第203話 何モノにも代え難く⑤
急かされて慌てて咲夜を追うため部屋を出る叢丞。
泣いたり怒ったり、敵対したり味方したり。女の子ってよく分からないなと叢丞は心の中で深く溜め息を吐いた。
咲夜の気配はすぐに辿ることが出来た。
「咲夜……?」
道場にただ一人佇む咲夜に声をかけた。
「どうしたんだよ、咲夜。いきなり出て行くなんて……」
咲夜からの応えはない。
お年頃の少女の機微など、鈍感朴念仁の叢丞に分かる筈もない。
しばらく沈黙が続いた後、咲夜は静かに口を開いた。
「お前は、強くなったよな……」
「何を言っているのさ。まだまだ咲夜には敵わないじゃないか」
「俺が言っているのはそう言った強さじゃなくて……心の強さだ」
「心の……?」
「父が亡くなっても、術が使えなくなっても、お前はめげることはなかった」
「咲夜……?」
何時になく咲夜の口調が弱いと叢丞は思った。
「〝力〟が無くなった時も腐ることなく、心陰水薙を習ってまで、ずっと涼香を守り続けてきた」
「そりゃあ、たった一人の妹だし」
「さっきみたいに涼香を宥めるのに、俺をダシに使うのもいつものことだし、わかっているつもりだ」
今日の咲夜からはいつもの覇気が感じられない。
「でも最近、いや、本当はもうずっと昔から、それが気に入らなかった……」
今日の咲夜は、
「お前が涼香を優しい目で見るたびに思った……」
剣の達人でも退魔師でもなく、
「俺の……、いや私の許婚の立場はどうなってしまうんだって」
紛れも無く、〝一人の女の子〟だった。
「僕が父上の代わりになる」
叢丞の父が亡くなった頃、父に懐いていた涼香は毎日のように泣いていた。
その涼香をなだめるために叢丞は幼心に、父の代わりに涼香を守っていくって決めた。しかし……
「そうすけじゃ頼りないよ」
幼い咲夜がそう言った。
「じゃあ誰ならいいんだよ?」
「〝私〟がやる」
「さくやは女じゃないか。それに〝私〟なんて父上は言わなかったぞ」
「お……〝俺〟がやる」
「あはは、似合わな~い」
「なによ、そうすけこそ〝僕〟って言ってるじゃない」
「いいんだよ、僕は僕だもん」
「それじゃあ代わりなんてできないよ」
「あ、うぅ」
「やっぱりわた……〝俺〟がやる」
「だめだよ。これは僕の役目なんだから」
「なによ」
そんなことをして言い合ったことを叢丞は今でも覚えている。
「……くすっ」
そしてそんな二人を見て、涼香が久しぶりに笑顔を見せたことも。
「ありがとう、兄さま。ありがとう、さくやちゃん」
「「え?」」
叢丞と咲夜の声が重なった。
「すずかはもうだいじょうぶです」
「「でも……」」
また重なった。
「やさしい兄さまと、さくやちゃんがいるんだもの。それにいつまでも泣いていたら父さまが眠れないもの」
思えばこの頃から涼香はしっかりし始めたのかもしれない。
「……そうだね、僕たちがすずかを守るから」
「ああ。俺たちがずっとそばにいるから」
「うん」
その日から、咲夜は自分のことを〝俺〟と言い、口調も少しずつ男っぽくなっていった。
それは名家の娘にはあるまじき行為なのだろうけど、〝彼女〟はそう言ったものよりも涼香を、叢丞達を選んだ。
その咲夜が〝私〟と言った。
「咲夜……」
「分かっているさ。お前がそういう優しい男だっていうのは分かっている。でも……」
咲夜は涙溢れる目で叢丞を見た。
「叢丞だから、……〝貴方〟だから〝私〟は承諾したんだ」
「咲夜……?」
「私がただお前を憐れんで許婚の件を承諾したと思うか?」
「え……?」
叢丞を見つめる咲夜の真剣な眼差し。
それは涼香と同じ熱さを持っていた。
叢丞は、心臓の鼓動が激しくなり、顔が熱くなってきた。
唐突に彼女の〝想い〟が理解出来た気がした。
剣術の師弟や幼馴染といった顔に隠された彼女の本心。それがその瞳から伝わる。
いや、もうずっと以前から伝わっていた。
しかし叢丞の心が〝あの時〟から止まったままで余裕を持てなかった為に伝わることはなかった。
それも最近、〝力〟が少しずつ戻ってきて余裕が生まれた。
だから叢丞にとっては唐突に感じられた。
「やっと、昔の咲夜ちゃんに戻ってくださいましたね」
その声に振り向くと、道場の入り口に涼香が立っていた。
「涼香」
咲夜が妹の名を呼ぶ。
「ずっと、申し訳ないと思っていました」
静かに涼香は咲夜に歩み寄る。
「え?」
涼香の告白に咲夜がきょとんとしている。
「咲夜ちゃんは兄様の許婚なのに、咲夜ちゃんの気持ちを知っていたのに、ずっと涼香が独り占めしてしまっていました……」
「涼香……」
「これからは涼香に気にすることなく、兄様と過ごしてください」
何気ない涼香の普通の一言が、叢丞はやけに気になった。
(なんだろう…この胸にあるもやもやは……?)
