第九十九話
『ノーラの町は真っ先にラインク王国から攻撃されました』
『帝国の思惑通りかや』
『恐らく。そのための工作も行ったようですから』
召喚した勇者がノーラで訓練中との噂がラインク王国内に流された。今はまだ未熟ながら、直に実力を付けてラインク王国を蹴散らす筈だと言うものだ。
ラインク王国では十中八九ログリア帝国による工作だと考えた。しかし万が一にも真実であればラインク王国にとって致命的だ。無視する訳に行かない。密偵を放ち、勇者の正体を探る。
ノーラに滞在するのがハヤトでなければ、適当な国民に勇者の振りをさせたのであれば、ラインク王国はその出自を探ることで欺瞞と看破しただろう。しかしそこに居るのはハヤト。実際に召喚された人物なのだから、出自を追えない。勢い、欺瞞だと断定もできない。こうなったらラインク王国としてもログリア帝国の策に乗るのが一番の安全策になる。
ログリア帝国はこのことを利用してラインク王国の侵攻地点とその時期を限定させようとしたのだ。
当のハヤトはログリア帝国の策略のことを知る由もないが、帝国の都合の良いことに、自主的にそれらしきことを行っていた。いざとなったらアルルを守れるように、それができなければアルルを逃がせるようにと考えて、剣の素振りを繰り返す。屋敷の警護――実態はハヤトの監視――をしている兵士に頼んで手本を見せて貰いつつだ。
しかしそんな付け焼き刃が身に付く筈もない。単なる真似事だ。ハヤトに見本を見せた兵士もごっこ遊びに付き合ってやっただけで、訓練方法を教えてはいない。それどころか仲間内でいつまで続くか賭をする始末であった。
『ラインク王国はログリア帝国の思惑通りにノーラを攻撃します。そして王国軍は壊滅するのですが、その壊滅の仕方は帝国の思惑からは遠いものでした』
ラインク王国はログリア帝国の思惑に乗るのを癪に感じながらもノーラへの侵攻を決めた。勇者の成長の可能性を否定できない以上、後顧の憂いを断つためには勇者とされる者を討たなければならない。投入するのは山脈を越えて集結している全兵力。出し惜しみはしない。一部を後詰めとして伏兵に備える以外は全て突撃する。
そして侵攻の開始。
帝国軍は当初の予定通りに王国軍の後背を突いてこれを分断、各個撃破を試みる。しかし帝国軍は甘い見通しと過剰な自信によって寡兵で突撃、撃破される。更に兵力の逐次投入と言う愚を犯したことで突撃部隊は壊滅した。
一方、ハヤトはこれらの状況を知らされない。周囲が慌ただしくなったことで、何かが起きていることは判る。しかし、警備をしている兵士に尋ねても部屋で温和しくしているように言われるだけで、状況が全く判らない。閉じ込められているようなものだ。
最初はどよめきと地鳴りが混じったように聞こえた。それは喧騒になり、悲鳴が混じる。喧騒の中から放たれた怒声がラインク王国軍の襲来をハヤトの耳にも届けた。そして喧騒は南へと遠ざかって行く。ラインク王国軍の襲来を知った住民が我先にと逃亡したのだ。
暫しの静寂の後、北の方から魔法らしき爆音が聞こえ始める。その一方で部屋の外が静かになっている。ハヤトがそっと様子を覗けば、警備の兵士が姿を消していた。ハヤトとアルルは置き去りにされた。
ハヤトとアルルも脱出を試みる。しかしその矢先、屋敷の外を覗った時にはもうラインク王国軍に包囲されていた。そして身を隠す暇も無く扉が破られる。
立ち竦むハヤトをラインク王国軍の隊長が驚きをもって見る。次には安堵と怒りを綯い交ぜにした表情で剣を振り上げ、ハヤトに向けて振り下ろす。だがそれは防がれた。アルルの防御魔法だ。
幾度となく繰り返される攻撃をアルルは防ぐ。防ぐだけだ。防御魔法に秀でていても攻撃魔法に劣るアルルには有効な反撃手段が無かった。防御魔法も幾度となく剣を叩き付けられれば軋み、砕ける。砕かれてはまた防御魔法を発動する。
そうしながらアルルはハヤトを誘導しつつじりじりと後退し、ハヤトの部屋へと入る。そしてハヤトを部屋に据えた台に立たせ、結界魔法を発動した。
予め魔法回路を用意する必要のある結界魔法は即興的な防御魔法とは比べものにならない耐久性を持つ。だが、本来なら結界魔法は貴重品を保護するための魔法で、人などの生き物に使うものではない。外界と遮断される形になるため、窒息死してしまう。それでも敢えてアルルがこれを使ったのは、窒息しないように特殊な仕掛けを設けていたからだ。ただそれがどこまで有効に働くかが判らない。
ハヤトが生き残る可能性を増やすため、自らは結界の外に残ったアルル。結界の中で呆然とするハヤトを背にしてラインク軍に対峙する。そして命が果てるまで抗い続けた。
