第200話 何モノにも代え難く②
「大事な話……ですか」
去っていく叢丞達を眺めていた颯季が呟いた。
颯季は叢丞に「話がある」という茉莉からの伝言を伝えただけ。にも拘らず叢丞はそれを「大事な話」と受け取った。
「叢丞、何か隠し事をしていませんか?」
見えなくなった叢丞からは返事はない。
「杞憂ならいいのですけど」
僅かな胸騒ぎに息子の身を案じる颯季。
彼の性格では何かあったとしても話してくれないであろう事は予想出来た。
そんな一抹の寂しさを覚えた颯季はそのまましばらく、去った息子の背中を探すかのようにジッと玄関の外を見つめていた。
「ん……?」
叢丞はふと、視線に気づいて立ち止まった。
(なんだろう……?)
誰かが自分を、いや、誰もが自分を見ているような、そんな感覚。
(気のせい、かな……)
近所の住民が、すれ違う人が、田畑で作業をしている人達が、叢丞達を横目で見て噂をしている気がした。
(まるで〝あの時〟みたいだ。僕が〝力〟を───させて、───を───てしまった〝あの時〟に……)」
その後しばらく、非難の目で見られる事も少なくなかったと叢丞は記憶している。
「え?」
再び歩きだそうとしたところで、ある事に気づき叢丞は踏み留まった。
「〝あの時〟?」
叢丞が思い出せない〝あの時〟とは、三年前の事以外に思い当たる節がなかった。
「僕は何をしてしまったんだ……?」
自らの記憶の片鱗に触れた瞬間、胸が張り裂けてしまいそうな悲しい感情が叢丞の中に溢れてきた。
「そーすけ、泣いてるのか?」
声をかけられて叢丞はハッと我に返った。
「泣いてる? 僕が?」
自分の頰に手をやると、確かに涙を流している事に叢丞は気づいた。
「どうしてだ? 〝あの時〟の事がチラッと頭をよぎった気がしたけど……」
「あの時……?」
凛の隣に立つ涼香が、何かに怖れ慄くように顔を真っ青にしていた。
「涼香?」
「兄様。もしかして何か思い出されましたか……?」
恐る恐るといった風に涼香は訊いた。
「ううん。チラッと何かが過よぎったけど、思い出せてはいないよ。ごめんね」
「いいえ。兄様がお謝りになる事は何もございませんよ」
涼香はがっかりしたような、反面ホッと安堵したような表情をしていた。
「そーすけ、なにかわすれてるのか?」
凛が無邪気に訊ねた。
「……うん。きっととても大切な事を、僕は忘れてしまっているみたいなんだ」
「そうか。はやくおもいだせるといいな」
凛は精一杯背伸びをして叢丞の頭を撫でた。
「あはは……。ありがとう、凛」
凛の手が頭から離れると、叢丞は涼香に目を向けた。
いつもなら凛を諌めるなり、負けじと叢丞に甘えたりするのだが、明らかに様子がおかしかった。
「涼香、やっぱり具合が悪いんじゃ……」
熱を測ろうと叢丞は涼香に手を伸ばす。しかし、涼香はすっと身を引いた。
「涼香?」
「だ、大丈夫です。さあ行きましょう、凛さん」
そう言って凛の手を握り、まるで叢丞から距離を取ろうとしているかのように歩いていく。
「なにか怒らせることでもしちゃったのかな」
目的地が同じなので、叢丞は追いつかないようにとぼとぼと歩く。
あまり気分のよくない視線は相変わらず叢丞に突き刺さる。
やがて前を歩く二人の会話が聞こえてきた。殊の外会話は弾んでいるようだった。女の子同士のほうがいろいろ話し易いことがあるのだろう。
「それでね……」
幸いなことに二人は視線に気付くことなく、会話が続けられている。
「……そうなのか」
凛も涼香の話すことが新鮮に感じるのかどことなく楽しそうだった。
(機嫌直ったみたいだな)
叢丞が安堵して間も無く、一行は目的地に着いた。
「ここが【龍宮神社】よ」
「たつみやじんじょ?」
「ううん、たつみやじんじゃ」
「たつみやじんじゃ…」
