第281話 トラウマ
真夜中。
天には満天の星。
地は漆黒の暗闇。
太陽の下であれば、見渡す限りの大森林。険しい山に囲まれた緑の湖。
だが湖と違って星空を映すことはない。
まるで大きな穴が口を開いているかのようだ。
その穴の真ん中にポッと小さな火が灯った。
「あ……、あぁ…………」
穴を取り囲む険しい山々の、その南の端。
切り立った崖の上の見晴らしのいい場所から灯火を見ていた少女は大粒の涙を流していた。
「パパッ……、ママッ……」
彼方の灯火は、少女が今しがたまで家族と団らんしていた館であった。
銀色の髪をした幼い少女がその館に向けて右手を伸ばす。
その手を、傍らにいる黒髪の女性が上からそっと押さえて少女の目線の高さに合わせるようにしゃがんだ。
「ごめんなさい。もっと早く〝ヤツら〟の動きに気づいていれば……」
「私達はかねてよりあなたのご両親から貴女のことを頼まれていました」
黒髪の女性の傍らに立つ淡い金髪の女性が燃える館を悔しそうにじっと見ている。
「ここは隠された住み処。〝ヤツら〟に抗する〝力〟を伝える一族が住まう秘匿された場所。幾重もの結界に囲まれた場所だった筈なのに奴らに見つかってしまった……」
少女の手を持つ黒髪の女性の手が震えている。
「やつら……?」
「〝忘却の彼方から現れし亡霊〟」
「ぼうきゃくのかなた……?」
黒髪の女性がすっと立ち上がった。
「そろそろ行きましょう。いくら妹から借りたモノとは言え、いつまでも留まっていたら見つかってしまうかもしれない」
「了解です。では手筈通り私達でこの子を匿いましょう」
淡い金髪の女性が背後で片膝をついていた栗毛の女性に声をかけた。
「かしこまりました」
少女は手を引かれていく。
後ろ髪を引かれ、何度も振り返りながら。
やがて四人は夜の闇に消えていった。
自室の机に突っ伏して眠っていたミシェルの目がゆっくりと開いていく。
「……いつの間にか眠ってしまったみたいね」
窓の外は明るく、太陽もだいぶ高い位置に来ているのがわかった。
身体を起こして背もたれに寄りかかった状態で伸びをする。
「机で寝てしまったから身体が痛いわ……」
椅子から立ち上がりもう一度伸びをすると、お湯を沸かすためにキッチンへ向かう。
「……何度目かしら、あの頃のことを夢に見るのは」
ミシェル・J・リンクス最大のトラウマにして、例え忘却の呪いがかかっていようとも決して忘れることの出来ない復讐の原点。だからこそ逆に覚えていられるのかもしれない。
「〝忘れられし神話〟……か」
前日にリリィ・フェニックスから聞いた古き逸話。歴史の闇に埋もれたのでも葬られたのでもなく、どういうわけか人々の記憶からいつの間にか消えていく。壁画も口伝も記述も一切残されることなく、無論ネットにも存在しない。
しかし現代まで連綿とその意思を長らえている。
〝忘れられし神話〟をずっと調べていていつの間にか眠っていた。
「……ユキトの母・ユウ。彼女が何かしら残していればいいのだけど」
リリィの話では優羽は〝忘れられし神話〟を追っていたということだった。そういうこともあって昨晩のうちに【ヘブンズ・ノーツ】に穂村優羽の資料をまとめて送ってもらえるようにお願いしてあった。
「リリィですら昨日まで忘れていたというのに、ユウという方はどうやって追いかけていたのかしら……?」
優羽というヒトに思いを馳せていると、ふと先程見た夢を思い出した。
「そう言えばあの時いたリリィとヨハンナ、そしてもう一人の黒髪の女性。はっきりとは覚えていないけどもしかして……?」
運命めいたものを感じて机に戻りノートPCのスリープモードを解除した。すると予想通り【ヘブンズ・ノーツ】からメールが一通届いていた。
『穂村優羽について』というタイトルの添付ファイルの付いたメール。その添付ファイルを解凍ソフトにドラッグすると数秒の読み込みのうちにパッとファイルが開いた。
「これは───」
梨遠は【ミラージュ】の店先でジョシュアの背中を見送った。優希人達が長い下り階段を降りていって少ししてからのことだった。
「さてと私も本部に戻って……」
とそこへ、その本部から連絡が入った。
「今から戻るどころだが、何かあったのか?」
切羽詰まったような様子から緊急の用件であることは予想出来た。
「……なに? 病院から漁火と水科が消えた?」
霧園中央総合病院にて保護・経過観察を行っていた漁火健吾と水科貴也が病室から忽然と姿を消したという報せだった。
つづく




