第207話 涼香②
夜の巡回を終え、叢丞が屋敷に着いた頃には既に丑三つを越えていた。
「おやすみ、白銀」
既に屋根の上にいた銀色の獣は、挨拶を返すように小さく鳴いた。
「ふぅ……」
家の者達を起こさないように叢丞は足音を忍ばせて廊下を歩く。
寝静まった家の中は虫の声がハッキリと聞こえる程で、ちょっとした音でも大きく聞こえてしまう。
「ん……?」
凛の部屋の前に差し掛かると、その障子が開いていた。
叢丞がそぉっと覗いてみると、中はもぬけの殻だった。
「またか……」
満月の晩以降も凛は屋敷中が寝静まった頃になると度々部屋を抜け出していた。
例の噂の件もあって出来るだけ誰の目にも触れられないように気にしていた叢丞だが、当の本人はお構い無しのようだった。
「仕方ない」
ボヤくように呟くと叢丞は玄関へと引き返す。
真夜中の散歩に出掛けた少女を迎えに行く為に。
「……ん?」
ふと叢丞の耳に微かな音が届いた。
誰かが歩く音ではない。かと言って泥棒が金品を漁っているようなモノでもない。
「これは……話し声?」
こんな夜中にと思った叢丞だが、どうしようもなく気になったので足音を忍ばせて発信源を探る。
やがて辿り着いたのはとある部屋の前だった。
(ここは……、母上の私室)
そしてその隣には涼香の寝室がある。
母である颯季の私室は元々屋敷の奥にあった。
涼香が大病を患って以来、いつ何時涼香の容態が変化しても対応できるようにここに移ってきた。
しかし身体の弱い妹に心地好い睡眠をとってもらいたいと思うのは兄として当然だと叢丞は思っている。
母に一言申そうとしたその時、その会話が少し聞こえてきた。
「もう、……のも限界かも……」
颯季とは違う声が聞こえてきた。
寝静まった屋敷の中でも微かに聞こえているのだから必然と会話していることになる。
その相手はもしかしたら涼香か、もしくは女中長の妙だと叢丞は思っていたが、だが違うようだった。
しかもその声には聞き覚えがあった。
(この声は凛……、いやレインの方か……?)
声もそうだが、その内容の方も気になった。
(限界って、一体何の話を……?)
やがて続きが聞こえてきた。
「涼香をこれ以上…………のは」
(涼香? まさか病の話か……?)
病状のことを話しているのかと思ったら意外な名前が聞こえてきた。
「叢丞は近頃、精神的にも成熟してきてますがまだ……」
(僕……?)
確かに少しずつではあるけど〝力〟も戻ってきて精神的な余裕も出てきていた。
「しかし貴女も常時〝式〟を使役し続けるのも大変でしょう」
(〝式〟を使役し続けている? 母上が……?)
颯季が何モノかの〝式神〟を使役し続けているといった話のようだった。
(でも何故そこで僕の名前が出てくるんだ……?)
その時、ドクンッと叢丞の心臓が強く脈打った。
「これ以上、現世に留めるのは……」
叢丞はそれ以上聞いてはいけないような気がして立ち去ろうとするが、足がそこに根を生やしたように動けない。
「とても叢丞には言えない」
心臓の鼓動がやけに大きく叢丞の耳まで伝う。
「あの子の愛する涼香が……」
(え……? 涼香?)
叢丞の頭がズキズキと痛み出した。
(っ……、一体、僕の身体に何が起きているんだ!)
まるで何かの呪いにでも見舞われたかのように叢丞の身体に異変が起きていた。
「──────本当は……もう三年前からこの世にいないなんて」
「え……?」
その事実ことを聞いた瞬間、叢丞の思考が真っ白になると同時に、身体の異変も消えた。
(もうこの世にいない……?)
少しずつ思考が事実へと追いついていく。
(涼香が、三年前……から……?)
───「涼香は変わらないな」
つい先日涼香に言った言葉が叢丞の頭を過よぎる。
───『三年前くらいからまるで成長が止まってしまったかのように……』
そしてその時に思っていたことも同時に思い出される。
───「……もう限界かもしれない」
今しがた颯季はそう言った。
───「涼香をこれ以上苦しめるわけにはいかない」
聞き取り難かった言葉が自然と補完される。
───「叢丞は近頃、精神的にも成熟してきてますが……」
(苦しめているのは……僕?)
───「しかし貴女も常時〝式〟を使役し続けるのも大変でしょう」
ずっと〝式神〟を使役し続けたという颯季。
───「これ以上、現世に留めるのは……」
(三年前……、成長の止まった涼香……)
頭が勝手に言葉を整理していく。
(母上の使役する〝式神〟……、現世に留める……、精神的に成長した僕…………ッ!!)
やがて、一つの真実に辿り着く。
三年前の出来事が蘇る。
「……あ……ああ、あああっ!!」
「誰だっ!」
叢丞の声を聞いて、障子が勢いよく開けられた。
「そう……すけ?」
叢丞を見た颯季の目が見開かれる。
「はは……うえ?」
「帰って、いたのですか……」
「そ、そんな……」
哀しそうな颯季の視線が叢丞に向けられる。
しかし叢丞の目にはそれは映らない。
思い出した真実に今にも打ちのめされそうの叢丞は、居ても立っても居られずその場から逃げ出すように走り出した。
その背中をレインは沈痛な面持ちで見送っていた。
つづく