結界から出たくても出られず、見ていることしかできなかったハヤトは絶望した。そして慟哭する。魂の叫びはハヤトの奥底に眠っていたものを呼び覚ます。身体から溢れ出したそれは大地を揺るがし、結界を破壊する。悲しみに囚われて足に力の入らないハヤトはアルルに這い寄り、その亡骸を抱き締める。
絶叫。
その瞬間、ハヤトから炎が噴き出し、火柱が立ち上がる。天まで届く火柱はラインク軍諸共ノーラの町を灰燼に沈めた。
『記録を紐解くと、大崩壊を引き起こした魔王が最初に現れたとされるのがラインク王国軍がノーラを攻撃した丁度その時なのです』
『なれば、そのハヤトがハニャト……。魔王と申すや』
『推測ですが、そう思います』
ハヤトを上手く発音できなくてハニャトになったのだろうと、ノルトは話を締め括った。
シーリスは欠けていたものを手に入れたように感じた。魔王と戦いながら魔王について何も知らなかったことも思い知らされた。恐らくもう一度魔王と対峙する時が来るだろう。しかし過ちは繰り返せない。
目の前の男にも協力を求めなければならないだろうと考え、シーリスはノルトに暫く待つように言って席を立つ。
『見せたきもの有り』
そう言って自室に向かった。自室に着いたら造り付けのチェストを開けて私物用のカバンを取り出す。このカバンから取り出すのは遺跡で見つけた箱だ。シーリスの私物として保管しているのである。これを抱えてリビングに戻り、テーブルに置く。
『これは?』
似たような箱はノルトにも見覚えがある。サーシャと一緒に遺跡で発見した頑丈な箱だ。色鮮やかな魔法結晶が収められていた。
『記憶結晶也』
記憶結晶は映像を記録した魔法結晶のこと。道具としての本体は箱の方だが、コストとしては魔法結晶が殆どを占める。その結果、箱を含めて記憶結晶と呼ばれていた。シーリスがその蓋を開いて見せる。
ノルトは箱の中の色鮮やかな魔法結晶を見て、記憶とはこの色のことかと予想した。その予想は外れたが、シーリスの説明を聞くにつれて表情がみるみる驚愕に染まった。
『映像を記録するのですか! とんでもない技術ですよ!』
今の時代には無い、ノルトも初めて聞く機能であった。だからノルトは興奮するのだが、シーリスはその様子に驚く。
『今の技術も素晴らしきもの也』
今は浮遊器や水筒のような、大崩壊前にはあり得なかった道具が有る。それも余程貧しくない限りは誰にでも買えるような値段で水筒が売られている。魔法結晶が桁違いに潤沢だからこその道具だ。一方、大崩壊前は魔法結晶が極めて貴重だった。だから大切に、大切なものを扱うように用いられた。発想と方向性が異なるだけで、技術に優劣は無いとシーリスは考える。
『そうかも知れませんね……』
ノルトはシーリスの意見に頷かざるを得なかった。知る限り、昔は荷運びに荷車を用いていた。今には無い技術なのだ。今使われているゴンドラとは明らかに技術の方向性が異なっている。
ノルトが納得したところでシーリスは話を戻す。他のことで気が漫ろになっていては話半分になりかねないので余談に付き合って相手の準備が整うのを待っていた。それでも箱そのものの話になっては話が進まない。
『箱より中身也』
『あ、はい。そうでした』
ノルトの注意が記憶結晶に向かうのを確認して、シーリスは記憶結晶に魔力を籠める。すると中心の魔法結晶から光が立ち上る。光は箱の上に小さな人影を形作った。
これにはノルトとシーリスの会話の最中に退屈していた皆も目を輝かす。
『おお!』
『こりゃ、たまげたな』
「すげぇ……」
「何て可愛らしい。妖精みたいですわ」
「こんな魔法が有るとは……」
記憶結晶が動くところを初めて見た五人が口々に感嘆の声を漏らす中、小さな女性が話しているかのように箱から声が流れ出す。
途中、ノルトはある単語に反応した。
『ハニャト!?』
しかしまだ再生が終わっていない。直ぐに自分の口を押さえて続きに注目する。
間もなく箱からの声が止まる。それから幾許かしてもう声の続きが無いのだと確信してからノルトは口を開いた。
『今の方はどなたですか?』
シーリスさんのお知り合いですか? と続けると、シーリスは首を横に振る。
『推測なれど、アルル也』
『アルルですか!?』
ノルトは口を押さえて暫く考え込む。そして口を開く。
『ボクの話は多分に仮説が含まれていましたが、アルルがハヤトのことをハニャトと呼んでいたとすると、真実味がでます』
やっぱり推測の域を出ないんですけどね、と付け加えた。
『しかし少し気になります。シーリスさんはアルルの名前をどこでどうやって知ったのですか?』
『そは……』
シーリスが自らの身の上を説明すると、ノルトは目と口を真ん丸に開いて暫く元に戻らなかった。
暫くして我に返ったノルトはシーリスに勢い込んで協力を願い出る。
シーリスは勿論断らなかった。




