の内容が気になったのだ。しかしこれが切っ掛けでロイエンが言葉を取り戻す。
「どうやら、私とあんたはこっちの彼女と旅に出るようだぞ?」
「はい?」
ロイエンに言われた内容に、ルセアは盛大に首を傾げた。