「そう」
叢丞には二人がまるで姉妹のように見えた。
「叢くん。いらっしゃい」
鳥居の内側から茉莉がやってきた。ちょうど境内の掃除をしていたようだ。
「こんにちは、まつり姉様」
「あら、涼ちゃんまで。こんにちは」
そして茉莉の視線は凛へと向けられた。
「こちらは……?」
「最近うちで面倒を見るようになった凛だよ」
紹介すると何かを思い出したかのような顔をした。
「この子が凛ちゃん? かわいい~、お人形さんみたいね」
そう言って凛に抱きついた。
「あう、そーすけ……」
助けを求めるように凛は叢丞を見た。
叢丞は乾いた笑みを浮かべながら、心の中で手を合わせる事しか出来なかった。
「というかまつり姉さん、話があるって聞いたんだけど」
「それで早速来てくれたのね」
そこでようやく解放された凛はサッと叢丞の背中に隠れてしまった。
「一応、出掛けようとはしていたからね」
「何か用事でもあった?」
「そうではありませんよ、まつり姉様。剣術の稽古がお休みなのをいいことに、いつも通り八澄の修練までサボろうとしていただけです」
そう涼香が告げ口をする。
「あらまあ困った子ね、叢くん」
茉莉は頰に手を置いて困った表情をした。
「でも、今日は修練に出ようとしてくれました」
「まあ!」
茉莉が頰に手を置いたままの姿勢でこれでもかというくらい驚いていた。
「まあまあまあまあ、叢くんってばお利口さんになったのね~」
茉莉は嬉しそうに叢丞の頭を撫でた。
「や、やめてよ。もう子供じゃないんだから」
「それでは、兄様は涼香を子供扱いしているとおっしゃるんですね?」
怒ったように頰を膨らませて(むしろ可愛らしく見えるが)、涼香は叢丞に抗議した。
「え、僕は別にそう言うわけでいつも撫でているわけじゃ……」
「くすっ」
慌てて言い訳する叢丞の様子を見て、涼香はいたずらっぽく笑った。
「涼香……?」
「ごめんなさい、兄様。たまには涼香も兄様をからかってみたかったんです」
「涼香ぁ~」
「ごめんなさい。でも兄様。たとえ兄様が涼香の事を子供扱いしているとしても、涼香は兄様に撫でてもらうのが大好きです」
そんなことを言われて、叢丞は不覚にも頰が熱くなるのを感じた。
「私だってね、子供扱いしているわけじゃないのよ。親愛のなでなでよ」
なでなでって言っている時点で疑わしいと思う叢丞。
「まあまあ、ここではなんだし、お家へ行きましょうか」
そう言って母屋へと促された。
さすがに母屋は社殿などより大きいわけが無く、質素な感じだ。
「ようやく来たな」
通された居間では咲夜が茶を飲んでいた。
「咲夜ちゃん、こんにちは」
「涼香? それに凛までいるのか」
「なんですか、咲夜ちゃん? 涼香がいてはいけないのですか?」
「いけないのか?」
凛が涼香を真似て言った。
「いや、そういうわけではないが……」
苦し紛れに咲夜は叢丞を睨んだみた。
「お待たせ、さくやちゃん」
「さくやちゃん……?」
咲夜もまた叢丞と同じように昔ながら呼び方で呼ばれていた。
「……なんだ、叢丞?」
叢丞を睨む目に殺気が籠められている。
低級な妖魔ならその視線だけで倒せそうなくらいの目だ。
「い、いや……」
そして再び咲夜が茉莉に向き直った時には、普段の彼女ものに変わっていた。
「いい加減〝さくやちゃん〟は止めてもらえませんか? まつり姉」
茉莉にかかったら咲夜でさえ借りてきた猫のようになる。
猫は猫でも、虎か獅子だなと叢丞はいつも思う。
「え~、いいじゃない。それに涼ちゃんもそう呼んでるじゃない」
「う……」
咲夜が言葉を詰まらせた。
「咲夜、諦めが肝心だよ」
「そうだな。今更だが実感したよ」
「涼ちゃん、二人ともひどくない?」
「え? あ、あはは……」
涼香は乾いた笑みを浮かべていた。
つづく




