第204話 何モノにも代え難く⑥
「この方の何処がそんなによろしいのかしら……?」
「あまり本人の前でそういうことを言うものじゃないと思うよ」
叢丞は隠そうとしないその悪口に苦笑いを浮かべる。
「じゃあ居なくなってから言います」
「そう陰口を宣言されるのもどうかと……」
「とにかく今はあの場にいない方がいいと思いますよ?」
「助けてくれたの?」
「そ、そう言うわけではありません」
「じゃあ、どういうこと?」
咲乃はそのまま黙ってしまった。
「……とにかくありがとう。ほとぼりが冷めるまでぶらぶらしてるよ」
そう言ってその場を去ろうとした。
「あっ……」
その声に叢丞が振り返ると、咲乃が何か言いたそうにしていた。
「えっと、何か僕に用事があったりしたのかな?」
「いえ、その……なんでもありません」
「そう?」
叢丞は再び歩き出した。
水薙の広い敷地を歩くのは初めてのことではない。
小さい頃なんかはよく鬼ごっことかしたものだと懐かしい思い出が過よぎる。それこそ陽が暮れるまで。
空を見ると、まだ夕暮れまでは時間があるようだった。
「……ところで咲乃はどこまで付いてくるの?」
叢丞の歩幅で五歩ほど後ろを咲乃がずっと付いてきていた。
「私も散歩をしたい気分だったので」
「……そう」
その後も一言も喋らずに叢丞の後を付いてくる。
「本当に……」
「ん?」
「本当に何も覚えていないのですか?」
「覚えていないって……?」
「三年前のことです」
三年前。
叢丞の中にある思い出にはポッカリと穴が開いたように抜け落ちている期間がある。
「母上からは、涼香の病気を治すための術を行った副作用だって……」
「そうやって都合の悪いことはすべて忘れて……」
「だからそれは母上にそう聞いただけだし……」
「そうやって逃げるんですか?」
「別に逃げてるわけじゃないよ。僕だって思い出せるものなら思い出したい。けど、思い出せないことには何も出来ないよ」
「む。お、思い出そうともしないで」
「僕だって別に真実があるって言うなら思い出したいよっ!」
「っ!」
咲乃がびくっと身体を震わせた。
「あ、ごめん。怒鳴るつもりはなかったんだ」
「……いえ」
その後少しの沈黙があった。
「思い……出したいですか?」
おずおずと咲乃が切り出した。
「え……?」
「三年前のことです。思い出したいですか?」
「それは勿論だよ。そのことで皆が僕に隠し事してるのは薄々感じてた。特に涼香は何故か時折申し訳なさそうにしているから」
叢丞に甘えることの多い涼香だが、時折距離を感じることもあった。
「本当、涼香のことはよく見ているのですね」
「まあね。でも、そんなこと出来るの?」
「水薙には人間の深層、記憶の奥底に働きかける術も伝わっています」
「しかし……」
それはかなり難易度の高い術だろうと、叢丞にすら予想出来た。
「私も一応、水薙の次期当主候補の一人です」
「咲乃……」
「こう見えても術式に関しては姉様にも劣らぬと自負しております。むしろそういった細やかな術は姉様よりうまく出来る自信があります」
「へぇ~」
「何ですか、その目は?」
「いや、さすがだなって」
「そりゃ咲夜姉様に比べたら全然ですが……」
「咲夜が別格過ぎるだけだよ。彼女と比べたら誰だって霞んじゃうよ。咲乃は咲乃ですごいと思うよ」
叢丞のその言葉を聞いて咲乃は頰を薄っすらと赤くした。
「ほ、褒められたって何も出ませんからね」
「ただ素直にすごいなって思っただけだよ」
「あ、ありがとうございます」
咲乃は恥ずかしそうに俯いた。
「それでいつやるの?」
「今からじゃダメですか?」
「今から?」
突然の申し出に叢丞は少しだけ躊躇った。
「ダメ……ですか?」
咲乃が上目遣いで叢丞を見上げる。
いつも叢丞に対して冷たい態度を取る咲乃だが、涼香や咲夜といる時はいたって普通だ。
咲夜が男っぽかった分、彼女の女の子っぽさが際立っていたくらいだ。
見た目も涼香に劣らないくらい器量はいい。それは咲夜と双子なのだから当然である。
その咲乃が上目遣いでお願いするのはおそらく初めてで、それがまた結構な破壊力を持っていたため叢丞は駄目とは非常に言いにくかった。
しかし、どんな出来事でも思い出す覚悟は出来ていた叢丞にとってこの機会を逃す術すべは無い。
「いいよ、今からで。どうせほとぼりが冷めるまであそこは戻れないだろうし。それで僕はどうしたらいい?」
「では、そのままじっとしていてください」
「わかった」
叢丞がそう答えると、さくのは集中するようにゆっくりと深呼吸を始めた。
一回。
二回。
三回……。
「咲乃……?」
ただ深呼吸を繰り返す咲乃に声をかける。するとびくっとして叢丞を睨みつけた。
「しゅっ……集中しているんです。いきなり声をかけないでください」
「そ、そうか。ごめん」
「いきますよ」
「うん」
すると咲乃は川に飛び込む前の子供のように大きく息を吸った。
次の瞬間、叢丞は絶句した。
「え……?」
咲乃が叢丞の胸に顔をうずめるように抱きついた。
「ちょっ……咲乃?」
心臓の鼓動が速くなる。
「こ、こうして相手の呼吸に合わせて術に入るんですけど……」
狼狽える叢丞を下から覗き込むように咲乃が顔をあげる。
「て、てて、照れないでください。こっちまで恥ずかしくなるじゃないですかっ……」
「う、うん」
顔を真っ赤にしている咲乃が、いつもの彼女とは思えなくて落ち着かない。こんな姿をあの三人に見られたらどうなることやらと叢丞はドキドキしているのと同時に冷や冷やしていた。
「わわわ、私だって好きでこうしてるわけじゃないんですよ?! 貴方の記憶を戻すためにしかたなくやってるんですからねっ!」
照れを誤魔化すように咲乃が声をあげる。
「わかってるよ」
「で、では呼吸を整えて下さい」
「う、うん」
この状況に少しずつ慣れてきたのか、叢丞の鼓動も呼吸も落ち着いてきた。
咲乃が叢丞の胸元で何かを呟いている。
それを聴いているうちに叢丞は少しずつ意識が遠くなっていった。
つづく




