第196話 海からの使者④
更に数日後の夜。
叢丞が夜の見廻りに出ようとした時だった。
「ッ!」
叢丞は突如、背筋を蛇がのたうつような不快感に見舞われ、同時に周りの大気が重くなったかのような圧迫感に襲われた。
「この嫌な感じ……!」
叢丞は急いでまた家の中に戻った。そして凛の部屋に向かう。すると部屋の前の縁側に、叢丞に背を向けるようにして凛が立っていた。
「凛?」
ビクッと凛が肩を揺らす。
その様子がおかしいことに叢丞は気づいた。
苦しんでいるような、どこか怖がっているような、そんな見ていて不安になりそうな様子が彼女の背中から伝わってくる。
「どうかしたの……?」
叢丞が一歩彼女に歩み寄ろうとした時、
「こないでっ!」
発せられたのは、叢丞が思いもしなかった拒絶の言葉。踏み出そうとした叢丞の足がびくりと止まった。
「凛。一体どうしたっていうんだ」
「なにか、おおきな〝もの〟が……リンのなかから……っ!」
「大きな〝力〟? まさか……!?」
その時、廊下の反対側から颯季がやってきた。
「これは───っ!?」
「ッ!!」
凛は〝その姿〟を見られまいと、素早く庭へ駆け出すと大きく跳躍して夜の闇に姿を晦ませた。
叢丞もそれを追うようにして庭に出て凛が跳んでいった方向を見た。すると、叢丞の目に飛び込んでくるモノがあった。
「そんな……?!」
夜空には真円を描いた月が地上を照らしていた。
「まさか……〝応龍〟が?!」
凛の身体に封じられているという強大な龍。それが満月の〝力〟を受けて今にも封印を破ろうとしているようだった。
「白銀ッ!」
叢丞が呼ぶと、一組の草鞋を咥えた白銀が叢丞の前現れた。
「ありがとう。これなら下駄より走りやすい」
相変わらず白銀はよく気持ちを汲んでくれると思いつつ、叢丞は手早く草鞋を履いた。
「叢丞」
「母上。行って参ります」
「どうか気をつけて」
「はい」
そうして叢丞は白銀をお供に駆け出していった。
「母様」
颯季の傍らにはいつの間にか涼香が立っていた。
「大丈夫ですよ、涼香。叢丞はちゃんと帰ってきますよ」
「はい……」
二人は叢丞の後ろ姿が見えなくなった後も、その方角をしばらく見守っていた。
凛を追って駆ける叢丞だが、背中に纏わりつくような悪寒はなかなか振り払えそうにない。
「はぁっ、はぁっ……」
咲夜もこの強大な妖気を感じ取っているのだろうが、感じられる妖気が濃すぎる為叢丞には彼女の気配が感じられなかった。
(……情けないな)
例え底無しの強さを誇ろうとも、水薙咲夜は女の子だ。こんな時に女の子を頼りにしてしまう叢丞は自分自身で情けなく思った。
不意に白銀が立ち止まる。
「白銀?」
白銀は前方に向かって威嚇するように低く唸っている。そして叢丞も気づく。強大な妖気に隠れるように小さな妖気が辺りでざわついている事に。
「この気配……。まさか妖魔?」
叢丞は咲夜から贈られた刀をすらりと抜いた。
「この妖気に引き寄せられてきたか?」
だが叢丞が抜いた直後、妖気がサァッと引いていくような感覚があった。
「これは……」
その時───、
「おぉぉぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
咆哮にも似た気合と共に彼女は現れた。
「咲夜っ!」
彼女程の〝力〟の持ち主の登場なら妖魔が引いて当然だろうと叢丞は心の中で頷いた。
やがてその彼女は尋常ならざる疾さで妖魔を一掃すると、叢丞の前まで来た。
「叢丞、こいつは……」
「うん。多分……」
二人は同時に空に浮かぶ満月を見上げた。
「少し厄介な相手だな」
「咲夜でも?」
「俺より強い奴なんて腐る程いる。だが〝アレ〟があれば……」
「あれ?」
「水薙に伝わる霊刀があるんだ。当主はそれを引き継ぐことになっている」
「じゃあ咲夜の物なんだ」
「いや、正式には俺はまだ候補であって当主じゃない。まあ使えないことはないが……」
咲夜が辺りに気を配る。
「どうやら取りに行っている時間は無さそうだ」
咲夜が普段から使っている無銘の一振りを構え叢丞の前に出る。続くように白銀も示しを合わせたように前に出た。
「おっ? お前も俺と一緒で露を払う気満々だな。さすが忠犬、いや忠狼か」
負けないとばかりに白銀は吠えた。
「そういう訳だから叢丞、お前は───」
「うん。一気に駆け抜ける!」
それを聞いた咲夜は満足気に微笑んだ。
「肌にビリビリくるこの妖気があの子の物なら、俺達の目的地はおそらく砂浜だ」
「行こう」
「ちゃんとついてこいよ」
そう言って咲夜が駆け出し、白銀も釣られるように疾駆する。
「待ってて、凛!」
咲夜達に置いていかれないように叢丞も走り出した。
咲夜の探知の通り、凛は霧ヶ浜の砂浜に居た。
「ぐ……ぅぅ…………」
苦しげな表情に尋常ではない汗をかいている。
「こないで……、そーすけ……」
不意に浮かぶ叢丞の笑顔。凛の胸に急に寂しさが押し寄せ、締め付けられたようにまた苦しくなった。
「そーすけ……、こわいよ…………」
だがその〝苦しさ〟が、目醒めかけている龍の妖気による侵食を僅かに弱めた事には気づいていなかった。
つづく




