第262話 凛とレイン
凛は気がつくと、見たこともない場所にいた。
「そーすけのいえじゃない……」
八澄邸のような和風建築でも、薄雲家のような現代の一般的な家屋とも違う、蝋燭の明かりで照らされているのは古びた洋館の廊下。
「そーすけー」
呼んでも返事は返ってこない。
「あれ……?」
彼女はふと、この場所が現実の場所ではないのではないかと疑いはじめた。
そして心当たりのある場所に雰囲気がよく似ていることに気づく。
「れいん……?」
凛が眠っている時などにレインと会っていた場所だ。
いつもとは違う光景に凛が戸惑っていただけだった。
『あはは……』
聞こえてきた笑い声に振り向くと、そこには無邪気に笑う幼いレインの姿があった。
「れいん」
しかしレインは気づくことなく、そのまま消えてしまった。
「いまのは……まぼろし?」
『集中……、集中……』
また声が聞こえたのでそちらを向くと、今度は何やら両手を前に伸ばして呟いている。
それが魔術の修練だということは凛には分からない。
「しゅうちゅう……」
凛はそれを真似してみる。
すると前に伸ばした手の先で風が渦巻いた。
「おおっ!」
目の前で起きたことに驚く凛。
『それでね、今日はね……』
凛の目の前には、テーブルに座って誰かに話しかけているレインの姿があった。
家族との団らんの様子だった。
「ここは……れいんのいえだったのか」
何となく思ったことを口にしていた。
『そしてあなたの家』
「え?」
幼いレインが凛の前に立ってその顔を見上げている。
「りんのいえ?」
凛の手をレインが握ると、自分が生まれながらにして心臓の病を抱えていた為に死産同然で産まれてきたことや、父方の祖父が祖国より持ってきた魔導具を埋め込み延命してきたこと、そしてその魔導具こそがレインであることが、凛の頭の中に流れ込んできた。
「りんのここに……」
凛は自分の胸に手をそっとあてる。
『こっちにきて』
幼いレインが凛に背を向けて歩き出した。
凛は黙ってその後をついていく。
数分も行かないうちに大きな扉を開いて広間に出た。
そして暖炉の傍まで行くとレインは立ち止まった。
『見て』
暖炉の上に飾られた肖像画を指した。
「このひとたちは……」
『私達の家族』
真ん中にレインが居て、その両脇にレインの面影のある美しい女性と、すこしやつれた男性が立っている。母親と父親だ。
母親の横には祖母らしき女性が、父親の横には祖父らしき人物が描かれている。
「あれ? このおじいちゃんだれかに……」
肖像画をよく見ようと近づこうとしたら、辺りが急に暗くなって、顔の辺りが見えなくなった。それから部屋の蝋燭が一本一本消えていっているかのように少しずつ暗闇に包まれていく。
「まって!」
やがて真っ暗になり凛だけが残された。
『過去の出来事は返すことは出来ないけど』
レインの声が響く。
『たった一つだけ貴女に返せるモノがあるから』
「りんに……?」
まもなく凛自身の姿も見えなくなり、ふわりと浮かび上がっていく感覚だけがあった。
「りんは……」
そして眠るように彼女の意識は途絶えた。
「…………ん……」
凛が目を開けると、慧太郎の顔が見えた。
「おはよう、凛」
「あ、おじいちゃん……」
「おじいちゃん?」
「え?」
自分が何を言ったか理解出来てない様子だ。
「ここは……?」
キョロキョロと辺りを見回す。
「【龍宮神社】だよ」
「じんじゃ? どうして?」
慧太郎は事のあらましを話して聞かせた。
「そう」
話を聞いた凛はそれだけ答えた。
「だかられいんはいなくなっちゃったんだ」
そしてそう呟く。
「どうしてそう思うの?」
「だっていつもはここにかんじてたのに、いまはなんにもかんじない」
自分の胸に手を当てながら凛が言う。
「りんとれいんはふたりでひとりだった。どうしてかはしらないけど、ずっとそうだった」
その大きな瞳から涙が零れる。
「りんにはわからないけど、おねえちゃんとか、おかあさんとかあんなかんじなのかも。だからいないとかなしい」
「嬉しいことを言ってくれますね」
「え?」
聞こえた声に凛の目が大きく開かれる。
傍の障子戸が開くと、ゴスロリ風の淡い紫色のワンピースを着たレインが立っていた。
「れいん……?」
「はい」
「れいん!」
凛は起き上がると、レインに抱きついてまた泣いた。
「もう、もうあえないかとおもった! でもよかった!」
「私も、本当なら力尽きてしまうところだったのを姉妹に助けられました」
「しまい?」
「この地に眠っていた私の片割れ。御神木が倒された際にその幹を私の新たな器として授けてくださいました」
「これからも一緒?」
「ええ。ずっと一緒ですよ」
「やったっ」
涙を拭いてにひっと笑った。
「そういえば」
頃合いを見て慧太郎が二人に声をかけた。
「凛こそが本当のレインって言ってたよね? 身体はこうして凛に返せたワケだけど、名前はどうするの?」
「りんはりんがいい」
慧太郎に向き直って凛がキッパリと言った。
「そーすけがつけてくれたから」
「なるほど。それはもう変えることはできませんね」
レインがおかしそうに笑う。
「それではこのまま私が『レイン・アンネリーゼ・エーベルヴァイン』を名乗ることとしましょう」
「じゃあ凛は、凛なんとかエーベルヴァインになるのか」
「ながい」
凛がぶすっとした。
「八澄が妥当ではないでしょうか」
「妥当?」
訊き返す慧太郎。
「理由は二つあります。まずは私───〝蒼月石〟が元々この土地にあった物であること。そしてもう一つは、我々の祖父です」
「二人の祖父はもしかして日本人だったということ?」
「私達の実家には肖像画があるのですが、父方の祖父が明らかに東洋系の顔で、しかも慧太郎さんにそっくりなんです」
「僕に……。なるほど。あ、だからさっき凛が僕を見ておじいちゃんって。あれ? でも……」
凛が初めて人格の表側に出たのは慧太郎が八澄叢丞だった頃。だから彼女がそのことを知っているはずはないのだが。
「おそらくは、目を覚ます直前に身体に刻まれた私の記憶の残滓を見たのでしょう」
「そういうことだったのか」
「そーすけ?」
凛が慧太郎を見上げる。
「なんだい?」
「そーすけはりんのかぞくなのか?」
「どうやら遠い親戚のようだね」
「そうかとおいのか」
「それとさ、凛」
「なんだ、そーすけ」
「たしかに僕は、八澄叢丞の記憶と〝力〟を受け継いだけど、八澄叢丞がやるべき使命はもう果たしたんだ」
慧太郎の表情は晴れ晴れとしている。
「そうか。えらいぞ」
凛は一生懸命背伸びして慧太郎の頭を撫でようとしている。
「ありがと。だからこれからは、叢丞じゃなくて、今の名前の慧太郎って呼んでよ」
「けー……たろー」
「うん」
「そーすけ!」
慧太郎は膝ががくっとした。
「うふふ」
その様子を見ていたレインが笑った。
「先は長そうですね」
「そうだね。でももう差し当たって直面している問題もないし、気長に待つことにするよ」
ようやく少し、肩の荷が下りた気がした慧太郎だった。
つづく