いろいろうまく行っているように思えるのに……、何かこう、うまく行き過ぎている。
叢丞はそんな気がしてならなかった。
(ただの気のせいならいいのだけど……。)
「でもそしたら、涼香はどうするんだ…?」
咲夜が心配そうに涼香に訊き返した。
「涼香も……負けませんから」
「なに……?」
「涼香は今まで通り兄様の傍におります」
それはあたかも宣戦布告のように聞こえる。
「……ふっ、ふふっ」
不意に咲夜が笑い出す。
「くすっ」
そして涼香も笑った。
「おもしろい、受けて立つぞ」
「お手柔らかにお願いしますね」
杞憂だったようだと叢丞は胸を撫で下ろした。
「ところで兄様?」
「ん?」
涼香がいい笑顔を浮かべているのに、叢丞は何故か薄ら寒さを覚えた。
「先ほどの問い。まだお答え頂いておりませんでしたね」
「先ほどの……?」
「どちらの膝枕が好きか、だな?」
「ええ」
仲違いしたり結託したり、本当に女の子は分からないなと叢丞は項垂れたい気分だった。
「ちょっ、それを蒸し返すの?」
「まだ答えを頂いておりませんから」
と、その時、廊下を駆けてくる音が近づいてきた。
「ちょっと、いきなりやって来てあなたはなんなのですか……?!」
その音を追いかけるように咲乃の声も近づいてくる。
叢丞の脳裏に嫌な未来が浮かぶ。
やがてバンッと道場の入り口が開いた。
「そーすけっ! むかえにきた!」
叢丞の予想通りそこには凛が立っていた。
「凛さん……? どうしたの?」
涼香が叢丞の前に出るようにして訊いた。
「ふたりともかえりおそい。だからむかえにきた」
そう言って凛は涼香を躱し、叢丞の腕を取った。
「むっ」
それに咲夜が反応する。
「そーすけ、かえる」
「あ、ああ……」
「待て、凛」
帰ろうと引っ張る凛を咲夜が止める。
「叢丞はまだ答えてない」
「こたえる? なにをだ?」
凛が不思議そうな顔をして訊き返した。
「叢丞は誰の膝枕が好きかだ」
「そんなのきまってる」
「え?」
そしてきっぱりと、
「リンのがいちばん!」
自信満々に凛は言った。
「ほう」
咲夜の目がきらりと光ったように叢丞には見えた。
「そ、それは凛さんが決めることじゃなくて……」
「あ、あの……」
叢丞が口を挟もうとするが、三人とも聞こえていないようだ。
「そーすけはリンがいちばん!」
「だからそれは叢丞が決めることだ」
「そうです」
咲夜も涼香も凛と一緒になって、叢丞おもちゃを取り合う子供のように言い合いをしている。叢丞の意思を無視して。
「えっ?」
不意に叢丞はぐいっと腕を引っ張られた。そしてそのまま道場の外へと連れ出された。
「まったく……」
そしてその意外な人物に叢丞は驚いた。
「咲乃……?」
つづく




